『天智と天武~新説・日本書紀~』第17話「狂心の渠」
まだ日付は変わっていないのですが、4月26日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年5月10日号掲載分の感想です。前回の最後の場面を、蘇我赤兄が中大兄皇子邸から退出するところを、物陰から大海人皇子が見ている、と私は解釈したのですが、それは赤兄ではありませんでした。今回はその場面の続きとなります。中大兄皇子邸から出て騎乗した人物は塀の角まで来ると馬を走らせ始め、大海人皇子は慌てて配下?の鵲の用意した馬に乗り、その人物を捕捉します。大海人皇子がその人物を確認すると、それは赤兄ではなく宮中で下働きをしている女性でした。女性は、塀の角まで来たら走るように、と中大兄皇子に命じられていたのでした。この女性は囮で、その隙に赤兄は逃げていたというわけです。私もすっかり騙されてしまいました(笑)。
中大兄皇子は、今頃大海人は驚いているだろう、といって高笑いして、大海人の考えることなど自分にはお見通しだ、と呟きます。その中大兄皇子の表情には、寂しさも垣間見られるように思うのですが、この解釈にはあまり自信がありません。中大兄皇子と大海人皇子との関係では、初対面となる鹿狩りがそうだったように、大海人皇子が中大兄皇子を翻弄することが多かったのですが、ここ数回は、孝徳帝を置き去りにして飛鳥へ還都したことや、今回の囮を使って赤兄を逃がしたことなど、中大兄皇子が大海人皇子を出し抜くようになりました。
両者が出会った当初、大海人皇子が中大兄皇子を翻弄したのは、中大兄皇子は相手が何者なのか、確信が持てず疑心暗鬼だったのにたいして、大海人皇子は中大兄皇子が何者なのか、把握していた、という情報格差に起因する、と解釈できるように思います。この時の印象があるからなのか、中大兄は権力欲が強いだけで、中大兄の舵取りをしているのが豊璋だ、大海人皇子は考えていました。しかし、今回のように中大兄皇子が次第に大海人皇子を翻弄するようになってきており、これは、作者も明かしているように(関連記事)、中大兄皇子にはしだいにモンスター的な面が現れてくる、ということでもあるのでしょうが、大海人皇子が何者なのか、中大兄皇子が把握して確信を持つに至った、と解釈してもよさそうに思います。
そうなると、突然皇子として群臣の前で紹介され、群臣の一部には中大兄皇子の下僕だったことも知られている大海人皇子よりも、将来の大君(天皇)の有力候補として若い頃から群臣に認識されており、さらには恐れられている中大兄皇子のほうが立場が強いということもあり、今度は逆に大海人皇子を翻弄するようになる、というのは自然な流れだと思います。しかも、中大兄皇子は次第に怪物化してきているということもありますし、元々優秀ですから、こうなると大海人皇子は中大兄皇子にたいして防戦一方になりそうです。ただ、中大兄皇子の蘇我入鹿への複雑な想いを大海人皇子が把握しているということを、まだ中大兄皇子は知らないようですから、これは大海人皇子にとって中大兄皇子にたいする強力な武器となりそうです。
後飛鳥岡本宮では、運河や石垣の造営のため民が動員され、苦しんでいました。大海人皇子も鵲も民に同情しますが、これはおそらく、鵲は民か民に近い階層の出身で、大海人も乙巳の変から中大兄皇子との鹿狩りまではそうした階層にいたからなのでしょう。こうした工事を民に押し付けて大君はまともではない、と皆憤っている、と鵲が話しかけると、民を動員して苦しめているのは大君ではなく中大兄皇子だ、と大海人皇子は言います。ここは『日本書紀』の記述に基づいた話になっており、天智帝・天武帝の母親にも関わらず、斉明帝は『日本書紀』では批判的に描かれることもあります。
民が土木工事で苦しんでいる状況に憤慨した大海人皇子は、朝廷の会議でこの問題を取り上げます。まず大海人皇子は、「狂心の渠」という言葉をご存知ですか、と問いかけます。石垣や運河の造営の過度な労役に苦しんでいる民が、大君は気がふれていると恨み、嘲笑している言葉なのだ、と指摘した大海人皇子は、このままでは大君のためにならないので、土木事業計画を見直すよう、進言します。『日本書紀』の斉明天皇の巻(第26)には「時人謗曰狂心渠」とあり、今回のタイトルはここから引用されています。
すると中大兄皇子が直ちに、その必要はないと反論します。中大兄皇子は、土木工事は国の内外に朝廷の威容を示し、支配力高めるために重要なのだ、と主張します。大海人皇子が、逃亡者は絶えない状況であり、動員する民がいなくなったらどうするのか、と反論すると、中大兄皇子は冷ややかに笑いながら、いずれ全ての民は大君のものとなるので、どう使うかは大君の決めることだ、と言って母の斉明帝に判断を迫ります。公地公民制が念頭にあるのでしょうか。一方大海人皇子は、賢明なご判断を、と言って母の斉明帝に判断を迫ります。
対立する二人の息子の間で苦悩する斉明帝は、顔色が悪くなって眩暈を起こし、有間皇子が支えます。斉明帝は、このところ辛いことが重なってな、と有間皇子に答えます。それでも斉明帝に返答を迫る大海人皇子を中大兄皇子は一喝し、斉明帝は中大兄皇子の息子で斉明帝にとって孫となる建皇子が亡くなってからとくに気分がすぐれないのだから、つまらない意見で煩わせるな、と叱ります。二人の息子がにらみ合う中、斉明帝は顔を押さえながら、悪いが今日はこれで会議を終わりとする、と言います。
有間皇子が斉明帝を支えながら退出しようとするところに、中大兄皇子が話しかけます。中大兄皇子に湯治に行った温泉を訊かれた有間皇子は、紀伊の牟婁の湯だ、と答えます。病に効くのか、と中大兄皇子に尋ねられた有間皇子は、景色を見るだけでも癒される所だ、と答えます。すると中大兄皇子は、病と偽っても行ってみたくなるのう、と皮肉交じりに言います。前回にて、有間皇子は大海人皇子の進言により心を病んだ振りをしているのではないか、と中大兄皇子は疑っており、それを踏まえた台詞となっています。
有間皇子は一瞬はっとしますが、中大兄皇子はそれ以上有間皇子を追及せず、斉明帝に保養を兼ねての湯治を勧めます。中大兄皇子は自分たちもお供すると言い、大海人皇子にも来るよう誘います。すると、斉明帝は喜んでその気になり、皆で仲よく行こう、と言います。やはり、息子二人の殺し合いになりそうな対立が、斉明帝にとって大きな懸念になっているのでしょう。斉明帝がその気になったことを見た中大兄皇子は、宮中をもぬけの殻とするわけにもいかないと言って、有間皇子に留守居を頼み、去年湯治に行ったばかりだということで、有間皇子も承諾します。
自邸に帰った大海人皇子は、都に残る有間皇子を見守るよう鵲に命じます。大海人皇子と鵲の会話から、大海人皇子が中大兄皇子と遠智媛の娘である大田皇女と鸕野讚良皇女(持統天皇)をすでに妻としているものの、まだ大田皇女は14歳で鸕野讚良皇女は13歳であるし、中大兄皇子が遠智媛の死後すぐに、体よく厄介払いをして、大海人皇子を懐柔するために二人の娘を大海人皇子の妻とした、という事情もあるので、大海人皇子と二人の妻の間に夫婦生活はまだなく、紀伊への湯治にも大海人皇子は二人の妻を連れて行かない、ということが明らかになります。鸕野讚良皇女は今回が作中での初めての言及となりますが、まだ容貌や人物像は明かされておらず、初登場が楽しみです。
今回の話は658年のことでしょうから、作中では645年生まれと推測される大田皇女が14歳という設定には納得します。大海人皇子は、第1話にて645年の時点で13歳であることが明かされていますから、633年生まれということになり、作中では現時点で26歳です。中大兄皇子は乙巳の変の時点で19歳と明かされていますから、作中では627年生まれということになり、通説よりも生まれが1年遅くなります。もっとも、これは作中における年齢の数え方が、数え年と満年齢のどちらかで統一されていないためなのかもしれません。中大兄皇子は、627年生まれとすると、作中では現時点で32歳となります。
大海人皇子は鵲には明かしませんでしたが、大田皇女と鸕野讚良皇女という二人の妻に手を出さないのは、忘れられない女性がいたからでもありました。母の斉明帝や兄の中大兄皇子とともに紀伊へと向かう船の中で、大海人皇子は母の斉明帝に、はじめて月皇子だと認めた日(第8話)のことを回想していました。大海人が中大兄皇子の従者になったことを嘆く宝皇女(斉明帝)は、せめて今宵だけでも泊っていってくれ、と頼みます。大海人皇子は斉明帝と語り合って酔い、寝床に入るとすぐに寝てしまいました。どれくらい時間が経過したか分からない頃、香しい薫りに大海人皇子は目を覚まします。
そこには美しい女性がおり、宝皇女から「添い臥し」を命じられたので受け取ってください、と言われた大海人皇子は、女性と抱き合います。大海人皇子が目を覚ますと、女性はすでにおらず、まるで天女がくりた極上の夢だったのではないか、と大海人皇子は思います。涼やかな声と残り香だけを覚えている大海人皇子ですが、どうなるものでもないと思い、母の宝皇女に女性のことを訊きませんでした。それよりも、自分にはやらねばならないことがある、と大海人皇子は考えていたのですが、それは、父である蘇我入鹿の復讐ということなのでしょう。ただ、それは単に中大兄皇子と豊璋とを殺すということではなく、父の志を実現し、父の名誉を回復する、ということでもあるのだと思います。
その頃都の有間皇子邸では、有間皇子と蘇我赤兄の二人が酒を酌み交わしていました。飲み過ぎだぞ、と赤兄を窘める有間皇子ですが、赤兄は笑いながら、鬼のいぬ間の洗濯だ、こんな時しか朝廷の失政を大声で笑えない、と言います。すると、有間皇子も笑いますが、赤兄は真顔に戻って本気だと言い、有間皇子ならば、腐った朝廷を変えられる、この隙にあの者たちを討とうとは思いませんか、と有間皇子を煽ります。天井からその様子を窺っていた鵲が有間皇子を案じる、という場面で今回は終了です。
今回は、中大兄皇子と大海人皇子との駆け引きを中心に、『日本書紀』の記述を活かした話が展開し、大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹との結婚や、過去の大海人皇子と謎めいた女性との関係も描かれ、密度の濃い面白い話になっていました。有間皇子は次回か次々回で殺されることになりそうですが、赤兄との関係は通説を踏まえつつ面白い描写になりそうで、期待しています。大田皇女・鸕野讚良皇女は、今回は言及されただけで登場しませんでしたが、有間皇子の変が終わったら本格的に描かれそうで、この姉妹の間の関係がどう描かれるのか、注目しています。
大海人皇子と一晩限りの関係を結んだ女性は、おそらく額田王だろうと思います。658年の時点で、大海人皇子(天武天皇)の子供たちのうち、すでに高市皇子と十市皇女は生まれていた可能性が高いでしょうから、十市皇女は大海人皇子と額田王との一晩限りの関係で生まれた、という設定になりそうです。額田王と中大兄皇子(天智天皇)との関係は不明なのですが、おそらく、俗説通り額田王は中大兄皇子に寵愛されることになりそうで、額田王をめぐっての中大兄皇子と大海人皇子との関係も、今後の見どころとなりそうです。額田王と思われる女性を大海人に遣わした宝皇女の意図はよく分かりませんが、中大兄皇子の下でいつ命を落とすか分からないので、せめて一晩だけでも良い思いをさせてやろう、ということなのかもしれません。
この作品は、大海人皇子が入鹿の息子ということや藤原(中臣)鎌足=豊璋という設定など、大前提は通説を否定していまし、作中における外交路線の対立の構図についても、妥当と言えるのか疑問も残りますが、基本的には通説をしっかりと活かした話になっていて、古代史ものとして読める物語になっていますし、すっかり絵柄に慣れてきたということもあり、ますます楽しみになりました。どこまで連載が続くのか、分かりませんが、有間皇子の変の後も、百済の滅亡・斉明帝の崩御・白村江の戦い・近江への遷都など、詳しく描けそうな事件が多くあるので、なるべく長く連載が続くよう、願っています。
中大兄皇子は、今頃大海人は驚いているだろう、といって高笑いして、大海人の考えることなど自分にはお見通しだ、と呟きます。その中大兄皇子の表情には、寂しさも垣間見られるように思うのですが、この解釈にはあまり自信がありません。中大兄皇子と大海人皇子との関係では、初対面となる鹿狩りがそうだったように、大海人皇子が中大兄皇子を翻弄することが多かったのですが、ここ数回は、孝徳帝を置き去りにして飛鳥へ還都したことや、今回の囮を使って赤兄を逃がしたことなど、中大兄皇子が大海人皇子を出し抜くようになりました。
両者が出会った当初、大海人皇子が中大兄皇子を翻弄したのは、中大兄皇子は相手が何者なのか、確信が持てず疑心暗鬼だったのにたいして、大海人皇子は中大兄皇子が何者なのか、把握していた、という情報格差に起因する、と解釈できるように思います。この時の印象があるからなのか、中大兄は権力欲が強いだけで、中大兄の舵取りをしているのが豊璋だ、大海人皇子は考えていました。しかし、今回のように中大兄皇子が次第に大海人皇子を翻弄するようになってきており、これは、作者も明かしているように(関連記事)、中大兄皇子にはしだいにモンスター的な面が現れてくる、ということでもあるのでしょうが、大海人皇子が何者なのか、中大兄皇子が把握して確信を持つに至った、と解釈してもよさそうに思います。
そうなると、突然皇子として群臣の前で紹介され、群臣の一部には中大兄皇子の下僕だったことも知られている大海人皇子よりも、将来の大君(天皇)の有力候補として若い頃から群臣に認識されており、さらには恐れられている中大兄皇子のほうが立場が強いということもあり、今度は逆に大海人皇子を翻弄するようになる、というのは自然な流れだと思います。しかも、中大兄皇子は次第に怪物化してきているということもありますし、元々優秀ですから、こうなると大海人皇子は中大兄皇子にたいして防戦一方になりそうです。ただ、中大兄皇子の蘇我入鹿への複雑な想いを大海人皇子が把握しているということを、まだ中大兄皇子は知らないようですから、これは大海人皇子にとって中大兄皇子にたいする強力な武器となりそうです。
後飛鳥岡本宮では、運河や石垣の造営のため民が動員され、苦しんでいました。大海人皇子も鵲も民に同情しますが、これはおそらく、鵲は民か民に近い階層の出身で、大海人も乙巳の変から中大兄皇子との鹿狩りまではそうした階層にいたからなのでしょう。こうした工事を民に押し付けて大君はまともではない、と皆憤っている、と鵲が話しかけると、民を動員して苦しめているのは大君ではなく中大兄皇子だ、と大海人皇子は言います。ここは『日本書紀』の記述に基づいた話になっており、天智帝・天武帝の母親にも関わらず、斉明帝は『日本書紀』では批判的に描かれることもあります。
民が土木工事で苦しんでいる状況に憤慨した大海人皇子は、朝廷の会議でこの問題を取り上げます。まず大海人皇子は、「狂心の渠」という言葉をご存知ですか、と問いかけます。石垣や運河の造営の過度な労役に苦しんでいる民が、大君は気がふれていると恨み、嘲笑している言葉なのだ、と指摘した大海人皇子は、このままでは大君のためにならないので、土木事業計画を見直すよう、進言します。『日本書紀』の斉明天皇の巻(第26)には「時人謗曰狂心渠」とあり、今回のタイトルはここから引用されています。
すると中大兄皇子が直ちに、その必要はないと反論します。中大兄皇子は、土木工事は国の内外に朝廷の威容を示し、支配力高めるために重要なのだ、と主張します。大海人皇子が、逃亡者は絶えない状況であり、動員する民がいなくなったらどうするのか、と反論すると、中大兄皇子は冷ややかに笑いながら、いずれ全ての民は大君のものとなるので、どう使うかは大君の決めることだ、と言って母の斉明帝に判断を迫ります。公地公民制が念頭にあるのでしょうか。一方大海人皇子は、賢明なご判断を、と言って母の斉明帝に判断を迫ります。
対立する二人の息子の間で苦悩する斉明帝は、顔色が悪くなって眩暈を起こし、有間皇子が支えます。斉明帝は、このところ辛いことが重なってな、と有間皇子に答えます。それでも斉明帝に返答を迫る大海人皇子を中大兄皇子は一喝し、斉明帝は中大兄皇子の息子で斉明帝にとって孫となる建皇子が亡くなってからとくに気分がすぐれないのだから、つまらない意見で煩わせるな、と叱ります。二人の息子がにらみ合う中、斉明帝は顔を押さえながら、悪いが今日はこれで会議を終わりとする、と言います。
有間皇子が斉明帝を支えながら退出しようとするところに、中大兄皇子が話しかけます。中大兄皇子に湯治に行った温泉を訊かれた有間皇子は、紀伊の牟婁の湯だ、と答えます。病に効くのか、と中大兄皇子に尋ねられた有間皇子は、景色を見るだけでも癒される所だ、と答えます。すると中大兄皇子は、病と偽っても行ってみたくなるのう、と皮肉交じりに言います。前回にて、有間皇子は大海人皇子の進言により心を病んだ振りをしているのではないか、と中大兄皇子は疑っており、それを踏まえた台詞となっています。
有間皇子は一瞬はっとしますが、中大兄皇子はそれ以上有間皇子を追及せず、斉明帝に保養を兼ねての湯治を勧めます。中大兄皇子は自分たちもお供すると言い、大海人皇子にも来るよう誘います。すると、斉明帝は喜んでその気になり、皆で仲よく行こう、と言います。やはり、息子二人の殺し合いになりそうな対立が、斉明帝にとって大きな懸念になっているのでしょう。斉明帝がその気になったことを見た中大兄皇子は、宮中をもぬけの殻とするわけにもいかないと言って、有間皇子に留守居を頼み、去年湯治に行ったばかりだということで、有間皇子も承諾します。
自邸に帰った大海人皇子は、都に残る有間皇子を見守るよう鵲に命じます。大海人皇子と鵲の会話から、大海人皇子が中大兄皇子と遠智媛の娘である大田皇女と鸕野讚良皇女(持統天皇)をすでに妻としているものの、まだ大田皇女は14歳で鸕野讚良皇女は13歳であるし、中大兄皇子が遠智媛の死後すぐに、体よく厄介払いをして、大海人皇子を懐柔するために二人の娘を大海人皇子の妻とした、という事情もあるので、大海人皇子と二人の妻の間に夫婦生活はまだなく、紀伊への湯治にも大海人皇子は二人の妻を連れて行かない、ということが明らかになります。鸕野讚良皇女は今回が作中での初めての言及となりますが、まだ容貌や人物像は明かされておらず、初登場が楽しみです。
今回の話は658年のことでしょうから、作中では645年生まれと推測される大田皇女が14歳という設定には納得します。大海人皇子は、第1話にて645年の時点で13歳であることが明かされていますから、633年生まれということになり、作中では現時点で26歳です。中大兄皇子は乙巳の変の時点で19歳と明かされていますから、作中では627年生まれということになり、通説よりも生まれが1年遅くなります。もっとも、これは作中における年齢の数え方が、数え年と満年齢のどちらかで統一されていないためなのかもしれません。中大兄皇子は、627年生まれとすると、作中では現時点で32歳となります。
大海人皇子は鵲には明かしませんでしたが、大田皇女と鸕野讚良皇女という二人の妻に手を出さないのは、忘れられない女性がいたからでもありました。母の斉明帝や兄の中大兄皇子とともに紀伊へと向かう船の中で、大海人皇子は母の斉明帝に、はじめて月皇子だと認めた日(第8話)のことを回想していました。大海人が中大兄皇子の従者になったことを嘆く宝皇女(斉明帝)は、せめて今宵だけでも泊っていってくれ、と頼みます。大海人皇子は斉明帝と語り合って酔い、寝床に入るとすぐに寝てしまいました。どれくらい時間が経過したか分からない頃、香しい薫りに大海人皇子は目を覚まします。
そこには美しい女性がおり、宝皇女から「添い臥し」を命じられたので受け取ってください、と言われた大海人皇子は、女性と抱き合います。大海人皇子が目を覚ますと、女性はすでにおらず、まるで天女がくりた極上の夢だったのではないか、と大海人皇子は思います。涼やかな声と残り香だけを覚えている大海人皇子ですが、どうなるものでもないと思い、母の宝皇女に女性のことを訊きませんでした。それよりも、自分にはやらねばならないことがある、と大海人皇子は考えていたのですが、それは、父である蘇我入鹿の復讐ということなのでしょう。ただ、それは単に中大兄皇子と豊璋とを殺すということではなく、父の志を実現し、父の名誉を回復する、ということでもあるのだと思います。
その頃都の有間皇子邸では、有間皇子と蘇我赤兄の二人が酒を酌み交わしていました。飲み過ぎだぞ、と赤兄を窘める有間皇子ですが、赤兄は笑いながら、鬼のいぬ間の洗濯だ、こんな時しか朝廷の失政を大声で笑えない、と言います。すると、有間皇子も笑いますが、赤兄は真顔に戻って本気だと言い、有間皇子ならば、腐った朝廷を変えられる、この隙にあの者たちを討とうとは思いませんか、と有間皇子を煽ります。天井からその様子を窺っていた鵲が有間皇子を案じる、という場面で今回は終了です。
今回は、中大兄皇子と大海人皇子との駆け引きを中心に、『日本書紀』の記述を活かした話が展開し、大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹との結婚や、過去の大海人皇子と謎めいた女性との関係も描かれ、密度の濃い面白い話になっていました。有間皇子は次回か次々回で殺されることになりそうですが、赤兄との関係は通説を踏まえつつ面白い描写になりそうで、期待しています。大田皇女・鸕野讚良皇女は、今回は言及されただけで登場しませんでしたが、有間皇子の変が終わったら本格的に描かれそうで、この姉妹の間の関係がどう描かれるのか、注目しています。
大海人皇子と一晩限りの関係を結んだ女性は、おそらく額田王だろうと思います。658年の時点で、大海人皇子(天武天皇)の子供たちのうち、すでに高市皇子と十市皇女は生まれていた可能性が高いでしょうから、十市皇女は大海人皇子と額田王との一晩限りの関係で生まれた、という設定になりそうです。額田王と中大兄皇子(天智天皇)との関係は不明なのですが、おそらく、俗説通り額田王は中大兄皇子に寵愛されることになりそうで、額田王をめぐっての中大兄皇子と大海人皇子との関係も、今後の見どころとなりそうです。額田王と思われる女性を大海人に遣わした宝皇女の意図はよく分かりませんが、中大兄皇子の下でいつ命を落とすか分からないので、せめて一晩だけでも良い思いをさせてやろう、ということなのかもしれません。
この作品は、大海人皇子が入鹿の息子ということや藤原(中臣)鎌足=豊璋という設定など、大前提は通説を否定していまし、作中における外交路線の対立の構図についても、妥当と言えるのか疑問も残りますが、基本的には通説をしっかりと活かした話になっていて、古代史ものとして読める物語になっていますし、すっかり絵柄に慣れてきたということもあり、ますます楽しみになりました。どこまで連載が続くのか、分かりませんが、有間皇子の変の後も、百済の滅亡・斉明帝の崩御・白村江の戦い・近江への遷都など、詳しく描けそうな事件が多くあるので、なるべく長く連載が続くよう、願っています。
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