遠山美都男『聖徳太子の「謎」』
宝島社より2013年2月に刊行されました。書店で歴史本として分類されているもののなかには、聖徳太子を通説では別人とされている人物と実は同一だったと主張するものがあり、聖徳太子と同一とされる人物は、蘇我馬子・蘇我入鹿・突厥の王などさまざまです。また、聖徳太子は妻と心中したので、その死後に法隆寺で怨霊として祀られることになった、といった聖徳太子怨霊説もそうした歴史本で主張されることがあります。そうした「妄想」は、日本古代史の研究者たちが無視している間に現代日本人の間に浸透している、との危機感から、現在の学界の研究水準を踏まえたうえで、聖徳太子とその時代への案内本として本書を執筆した、とのことです。
確かに、本書は聖徳太子の事績と系譜についての説明も詳しく、聖徳太子死後の上宮王家の動向にも触れられており、聖徳太子とその時代への案内本としてなかなか有益だとは思います。ただ、これは遠山氏の見解に全体的に見られる傾向なのですが、仮説自体には説得力があるものの、それを所与の前提というか自明視してしまうところがあり、その仮説から新たな解釈を提示するさいに、説得力のある論証がなされていない場合がたびたびあるように思います。たとえば本書では、大后(的な立場の王族)から即位した事例が古代に複数あることから、大后には大王即位も想定された、という解釈は妥当なところでしょうが、そこから、大王の即位には大后になるべき配偶者が必要であり、舒明(田村王子)と皇極(宝王女)との婚姻もそれを大前提として説明するのは、確かにそうだった可能性もじゅうぶん考えられるものの、断定するのは疑問です。ただ、このように仮説を断言するような明快さが、著者が一般向け書籍の執筆者として出版界から重宝されている一因なのかな、とも思います。
確かに、本書は聖徳太子の事績と系譜についての説明も詳しく、聖徳太子死後の上宮王家の動向にも触れられており、聖徳太子とその時代への案内本としてなかなか有益だとは思います。ただ、これは遠山氏の見解に全体的に見られる傾向なのですが、仮説自体には説得力があるものの、それを所与の前提というか自明視してしまうところがあり、その仮説から新たな解釈を提示するさいに、説得力のある論証がなされていない場合がたびたびあるように思います。たとえば本書では、大后(的な立場の王族)から即位した事例が古代に複数あることから、大后には大王即位も想定された、という解釈は妥当なところでしょうが、そこから、大王の即位には大后になるべき配偶者が必要であり、舒明(田村王子)と皇極(宝王女)との婚姻もそれを大前提として説明するのは、確かにそうだった可能性もじゅうぶん考えられるものの、断定するのは疑問です。ただ、このように仮説を断言するような明快さが、著者が一般向け書籍の執筆者として出版界から重宝されている一因なのかな、とも思います。
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