『天智と天武~新説・日本書紀~』第1巻発売
まだ日付は変わっていないのですが、3月3日分の記事として掲載しておきます。待望の第1巻が発売されました。第1巻には、
第1話「救世観音」
第2話「乙巳の変」
第3話「日本書紀」
第4話「鹿狩り」
第5話「塩」
第6話「入鹿の霊」
第7話「石川麻呂の最期」
第8話「兄弟再会」
が収録されています。今回は、これまで私には分からなかった作中の設定と今後の展望を中心に簡潔にまとめ、詳しい内容は次回以降述べることにします。
巻末には、原案・監修担当の園村昌弘氏と作画担当の中村真理子氏と哲学者の梅原猛氏とによる鼎談が収録されています。園村氏によると、『天智と天武~新説・日本書紀~』の構想にあたって、もっとも影響を受け、参考にしたのは梅原氏の有名な著書『隠された十字架』とのことですが、以前このブログで述べたように、
https://sicambre.seesaa.net/article/201302article_10.html
改革を進めた聖人である蘇我入鹿こそ聖徳太子で、大海人は入鹿の息子であるという設定など、この作品の基本的な設定は、関裕二氏の最初期の著書と共通するところが多分にあるように思います。
それはさておき、本書の設定についてですが、中大兄皇子は舒明天皇と皇極(斉明)天皇の間の息子です。大海人は蘇我入鹿と皇極天皇(宝皇女)との間の息子の月皇子であり、中大兄皇子の異父弟ということになります。百済の王子で日本(倭国)に人質として送られていた豊璋(扶余豊璋、余豊璋、余豊)が、後に藤原(中臣)鎌足とされたようです。法隆寺夢殿の救世観音像は、聖徳太子を模したとされていますが、この作品では、蘇我倉山田石川麻呂が供養のために入鹿を模して作らせたとされており(石川麻呂の存命中には完成せず、大海人が仏師を脅しつつ制作を続けさせていますが)、聖徳太子のモデル(の一人?)が入鹿のようです。
第5話の冒頭をネットで読んだ時点では、
https://sicambre.seesaa.net/article/201301article_17.html
遠智娘の娘が大田皇女か鸕野讚良皇女(持統天皇)か分からなかったのですが、第4話にて大田皇女と明示されていました。大田皇女は活発で聡明な感じの少女です。乙巳の変の場面には登場しなかった(少なくとも明示されてはいません)古人大兄皇子は、母の名前が明示されていませんが、史実通り舒明天皇と馬子の娘との間の息子で、中大兄皇子の異母兄とされています。古人大兄皇子は中大兄皇子の回想で登場し、二人は少年時代に仲よく魚捕りをするような関係でしたが、豊璋の進言により中大兄皇子は古人大兄皇子とその息子たちを殺害します。入鹿と古人大兄皇子を殺害したことは、中大兄皇子にとってトラウマになっているようです。
作中の話の流れですが、岡倉天心とフェノロサが秘仏とされていた法隆寺夢殿の救世観音像を実地調査するという、明治時代の有名な逸話が冒頭で描かれた後、645年正月へとさかのぼります。ここで、乙巳の変の前の朝廷における人間模様が描かれ、乙巳の変まで話が進んだ後、舞台は一気にその5年後まで進みます。その後は、基本的には時系列に沿って話が展開するのですが、時として、710年の『日本書紀』編纂開始の場面や、650年以前の場面も描かれ、時系列が前後しながら話が進みます。謎解き的要素もある作品なので、この構成はなかなか効果的になっているのではないか、と思います。
現時点では、連載は孝徳帝の治世末期まで話が展開しており、作中でおもに描かれたのは、645年・650年~653年・710年・1884年となります。石川麻呂や孝徳帝の回想で少し描かれましたが、現時点では乙巳の変の後から650年秋までが、作中の空白期間になっており、この間に大海人(月皇子)がどう過ごしていたのか、まだ明かされていません。中大兄皇子に大海人の素性を調べるよう命じられた豊璋は、大海人は忍者の一族に縁があるのではないか、と中大兄皇子に報告しています。これは、「能天文遁甲」という『日本書紀』における天武天皇評を参考にした設定なのでしょうが、この空白の5年間に、大海人はそうした能力を身に着けていったようです。おそらく今後、大海人の空白の5年間も描かれるのでしょう。
現時点では、710年の時点で、豊璋の息子である藤原不比等が実権を握っており、自分に都合のよいように史書を編纂させることができるような大物だった、ということが明かされていますが、不比等がどのように実権を握ったのか、まだ明かされていません。鸕野讚良皇女(持統天皇)の真の敵は同父同母の姉である大田皇女であり、大海人(天武天皇)は大田皇女のほうを寵愛していて、大田皇女が先に亡くなったために鸕野讚良皇女は天武天皇の皇后となったものの、天武天皇への複雑な想いを抱いていた鸕野讚良皇女は、天武天皇崩御後に天武天皇を裏切り、不比等を重用して入鹿の名誉回復を阻んだ、というような話になると、安っぽくて嫌なのですが、どうなるでしょうか。
作中では、間人皇女(中大兄皇子の同父同母妹で孝徳天皇の皇后)や倭姫王(古人大兄皇子の娘で天智天皇の皇后)がまだ登場しておらず、古人大兄皇子と中大兄皇子は親しかったという描写もあるので、倭姫王は今後登場する可能性が高いと思います。間人皇女は、ここまで登場していないのが不思議なくらいなのですが、中大兄皇子との密通を疑う見解もあり、これが作中で取り入れられるような気もします。ただ、間人皇女がここまで登場していないとなると、あるいはさらにひねった設定になるのかもしれません。また、豊璋の唯一の弱点とも言える息子の真人(定恵)が若くして亡くなったことも、作中では重要な意味を持ちそうなので、注目しています。
第1話「救世観音」
第2話「乙巳の変」
第3話「日本書紀」
第4話「鹿狩り」
第5話「塩」
第6話「入鹿の霊」
第7話「石川麻呂の最期」
第8話「兄弟再会」
が収録されています。今回は、これまで私には分からなかった作中の設定と今後の展望を中心に簡潔にまとめ、詳しい内容は次回以降述べることにします。
巻末には、原案・監修担当の園村昌弘氏と作画担当の中村真理子氏と哲学者の梅原猛氏とによる鼎談が収録されています。園村氏によると、『天智と天武~新説・日本書紀~』の構想にあたって、もっとも影響を受け、参考にしたのは梅原氏の有名な著書『隠された十字架』とのことですが、以前このブログで述べたように、
https://sicambre.seesaa.net/article/201302article_10.html
改革を進めた聖人である蘇我入鹿こそ聖徳太子で、大海人は入鹿の息子であるという設定など、この作品の基本的な設定は、関裕二氏の最初期の著書と共通するところが多分にあるように思います。
それはさておき、本書の設定についてですが、中大兄皇子は舒明天皇と皇極(斉明)天皇の間の息子です。大海人は蘇我入鹿と皇極天皇(宝皇女)との間の息子の月皇子であり、中大兄皇子の異父弟ということになります。百済の王子で日本(倭国)に人質として送られていた豊璋(扶余豊璋、余豊璋、余豊)が、後に藤原(中臣)鎌足とされたようです。法隆寺夢殿の救世観音像は、聖徳太子を模したとされていますが、この作品では、蘇我倉山田石川麻呂が供養のために入鹿を模して作らせたとされており(石川麻呂の存命中には完成せず、大海人が仏師を脅しつつ制作を続けさせていますが)、聖徳太子のモデル(の一人?)が入鹿のようです。
第5話の冒頭をネットで読んだ時点では、
https://sicambre.seesaa.net/article/201301article_17.html
遠智娘の娘が大田皇女か鸕野讚良皇女(持統天皇)か分からなかったのですが、第4話にて大田皇女と明示されていました。大田皇女は活発で聡明な感じの少女です。乙巳の変の場面には登場しなかった(少なくとも明示されてはいません)古人大兄皇子は、母の名前が明示されていませんが、史実通り舒明天皇と馬子の娘との間の息子で、中大兄皇子の異母兄とされています。古人大兄皇子は中大兄皇子の回想で登場し、二人は少年時代に仲よく魚捕りをするような関係でしたが、豊璋の進言により中大兄皇子は古人大兄皇子とその息子たちを殺害します。入鹿と古人大兄皇子を殺害したことは、中大兄皇子にとってトラウマになっているようです。
作中の話の流れですが、岡倉天心とフェノロサが秘仏とされていた法隆寺夢殿の救世観音像を実地調査するという、明治時代の有名な逸話が冒頭で描かれた後、645年正月へとさかのぼります。ここで、乙巳の変の前の朝廷における人間模様が描かれ、乙巳の変まで話が進んだ後、舞台は一気にその5年後まで進みます。その後は、基本的には時系列に沿って話が展開するのですが、時として、710年の『日本書紀』編纂開始の場面や、650年以前の場面も描かれ、時系列が前後しながら話が進みます。謎解き的要素もある作品なので、この構成はなかなか効果的になっているのではないか、と思います。
現時点では、連載は孝徳帝の治世末期まで話が展開しており、作中でおもに描かれたのは、645年・650年~653年・710年・1884年となります。石川麻呂や孝徳帝の回想で少し描かれましたが、現時点では乙巳の変の後から650年秋までが、作中の空白期間になっており、この間に大海人(月皇子)がどう過ごしていたのか、まだ明かされていません。中大兄皇子に大海人の素性を調べるよう命じられた豊璋は、大海人は忍者の一族に縁があるのではないか、と中大兄皇子に報告しています。これは、「能天文遁甲」という『日本書紀』における天武天皇評を参考にした設定なのでしょうが、この空白の5年間に、大海人はそうした能力を身に着けていったようです。おそらく今後、大海人の空白の5年間も描かれるのでしょう。
現時点では、710年の時点で、豊璋の息子である藤原不比等が実権を握っており、自分に都合のよいように史書を編纂させることができるような大物だった、ということが明かされていますが、不比等がどのように実権を握ったのか、まだ明かされていません。鸕野讚良皇女(持統天皇)の真の敵は同父同母の姉である大田皇女であり、大海人(天武天皇)は大田皇女のほうを寵愛していて、大田皇女が先に亡くなったために鸕野讚良皇女は天武天皇の皇后となったものの、天武天皇への複雑な想いを抱いていた鸕野讚良皇女は、天武天皇崩御後に天武天皇を裏切り、不比等を重用して入鹿の名誉回復を阻んだ、というような話になると、安っぽくて嫌なのですが、どうなるでしょうか。
作中では、間人皇女(中大兄皇子の同父同母妹で孝徳天皇の皇后)や倭姫王(古人大兄皇子の娘で天智天皇の皇后)がまだ登場しておらず、古人大兄皇子と中大兄皇子は親しかったという描写もあるので、倭姫王は今後登場する可能性が高いと思います。間人皇女は、ここまで登場していないのが不思議なくらいなのですが、中大兄皇子との密通を疑う見解もあり、これが作中で取り入れられるような気もします。ただ、間人皇女がここまで登場していないとなると、あるいはさらにひねった設定になるのかもしれません。また、豊璋の唯一の弱点とも言える息子の真人(定恵)が若くして亡くなったことも、作中では重要な意味を持ちそうなので、注目しています。
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