さかのぼる現代人のY染色体の合着年代

 これは4月9日分の記事として掲載しておきます。現代人のY染色体の新たな系統についての研究(Mendez et al., 2013)が報道されました。この研究では、アメリカ合衆国サウスカロライナ州居住のアフリカ系住民のY染色体について報告されています。このアフリカ系アメリカ人のY染色体は、これまでに報告されている他の現代人のY染色体の系統に当てはまらず、A00と名づけられました。A00と他のY染色体の系統との分岐年代、つまり現代人のY染色体の合着年代は、338000年前(95%の信頼性で581000~237000年前の間)と推定されました。

 また、膨大なデータベースの調査の結果、A00系統が発見されたのは、サハラ砂漠以南のアフリカでもカメルーン西部のごく一部の地域であり、これまでY染色体の系統樹で最初期に分岐したとされてきた系統が高頻度で見られる、ピグミー族やコイサン族ではありませんでした。A00系統において、アフリカ系アメリカ人の系統とカメルーン西部のごく一部の地域で見られる系統との分岐年代は、17000年前(73000~3000年前の間)と推定されています。A00系統を除く現代人のY染色体の合着年代は、この研究では202000年前(382000~125000年前の間)とされており、じゅうらいの研究と比較するとやや古く推定されているようですが、それでも、現代人のY染色体の合着年代が338000年前までさかのぼると推定されたことは、たいへん衝撃的です。

 338000年前というと、現時点での形質人類学・考古学の研究成果では、解剖学的現代人(ホモ=サピエンス、現生人類)の出現する10万年以上前ということになりますが、だからといって、この研究は解剖学的現代人のアフリカ単一起源説を否定するものでも、その妥当性を減じるものでもありません。この研究では、Y染色体の多様性の起源についてより複雑なモデルの想定が提唱され、そうしたモデルの一つとして、解剖学的現代人以外の系統の人類から解剖学的現代人への遺伝子流入という可能性が指摘されています。

 その可能性は確かにあり、他の系統の人類と解剖学的現代人との交雑というと、これまでネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)やデニソワ人(種区分未定)についての研究成果から、おもにユーラシアにおいて想定されてきましたが、アフリカにおいても同様の事例が起きても不思議ではありません。もちろんこれは、現代人のY染色体の合着年代がさかのぼることへの現時点であり得る想定の一つにすぎず、異なる仮説も考えられます。この研究の妥当性の判断については、今後の検証が必要になるでしょうが、もしかなりの程度妥当なのだとすると、Y染色体より偶発系統損失が生じにくいと思われる(男性と女性の潜在的な残せる子孫数の違いに起因します)ミトコンドリアDNAについても、今後の調査の拡大により、現代人の合着年代がさかのぼる可能性は無視できないほどにあるのではないか、と思います。

 この研究に加わったハマー博士は、ミトコンドリアイヴやY染色体アダムといった概念が強調されている現状に警鐘を鳴らしており、単一の遺伝子領域の系統樹が人類集団の分岐を反映している、という考えの危険性を指摘しています。またハマー博士は、アフリカ人やアフリカ系アメリカ人の間でさらに別の系統が発見され、Y染色体の最終共通祖先の年代がさらに古くなる可能性を指摘しています。ハマー博士の指摘はもっともであり、遺伝学の研究成果を人類集団の拡散と結びつけるさいには、慎重でなければならないでしょう。研究者による一般向け書籍でそうした配慮が見られる例もありますが(関連記事)、私にはそうではない場合が多いように思えます。


参考文献:
Mendez FL. et al.(2013): An African American Paternal Lineage Adds an Extremely Ancient Root to the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree. The American Journal of Human Genetics, 92, 3, 454–459.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2013.02.002

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