聖徳太子は実在せず? 高校日本史教科書に「疑う」記述

 まだ日付は変わっていないのですが、3月30日分の記事として掲載しておきます。先日、朝日新聞に表題の記事が掲載され、なかなかの話題になったようです。大山誠一氏の聖徳太子非実在説を想起させるような見出しでありながら、紹介されているコラムでは、大山氏が聖徳太子非実在説を主張する前に指摘されていた見解が取り上げられており、見出しに問題があるように思います。この見出しを読んで思うのは、大山氏の聖徳太子非実在説がすでに日本の主要メディアにかなり浸透しているのだろう、ということで、地上波で放送されている『世界ふしぎ発見!』で取り上げられたことなどもあって、非専門家の間では、聖徳太子非実在説が権威として確立しつつあるのではないか、とも思います。

 しかし、大山説に問題が多いことは他の研究者によって指摘されており(関連記事)、大山説を権威として扱っているかのような一部の風潮には大いに疑問が残ります。ただ、『日本書紀』では、後世の作文ではないかと疑われている十七条憲法は聖徳太子の作と明示されているのにたいして、準同時代史料の『隋書』で確認のとれる冠位十二階や遣隋使については、聖徳太子の関与が明示されていないことなど、通俗的に漠然と思い描かれてきた聖徳太子像を見直す必要はあるでしょう。また、『日本書紀』では、聖徳太子と山背大兄王の親子関係が明記されていないのも気にかかります。

 なお、朝日新聞の記事への反応にある、「歴史上それだけの大人物だったのなら推古朝まで記述のある古事記にでてこないのは何故だ、とは思う」とのnorton3rd氏のコメントについては、その意図するところがよく分からないのですが、『古事記』では用明天皇の記事に聖徳太子(廐戸王子)の名前が見えます。あるいは、『古事記』には聖徳太子(廐戸王子)が偉大な人物であることを示す事績が記載されていない、ということを主張しているのかもしれませんが、『古事記』の後半(仁賢天皇以降)の記事には、系譜・宮の場所・崩御した年などは記載されているものの、具体的な言動についての記述はほぼ皆無なので、廐戸王子の偉大な事績が『古事記』に記載されていないことは、聖徳太子非実在説の間接的な証拠にはならないでしょう。

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