『天智と天武~新説・日本書紀~』第12話「孝徳帝の決意」
まだ日付は変わっていないのですが、2月10日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年2月25日号掲載分の感想です。今回から、「天智と天武~新説・日本書紀~」という区分を設けることにし、過去の関連記事もこの区分に分類することにしました。今回は、蘇我入鹿の暗殺に加担したのに、入鹿の外交路線を継承する孝徳帝に中大兄皇子が苛立っている場面から始まります。中大兄皇子は、孝徳帝を呪詛しているのにまったく効き目が現れないことを忌々しく思っていますが、それだけではなく、孝徳帝が入鹿の方針の継承に拘っていることを不審に思います。
作中ではこれまでにも、中大兄皇子と豊璋がなぜ入鹿を殺害したのか、語られていたのでしょうが、私が読んだ話では、今回はじめて、入鹿殺害の理由が中大兄皇子からはっきりと語られました。入鹿は、百済寄りの外交からの脱却や、遣唐使船による唐への接近や、難波への遷都や、部民制の廃止など、あまりにも急進的な政治改革(これは中大兄皇子の視点でしょうが)を進めたため、それを阻止しようとして、中大兄皇子や豊璋たちが入鹿を殺害した、というわけです。中大兄皇子は入鹿の方針を継承することを止めるよう、孝徳帝に強く迫りますが、孝徳帝はとぼけます。
すると、中大兄皇子は入鹿を斬った剣を抜いて孝徳帝を脅しますが、孝徳帝はそれにも屈せず、豊璋は反対していたはずの遣唐使船に息子の真人(定恵)を乗せており、昔は早すぎた入鹿の政策もやっと時代に合ってきたのだ、と中大兄皇子に反論します。信念とは無縁の男だった孝徳帝が、大君(天皇)に即位してから政策に拘りを見せていることを、中大兄皇子は不審に思い、大海人に孝徳帝を脅すよう命じます。かつて、大海人は父の入鹿に容貌がそっくりであることを利用し、蘇我倉山田石川麻呂や仏師を脅しましたが、今度は同様のことを孝徳帝にやるよう、中大兄皇子に命じられたというわけです。
このとき中大兄皇子は大海人に、皇極「上皇(という呼称は当時まだないわけですが)」のことを我々の母親と言っており、大海人が月皇子であり、自分の異父弟であることを前提に話していますが、大海人のほうは、お戯れを、と言って一応は否定します。私が読んだ話では、回想場面ではありますが、ここではじめて皇極上皇が描かれました。大海人は、恐れ多いと言って中大兄皇子の命を断ろうとしますが、何でもするという条件で自分の従者に取り立てたのではないか、と中大兄皇子に言われ、逆らえません。大海人の配下の鵲は主人のことを心配して手伝おうとしますが、大海人は一人でやることにします。鵲に真人を助けた理由を尋ねられた大海人は、真人は豊璋の泣き所であると同時に、中大兄皇子と豊璋との間の唯一のしこりなので、生かしておいて損はない、と答えます。
大海人は孝徳帝の寝所に侵入し、中大兄皇子の思惑通り、孝徳帝は大海人を入鹿の霊と錯覚しますが、大海人が中大兄皇子に命じられた通りに「おまえに私の真似事などされたくない」と言おうとしたところ、孝徳帝はその途中で遮り、祟りたければ祟れ、何があっても自分は誰の言いなりにもならない、と叫んで自分の覚悟を告白します。孝徳帝は、即位してすぐに入鹿の夢を見て以来、入鹿の無念を晴らすために生きようと決めて、初めて生きがいを感じました。石川麻呂亡き今、入鹿の遺志を継ぎ、魂を鎮められるのは自分だけであり、それでも祟るなら、逃げも隠れもしないから気の済むようにせよ、と孝徳帝は大海人(孝徳帝は入鹿の霊と思っていますが)に告白し、大海人はその迫力に気圧されたのか、沈黙します。
孝徳帝がさらに、石川麻呂の造っていた入鹿の仏像(おそらく、これが法隆寺夢殿に安置されていた救世観音像ということなのでしょう)がどうなったのかだけが気にかかる、と言いかけたところで物音がし、大海人は物音のした方向へ小刀を投げて様子を見に行きますが、すでにそこには誰もいませんでした。孝徳帝はその様子を見て、大海人が入鹿の霊ではなく、姉の皇極上皇から聞いていた月皇子であることを悟ります。大海人に謝罪する孝徳帝に、先ほどの信念を貫き通してくれれば充分だ、と大海人は言い、二人の間には信頼関係が築かれたようです。
孝徳帝を翻意させることに失敗したと中大兄皇子に報告した大海人は、中大兄皇子が左腕を痛がっていることに気づきます。孝徳帝の寝所にて、孝徳帝と大海人の様子を密かに見ていたのは中大兄皇子で、中大兄皇子は大海人の忠節を試そうとしたのでした。孝徳帝の決意の固いことを知った中大兄皇子は、孝徳帝呪詛のための祈祷を止めさせます。一方、孝徳帝は息子の有間皇子に、政務に励む決意を伝えます。豊璋が中大兄皇子に、何か手を打つよう進言し、入鹿の死を自分が無駄にすると思うか、と中大兄皇子が言うところで、今回は終了です。
今回は、謎解きの点で進展があったことともに、凡庸な人物と周囲に思われていた孝徳帝の決意が描かれ、孝徳帝の人物造形に成功したところが収穫で、かなり面白くなっていました。藤原不比等を黒幕とする陰謀史観がこの作品の世界観の基本にあるのではないか、との懸念から、先行きに不安もあったのですが、今後の物語の展開に大いに期待の持てる内容になっていました。『ヒストリエ』は単行本でしか追いかけていないので、連載を追いかける漫画としては、『イリヤッド』以来となり、今では『イリヤッド』並に楽しみな作品となりました。
今回、私の読んだ話では初めて、入鹿の殺害された理由が明示されましたが、聖徳太子や中大兄皇子たちの目指した、天皇(大王)中心の中央集権国家建設という改革の妨げとなったために蘇我本宗家は滅ぼされた、という伝統的な歴史観とは正反対とも言える歴史観を、この作半は採用しているようです。この作品では聖徳太子=蘇我入鹿のようなので、聖徳太子についてはじゅうらいの人物像を踏襲しているところもある、と言えるかもしれませんが、この作品の中大兄皇子と入鹿は、伝統的な歴史観とは正反対の役割を担わされています。
改革を進めた聖人である蘇我入鹿こそ聖徳太子で、大海人は入鹿の息子であるという設定は、『聖徳太子は蘇我入鹿である』(フットワーク出版、1991年)や『天武天皇 隠された正体』(KKベストセラーズ、1991年)という関裕二氏の最初期の著書で提示された見解を採用しているのではないか、とも思います。まあ、原作者が関氏の著書を参考にしているのか、確証はありませんが。関氏はその後も精力的に執筆活動を続けているようですが、私が関氏の著書で読んだのは上記の二冊だけなので、現在の関氏の見解がどのように変わったのか、それとも変わっていないのか、よく分かりません。関氏の著書を読んだのは20年以上前のことであり、その後ほとんど読み直していないので、最近になって『天智と天武~新説・日本書紀~』を読み始め、当時のことを思いだしてやや懐かしさもあります。
作中ではこれまでにも、中大兄皇子と豊璋がなぜ入鹿を殺害したのか、語られていたのでしょうが、私が読んだ話では、今回はじめて、入鹿殺害の理由が中大兄皇子からはっきりと語られました。入鹿は、百済寄りの外交からの脱却や、遣唐使船による唐への接近や、難波への遷都や、部民制の廃止など、あまりにも急進的な政治改革(これは中大兄皇子の視点でしょうが)を進めたため、それを阻止しようとして、中大兄皇子や豊璋たちが入鹿を殺害した、というわけです。中大兄皇子は入鹿の方針を継承することを止めるよう、孝徳帝に強く迫りますが、孝徳帝はとぼけます。
すると、中大兄皇子は入鹿を斬った剣を抜いて孝徳帝を脅しますが、孝徳帝はそれにも屈せず、豊璋は反対していたはずの遣唐使船に息子の真人(定恵)を乗せており、昔は早すぎた入鹿の政策もやっと時代に合ってきたのだ、と中大兄皇子に反論します。信念とは無縁の男だった孝徳帝が、大君(天皇)に即位してから政策に拘りを見せていることを、中大兄皇子は不審に思い、大海人に孝徳帝を脅すよう命じます。かつて、大海人は父の入鹿に容貌がそっくりであることを利用し、蘇我倉山田石川麻呂や仏師を脅しましたが、今度は同様のことを孝徳帝にやるよう、中大兄皇子に命じられたというわけです。
このとき中大兄皇子は大海人に、皇極「上皇(という呼称は当時まだないわけですが)」のことを我々の母親と言っており、大海人が月皇子であり、自分の異父弟であることを前提に話していますが、大海人のほうは、お戯れを、と言って一応は否定します。私が読んだ話では、回想場面ではありますが、ここではじめて皇極上皇が描かれました。大海人は、恐れ多いと言って中大兄皇子の命を断ろうとしますが、何でもするという条件で自分の従者に取り立てたのではないか、と中大兄皇子に言われ、逆らえません。大海人の配下の鵲は主人のことを心配して手伝おうとしますが、大海人は一人でやることにします。鵲に真人を助けた理由を尋ねられた大海人は、真人は豊璋の泣き所であると同時に、中大兄皇子と豊璋との間の唯一のしこりなので、生かしておいて損はない、と答えます。
大海人は孝徳帝の寝所に侵入し、中大兄皇子の思惑通り、孝徳帝は大海人を入鹿の霊と錯覚しますが、大海人が中大兄皇子に命じられた通りに「おまえに私の真似事などされたくない」と言おうとしたところ、孝徳帝はその途中で遮り、祟りたければ祟れ、何があっても自分は誰の言いなりにもならない、と叫んで自分の覚悟を告白します。孝徳帝は、即位してすぐに入鹿の夢を見て以来、入鹿の無念を晴らすために生きようと決めて、初めて生きがいを感じました。石川麻呂亡き今、入鹿の遺志を継ぎ、魂を鎮められるのは自分だけであり、それでも祟るなら、逃げも隠れもしないから気の済むようにせよ、と孝徳帝は大海人(孝徳帝は入鹿の霊と思っていますが)に告白し、大海人はその迫力に気圧されたのか、沈黙します。
孝徳帝がさらに、石川麻呂の造っていた入鹿の仏像(おそらく、これが法隆寺夢殿に安置されていた救世観音像ということなのでしょう)がどうなったのかだけが気にかかる、と言いかけたところで物音がし、大海人は物音のした方向へ小刀を投げて様子を見に行きますが、すでにそこには誰もいませんでした。孝徳帝はその様子を見て、大海人が入鹿の霊ではなく、姉の皇極上皇から聞いていた月皇子であることを悟ります。大海人に謝罪する孝徳帝に、先ほどの信念を貫き通してくれれば充分だ、と大海人は言い、二人の間には信頼関係が築かれたようです。
孝徳帝を翻意させることに失敗したと中大兄皇子に報告した大海人は、中大兄皇子が左腕を痛がっていることに気づきます。孝徳帝の寝所にて、孝徳帝と大海人の様子を密かに見ていたのは中大兄皇子で、中大兄皇子は大海人の忠節を試そうとしたのでした。孝徳帝の決意の固いことを知った中大兄皇子は、孝徳帝呪詛のための祈祷を止めさせます。一方、孝徳帝は息子の有間皇子に、政務に励む決意を伝えます。豊璋が中大兄皇子に、何か手を打つよう進言し、入鹿の死を自分が無駄にすると思うか、と中大兄皇子が言うところで、今回は終了です。
今回は、謎解きの点で進展があったことともに、凡庸な人物と周囲に思われていた孝徳帝の決意が描かれ、孝徳帝の人物造形に成功したところが収穫で、かなり面白くなっていました。藤原不比等を黒幕とする陰謀史観がこの作品の世界観の基本にあるのではないか、との懸念から、先行きに不安もあったのですが、今後の物語の展開に大いに期待の持てる内容になっていました。『ヒストリエ』は単行本でしか追いかけていないので、連載を追いかける漫画としては、『イリヤッド』以来となり、今では『イリヤッド』並に楽しみな作品となりました。
今回、私の読んだ話では初めて、入鹿の殺害された理由が明示されましたが、聖徳太子や中大兄皇子たちの目指した、天皇(大王)中心の中央集権国家建設という改革の妨げとなったために蘇我本宗家は滅ぼされた、という伝統的な歴史観とは正反対とも言える歴史観を、この作半は採用しているようです。この作品では聖徳太子=蘇我入鹿のようなので、聖徳太子についてはじゅうらいの人物像を踏襲しているところもある、と言えるかもしれませんが、この作品の中大兄皇子と入鹿は、伝統的な歴史観とは正反対の役割を担わされています。
改革を進めた聖人である蘇我入鹿こそ聖徳太子で、大海人は入鹿の息子であるという設定は、『聖徳太子は蘇我入鹿である』(フットワーク出版、1991年)や『天武天皇 隠された正体』(KKベストセラーズ、1991年)という関裕二氏の最初期の著書で提示された見解を採用しているのではないか、とも思います。まあ、原作者が関氏の著書を参考にしているのか、確証はありませんが。関氏はその後も精力的に執筆活動を続けているようですが、私が関氏の著書で読んだのは上記の二冊だけなので、現在の関氏の見解がどのように変わったのか、それとも変わっていないのか、よく分かりません。関氏の著書を読んだのは20年以上前のことであり、その後ほとんど読み直していないので、最近になって『天智と天武~新説・日本書紀~』を読み始め、当時のことを思いだしてやや懐かしさもあります。
この記事へのコメント
天智と天武、最近読んだのですが、とても面白いと思います。早速コミック1、2を買ってきました。
私は、関さんの本を10冊位読みましたが、この天智と天武は関さんが原案だとばかり思いました・・・。
歴史は勝者の都合のいい伝承、聖徳太子は架空(蘇我氏の業績を蘇我氏から切り離したもの)、中大兄は守旧派、藤原鎌足=豊璋・・・
トンデモ扱いされている関さんですが、面白く又納得・理解しやすい説明・切り口も多く、面白い作品が多いです。
また、時折拝見させていただきます。
関裕二氏の著書で私が読んだのは最初期のものだけなのですが、それでも、『天智と天武』を読んでまず想起したのが関説でした。
まあ、九州王朝と出雲王朝といった関説の根幹は採用されていないようですし、大海人が中大兄よりも年少といったところも、関説とは異なりますが、関氏が『天智と天武』をどう思っているのか、気になるところではあります。