大河ドラマ『平清盛』全体的な感想(2)脚本・演出の特徴と音楽

 まだ日付は変わっていないのですが、1月7日分の記事として掲載しておきます。全体的な感想(1)は以下の記事で述べました。
https://sicambre.seesaa.net/article/201301article_5.html

 この作品を最初から最後まで貫く特徴として、河内源氏と伊勢平氏、清盛と義朝・頼朝、璋子(待賢門院)と得子(美福門院)など対照的な二者を対比する脚本・演出が挙げられます。頼長と信西(高階通憲)や璋子と得子や由良と常盤など、主人公の周囲から外れた人物の対比的描写にも印象的なところがありましたが、やはり主人公の清盛をめぐる対比的な描写にもっとも力が入れられていたように思います。清盛のライバルは、武士では、序盤から中盤までが義朝で、ライバルというには終盤まで力不足なところがありましたが、中盤~終盤までが頼朝だったように思います。清盛の場合、これら加えて後白河院とのライバル関係が、後白河院の即位前より最終回の直前まで続きます。

 清盛と義朝とは、当初義朝のほうが有能で魅力的に描かれ、対照的に清盛は情けないところや青臭さが強調されます。これが保元の乱後の処理を境に逆転し、清盛が大人物としての風格を身に着けていくのにたいし、義朝には焦りと器の小ささが目立つようになります。清盛と頼朝の関係も同様で、清盛がその地位・権力を高め自身に満ち溢れていたとき、頼朝は伊豆で逼塞しており、恋仲の八重との別離・息子の殺害のために、すっかり無気力になってしまいました。しかし、地位・権力を高めた清盛の中の物の怪の血が強く出て、清盛が自分を見失いつつあったとき、頼朝は政子との出会いにより覚醒しました。清盛と後白河院との場合、もともと身分・立場が大きく異なるということもあってか、対照的な状況の比較という演出ではなく、ともに自らの権力を高めていこうと駆け引きをすることが、双六により象徴的に表現されました。

 また、ライバル関係にある対照的な二者それぞれの場面を交互に見せる演出もこの作品の特徴でしたが、成功ばかりとは言えず、失敗も少なからずあったのではないか、と思います。失敗の代表例が、第42回「鹿ヶ谷の陰謀」における、清盛と頼朝・政子だったのではないか、と思います。明日を見失いつつあった清盛と、見失っていた明日を再度見つけた頼朝の対比という脚本・演出の意図はよく伝わってきましたが、正直なところ、冗長になって緊張感を失わせたのではないか、と思います。西光役の加藤虎ノ介氏の熱演を活かすためにも、西光への拷問の場面に伊豆の頼朝・政子の場面を挿入するというか、交互に場面を切り替えていく演出ではないほうがよかったのではにないか、と思います。

 成功例として即座に思い浮かぶのは、第21回「保元の乱」における帝方と上皇方の軍議との対比で、『孫子』を用いての信西と頼長との違いを浮き彫りにする脚本・演出は、役者の好演もあって、素晴らしい場面になっていたと思います。第21回「保元の乱」への期待は大きかったので、前半でこの場面を見た時には、大傑作回になるのではないか、と興奮したものです。全50回のなかで、私がもっとも盛り上がったというか、期待が高まったのが、この場面でした。ただ、第21回はその後に冗長で不自然な一騎討ちがあったのがたいへん残念でした。

 この冗長で不自然な一騎討ちは、第6回「西海の海賊王」や第27回「宿命の対決」でも見られましたが、主要人物同士の一騎討ちという演出はドラマ・映画のお約束といった感があり、陳腐な感が否めません。私はこのお約束に昔からなじめないので、こうした演出がどうも好きになれませんでした。この作品は、演出・映像造りという点で、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』を志向していたのでしょうが、そうした新たな試みが強く見られる一方で、主要人物同士の一騎討ちのような陳腐な演出も同居しており、やや雑然とした印象を受けました。

 前半の脚本・演出で目立ったのは過激な性的描写で、とくに宮中において顕著でした。白河院・鳥羽院・璋子・得子の関係は保元の乱へといたる過程を説明するうえで重要だったので、性的描写が不要とは思いませんが、それにしてもやり過ぎた感は否めません。年齢制限のある映画でも放送時間帯が深夜の連続テレビドラマでもなく、日曜午後8時に日本中で放送されているわけですから、脚本・演出にもっと工夫があってしかるべきだったのではないか、と思います。おそらく、過激な性的描写により離れた視聴者も少なくないのではないか、と思います。天皇家以外の性的描写では、頼長と家盛との関係で男色が描かれました。こちらのほうが衝撃的だったかもしれませんが、放送は第14回「家盛決起」だけだったので、視聴者離れという点では、宮中での性的描写ほど影響はなかったように思います。

 伏線の多用もこの作品の特徴で、これは同じ脚本家による朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』でも同様でした。清盛に受け継がれた物の怪の血は、終盤になって一時強く表れ、清盛が白河院の実子であることが改めて印象づけられるとともに、御落胤説の採用が意味のあるものだったことを認識させられました。若い頃には物の怪たる白河院とその政治にたいする反発の目立った清盛が、最初の妻である明子の死の時などに見せた言動は、完結した今になってみると、後年の清盛の振る舞いを示唆するものでした。また、後白河院も即位前から、清盛が物の怪の血を受け継いでいることを指摘していました。

 この他にも、重盛をめぐる後白河院と清盛との双六や、清盛と信西の出会いと信西の最期や、時忠と幼い頃の宗盛との会話や、若き日の清盛・義朝・義清(西行)が夢を語り合った場面や忠正の竹馬など、伏線が多用されました。最初から最後まで熱心に視聴を続けた人ならば、こうした伏線の発見もこの作品の魅力になったでしょうが、こうした伏線を意識した作りは、新規の視聴者の獲得を難しくして、視聴率が低迷した一因でしょうし、伏線を狙いすぎた感もある作りにうんざりとした視聴者も少なからずいるかもしれません。

 コーンスターチを多用した「画面の汚し」は、この作品においてとくに評判の悪い演出で、都での多用も不満でしたが、海戦でもコーンスターチを多用した時には、さすがに唖然としました。これと暗い画面により見辛かったことが、視聴率低迷の一因だったのでしょう。確かに、現代日本社会では想像しにくいような汚さが、中世初期の都にはあっただろうとは思うのですが、砂漠地帯にあるわけでもない平安京の汚さが、コーンスターチの多用により表現されるとはとても思えません。コーンスターチの多用は出演者にも大いに負担をかけているようですし、今後の大河ドラマではこの作品のように多用されることがないよう、願っています。

 小道具への拘りが強いこともこの作品の特徴で、清盛の宋剣・清盛と後白河院との双六・頼長の鸚鵡(鸚鵡を小道具というのも変な気がしますが)・鳥羽と璋子の水仙などが挙げられます。これらの小道具は象徴的に上手く使われており、納得することが多々ありました。清盛の宋剣は、清盛の強さと清盛の国造りの礎にある宋への憧れの象徴となっており、終盤になって清盛が迷走したときに剣が錆びていたのは、見事な演出だったと思います。清盛と後白河院との関係を双六遊びにたとえたのも、鳥羽院と璋子との関係というか絆の象徴となった水仙の使い方も上手かったと思いますが、なんといっても大成功だったのは頼長の飼っていた鸚鵡です。鸚鵡は頼長の象徴だった感があり、頼長の才と孤独とを表現していたのではないかな、とも思います。頼長と鸚鵡の最期は、たいへん印象に残るものでした。

 この作品の音楽は素晴らしく、それ故に『平清盛×吉松隆:音楽全仕事 NHK大河ドラマ《平清盛》オリジナル・サウンドトラック』を購入し、
https://sicambre.seesaa.net/article/201212article_22.html
これを聴きながらこの記事を執筆していますが、つい記事の執筆よりも音楽のほうに気を取られてしまうこともあるくらいです。ただ、個々の曲自体は素晴らしいものの、場面に合っていないというか、どうも違和感のある選曲になっていたことが何度かあり、これは演出の問題だと思います。また、「遊びをせんとや」の曲があまりにも多用された感は否めません。音楽自体は素晴らしいものの、適切な使用ができていなかったのではないか、というのが正直な感想です。

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