上原善広「石の虚塔(15)藤村新一、かく語りき」
これは2月26日分の記事として掲載しておきます。『新潮45』2012年3月号掲載の記事です。この連載記事は旧石器捏造事件を扱っており、この第15回が最終回となります。最近になってこの連載を知りましたから、過去14回分は読んでいないので、時間を作って図書館で読もう、と考えています。この最終回では、旧石器捏造事件に関わりのある研究者たちとともに、藤村新一氏(現在は再婚して苗字を変えているそうです)への直接取材が行なわれており、藤村氏の近況を知ることができます。藤村氏は、現在夫婦で福島県南相馬市に住んでおり、東日本大震災の時は、自宅の近くまで津波が来たものの、自宅は揺れただけで大きな被害は受けなかった、とのことです。
藤村氏への取材で、藤村氏は本題の直接旧石器捏造事件に関わりのないことや、本題からやや外れた話題については饒舌に語るものの、本題になると「記憶にない」と言って、詳しく答えようとしません。これは、他の人による藤村氏への取材でも同様のようです。ただ、藤村氏は自分が悪いということは認めており、かつての仲間たちに申し訳ない、という気持ちは語っています。ただ、もう自分は社会的制裁を充分に受けたという思いもあるのか、現実逃避ということなのか、旧石器捏造事件の核心については、思い出したくもない、といった様子が窺えます。
上原氏の見解によると、藤村氏は若い頃より抱えていた鬱屈を自分で説明できる言葉を持っておらず、それを表現する手段として捏造を行ない、見栄っ張りなところもあって、社会からの注目を浴びる快感に酔いしれ、やがて自己完結していったのではないか、ということになります。おそらく、この上原氏の解釈はかなりのところ妥当で、藤村氏の抱えていた鬱屈についても、藤村氏の周囲の人や上原氏の推測通り、学歴や自分を認めてくれない社会に対してというところが、多分にあったのでしょう。もちろん、周囲も気づかず藤村氏本人さえ自覚できていない鬱屈がまだあるのかもしれませんが、そうだとしてもそれが明らかになることはなさそうです。
旧石器捏造事件は考古学上の大事件であり、学説史も踏まえて日本の旧石器考古学界の問題点を見出して検証する必要がありますが、考古学の文脈だけで解明できる問題でもなく、精神病理学的な検証も必要になるのだな、と改めて思いました。ただ、だからといって藤村氏が理解不能な異常人物というわけでもなさそうで、藤村氏くらいの鬱屈を抱えて見栄っ張りな人は、さほど珍しくないように思います。その意味でも、藤村氏を怪物・大詐欺師として認識・糾弾するのではなく、日本の旧石器考古学の文脈を踏まえることを大前提として、旧石器捏造事件検証する必要があるのだと思います。この機会に、このブログの旧石器捏造事件に関係する記事を以下にまとめておきます。
旧石器捏造事件と多地域進化説
https://sicambre.seesaa.net/article/200806article_9.html
旧石器捏造事件の発覚から10年
https://sicambre.seesaa.net/article/201011article_5.html
角張淳一『旧石器掘捏造事件の研究』
https://sicambre.seesaa.net/article/201011article_23.html
松藤和人『検証「前期旧石器遺跡発掘捏造事件」』
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_3.html
岡村道雄『旧石器遺跡「捏造事件」』
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_7.html
竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_17.html
藤村氏への取材で、藤村氏は本題の直接旧石器捏造事件に関わりのないことや、本題からやや外れた話題については饒舌に語るものの、本題になると「記憶にない」と言って、詳しく答えようとしません。これは、他の人による藤村氏への取材でも同様のようです。ただ、藤村氏は自分が悪いということは認めており、かつての仲間たちに申し訳ない、という気持ちは語っています。ただ、もう自分は社会的制裁を充分に受けたという思いもあるのか、現実逃避ということなのか、旧石器捏造事件の核心については、思い出したくもない、といった様子が窺えます。
上原氏の見解によると、藤村氏は若い頃より抱えていた鬱屈を自分で説明できる言葉を持っておらず、それを表現する手段として捏造を行ない、見栄っ張りなところもあって、社会からの注目を浴びる快感に酔いしれ、やがて自己完結していったのではないか、ということになります。おそらく、この上原氏の解釈はかなりのところ妥当で、藤村氏の抱えていた鬱屈についても、藤村氏の周囲の人や上原氏の推測通り、学歴や自分を認めてくれない社会に対してというところが、多分にあったのでしょう。もちろん、周囲も気づかず藤村氏本人さえ自覚できていない鬱屈がまだあるのかもしれませんが、そうだとしてもそれが明らかになることはなさそうです。
旧石器捏造事件は考古学上の大事件であり、学説史も踏まえて日本の旧石器考古学界の問題点を見出して検証する必要がありますが、考古学の文脈だけで解明できる問題でもなく、精神病理学的な検証も必要になるのだな、と改めて思いました。ただ、だからといって藤村氏が理解不能な異常人物というわけでもなさそうで、藤村氏くらいの鬱屈を抱えて見栄っ張りな人は、さほど珍しくないように思います。その意味でも、藤村氏を怪物・大詐欺師として認識・糾弾するのではなく、日本の旧石器考古学の文脈を踏まえることを大前提として、旧石器捏造事件検証する必要があるのだと思います。この機会に、このブログの旧石器捏造事件に関係する記事を以下にまとめておきます。
旧石器捏造事件と多地域進化説
https://sicambre.seesaa.net/article/200806article_9.html
旧石器捏造事件の発覚から10年
https://sicambre.seesaa.net/article/201011article_5.html
角張淳一『旧石器掘捏造事件の研究』
https://sicambre.seesaa.net/article/201011article_23.html
松藤和人『検証「前期旧石器遺跡発掘捏造事件」』
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_3.html
岡村道雄『旧石器遺跡「捏造事件」』
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_7.html
竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_17.html
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