『天智と天武~新説・日本書紀~』第18話「謀反の容疑」

 まだ日付は変わっていないのですが、5月11日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年5月25日号掲載分の感想です。前回の最後の場面で、謀反を起こすよう、蘇我赤兄が有間皇子を煽っていましたが、今回はその続きとなります。これまで中大兄皇子には苦汁を甞めさせられてきた、と告白する有間皇子にたいして、そうです、お互いに、と赤兄は言い、だからこそ討とうとは思いませんか、とさらに有間皇子を煽ります。その様子を天井裏から覗いていた鵲は、物音を立てて二人の注意を引きます。

 赤兄が天井に投げつけた小刀は危うく鵲を貫くところでしたが、鵲は何とか怪我も負わずにすみ、袋に隠していた鼠を捕り出し、鼠は声を立てながら走っていきます。この騒ぎにすっかり酔いが醒めたのか、有間皇子は、冗談が過ぎるぞ、と赤兄に笑いかけ、赤兄はもう少しで有間皇子を罠に嵌められたのに、と思ったのか無念そうな表情を浮かべますが、この赤兄の表情は、有間皇子が罠に嵌らず安心した、という心境を表しているようにも解釈できます。両方とも赤兄の偽らざる心情ということなのでしょうか。赤兄が有間皇子を嵌めようとしている、と気づいた鵲は、大海人皇子に救援を求めようとして、配下?の者に大海人皇子宛の書状を託します。ところが、この男は馬上で何者かに殺されてしまいます。殺したのは、中大兄皇子か豊璋の配下なのでしょう。

 その頃、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子の一行は、紀伊の牟婁の湯を訪れていました。大海人皇子が一人海辺にいるところに、今日も湯に入らないのか、そなたらしくなく浮かない顔をしているが、何か心配事でもあるのか、と中大兄皇子が話しかけます。あなた様には何を言っても無駄でしょう、と大海人皇子が言うと、誉め言葉と取っておこう、と中大兄皇子は余裕の態度で返します。すると大海人皇子は、いつまでも思い通りにはさせない、必ず私が追い落とす、と中大兄皇子相手に堂々と宣言します。しかし、中大兄皇子は激昂することもなく、余裕の態度で、こんな所まで来ていがみ合うこともなかろう、母(斉明帝)も仲よくしろと言っていたではないか、と言って大海人皇子の顎を撫でます。大海人皇子は、中大兄皇子の手を払いのけて立ち去り、その様子を中大兄皇子はじっと見つめています。

 この場面は、中大兄皇子・大海人皇子の異母兄弟の現時点での関係が表れていて、なかなか面白くなっています。大海人皇子と会った当初の中大兄皇子は、大海人皇子が月皇子なのか確信が持てず、どのような能力・性格の人物かも分からなかったため、大海人皇子に翻弄されることが多かったのですが、次第に大海人皇子のことを知っていくにつれて、立場が上であることも活用して、逆に大海人皇子を翻弄するようになります。一方の大海人皇子は、表面上は中大兄皇子に忠実に仕えていた従者時代とは異なり、皇子として公認されたことから、堂々と中大兄皇子に反論したり、喧嘩をふっかけたりできるようになりました。

 この二人の関係が今後どう推移していくのか、ということがこの作品の主題となりそうなのですが、二人の関係を動かすことになりそうな女性が、今回描かれました。中大兄皇子と別れた大海人皇子は母の斉明帝の一行とすれ違います。斉明帝は、牟婁の湯があまりにも良い所なので、側近を新たに呼び寄せていました。その一行の中に、大海人皇子はかつて一晩限りの関係を結んだ女性と同じ薫をした女性がいることに気づきます。大海人皇子は慌てて斉明帝の一行を追いますが、その中に目的の女性はいませんでした。しかし、そのすぐ近くから、目的の女性と同じ声が聴こえてきます。見事な紅葉を拾った、というその女性は、大海人皇子が追い求めていた人でした。斉明帝がその女性に額田王と呼びかけ、そなたにかかればここは歌の宝庫だろうな、と話しかけます。

 牟婁の湯では宴が開かれ、中大兄皇子も大海人皇子も参加していましたが、大海人皇子は額田王にすっかり心を奪われており、中大兄皇子がその様子を見ていました。やがて、額田王が宴の場を離れると、大海人皇子も追いかけ、海辺で二人きりになったところで、大海人皇子は額田王に、私を覚えていませんか、と話しかけます。すると額田王は、ただの一時も忘れたことはありません、と答えて、大海人皇子は舞い上がったような表情を見せます。ところが、少し離れた岩陰から中大兄皇子がこの様子を窺っていました。

 額田王が大海人皇子のことを一時も忘れなかったのは、大海人皇子との一晩の関係により、娘を産んだからでした。その娘は斉明帝(宝皇女)により、十市皇女と名づけられました。額田王によると、十市皇女は大海人皇子によく似て聡明な子とのことです。額田王が大海人皇子にそれを報せなかったのは、斉明帝の配慮のためでした。大海人皇子を自分の息子と公言できる日まで待つように、と斉明帝は額田王に言い聞かせていました。おそらく、大海人皇子の立場が強くなるまでは、額田王と十市皇女を危険にさらすわけにはいかない、と考えていたのでしょう。今度娘に会って頂けますか、と額田王に尋ねられた大海人皇子は、もちろんです、もう放しません、と言って額田王を抱きしめます。おそらく、中大兄皇子はこの様子を見ていたでしょうが、大海人皇子と額田王の会話がどこまで聞こえていたのかというと、はっきりとした描写はありませんでした。ただ、中大兄皇子は、大海人皇子と額田王が恋仲であることには気づいたでしょう。

 その頃、都の有間皇子は、謀反を煽ってくる赤兄を思い出して無邪気だと笑い、また赤兄と飲もうとして、赤兄邸へと向かいます。鵲は、来るはずのない大海人皇子からの救援にまだ望みをつなぎつつ、有間皇子を尾行します。赤兄邸を訪れた有間皇子は、あれから方策を練ってみたら楽しく、やれそうな気がするからおかしなものだ、と上機嫌に赤兄に話しかけます。赤兄は、ぜひお聞かせください、と有間皇子を煽るのですが、言いたくてたまらなそうな有間皇子はそれでも、ここではと言って躊躇います。すると赤兄は、有間皇子の警戒心を解くために、さらに奥の部屋へと案内します。すると、その隣の部屋には兵士たちが潜み、外では有間皇子の従者二人が殺害されていました。天井裏から様子を覗いていた鵲はこの状況に為す術がなく、焦ります。

 赤兄は有間皇子に強い酒を勧め、有間皇子から「練られた方策」を聞き出そうとします。酔ってすっかり上機嫌になった有間皇子は、まず熊野に出て港を囲み、淡路国を押さえる、と打ち明けます。なぜ淡路なのか、と赤兄に問われた有間皇子は、軍船だ、と答えます。有間皇子がさらに促すと、有間皇子は決起、と言いますが、即座に、いやいや危ない、と言います。赤兄も潜んでいる兵士たちも焦り苛立ちますが、天井裏から様子を覗いている鵲は安堵します。赤兄は有間皇子にさらに酒を勧め、有間皇子は泥酔します。淡路の軍船をどう使うのか、と赤兄が尋ねると、泥酔した有間皇子はついに、中大兄皇子を討つためだ、と言ってしまいます。すると赤兄は、安堵・有間皇子のこれからの運命を予見しての同情と恐怖の入り混じったような表情を浮かべて有間皇子から離れ、即座に兵士たちが踏込み、有間皇子を謀反人として捕えます。牟婁の湯に使者が到着し、有間皇子が謀反人として捕えられたことを報告して、斉明帝と大海人皇子が驚愕した表情を浮かべ、中大兄皇子がほくそ笑む、という場面で今回は終了です。

 今回は、有間皇子の変を中心に、大海人皇子と額田王との再会が描かれ、なかなか濃密な描写で面白く、今後も大いに期待できそうです。有間皇子は外見・言動とともに典型的な雑魚キャラなのですが、有間皇子の変は意外と長く描かれています。おそらく、次回か遅くとも次々回で有間皇子の変は決着となるでしょうが、ほとんどの読者に結末は分かっているだろうとはいっても、魅力的な人間模様が描かれるのではないか、と大いに期待しています。大海人皇子にとっては、またしても中大兄皇子への敗北となるわけで、どのように心境が変化していくのか、注目しています。

 前回、大海人皇子と一晩限りの関係を結んだ女性は、額田王だと明かされましたが、これも多くの読者にとっては予想できたことでしょう。額田王は、美しく聡明で心の強そうな女性として描かれています。これは通俗的な額田王の印象に近いと言えそうで、おそらく、今後額田王は中大兄皇子に寵愛されることになるのでしょう。その経緯と、それに伴う中大兄皇子と大海人皇子の心理的駆け引きが、今後の展開の重要な軸となりそうです。おそらく、中大兄皇子にとっての蘇我入鹿、豊璋にとっての真人(定恵)と同じく、大海人皇子にとっての額田王は、「怪物」の数少ない弱点となりそうです。大海人皇子は、自分の額田王への想いを中大兄皇子に知られているとはまだ気づいていないでしょうから、これは、中大兄皇子が入鹿への想いを大海人皇子に知られていることに気づいていない、という状況と対照的で、二人の心理的駆け引きをさらに面白くしそうな気がします。

 大海人皇子の額田王への想いを中大兄皇子が突いてきそうで、中大兄皇子がどのように大海人皇子から額田王を「奪う」のか、大海人皇子と額田王の『万葉集』収録された著名な歌はどのような状況でのことだったのかということは、この作品の大きな見せ場となりそうです。また、大海人皇子の額田王への想いが、大海人皇子の妻で中大兄皇子の娘である、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹にどのような影響を与えるのか、また大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と大海人皇子との関係はどう描かれるのか、というところも見せ場になりそうです。十市皇女は額田王の娘ということもありますし、政治に翻弄された人生を送ったことからも、重要な役割を担うことになりそうです。この作品は今後も色々と見せ場が多そうで、絵柄にすっかり慣れたということもあり、『イリヤッド』並に続きの楽しみな作品となりました。

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