大河ドラマ『平清盛』全体的な感想(1)主人公の清盛について

 まだ日付は変わっていないのですが、1月5日分の記事として掲載しておきます。この一年間、ひじょうに熱心に視聴してきたので、色々と語りたいことはあるのですが、多忙で疲れているので、なかなか執筆が進みません。まずは簡単に全体的な話の構造について触れますが、活力にあふれる武士が、退廃的で乱れた王家・貴族に見下されつつも、彼らに取って代わって新しい世を作る、という現代日本社会では広く浸透している歴史観に基づいたものになっています。また、清盛や重盛の描写をはじめとして後半は、かなりのところ「平家物語史観」に依拠しているように思われ、話の根本的なところは、現代日本社会では馴染みの歴史観というか物語に準じたものになっている、と言えそうです。

 その意味で、この作品は多くの視聴者にとって親しみやすいものになる可能性もあったわけですが、大河ドラマとしては空前の低視聴率に終わってしまいました。その要因として、コーンスターチの多用に象徴される見づらい映像だったことや、大河ドラマとしては過激な性的描写も挙げられそうですが、それらは次回以降に述べることにします。根本的なところで馴染みのある歴史観・物語に準じているということは、陳腐な話になる可能性もあるわけですが、この作品には大将同士の不自然な一騎討ちなど陳腐な描写も少なからずあったとはいえ、それゆえに多くの視聴者が見離した、というわけではないように思います。

 では、大河ドラマとしては空前の低視聴率という観点で、何が問題だったのかというと、それは主人公の清盛の立ち位置が定まらなかったというか、清盛の人物像がふらついているように見えたからではないか、と思います。それは一つには、清盛の本質を描くにあたって、武士、物の怪の血、既存の権威への反発者・無頼者というように、多面的な性格を盛り込んだためでもあるでしょう。ただ、この作品の清盛を構成するこうした要素は、それぞれ個別に存在して結果として多重人格の清盛像が提示されているというわけではなく、物の怪の血を受け継いでいることが既存の権威への反発者として顕現するという側面もあっただろう、と思います。

 清盛の人物像がふらついているように見えたのは、清盛の英雄譚というよりも、清盛を主人公としつつも、平安時代末期の群像劇を目指したように思われるこの作品の志向とも関連しているのでしょう。偉大な主人公にすべてが収斂する単純明快な物語を志向しなかったように、主人公をはじめとして主要人物についても、単純明快な人物造形にするのではなく、多様な側面を描こうとしたのではないか、と思います。頼長や信西もそうでしたが、主要人物については、ある側面だけを強調するのではなく、人間の複雑なところをできるだけ描こうとしたのでしょう。

 もう一つの問題点は、清盛の若い頃に既存の権威への反発者・無頼者としての本質から青臭さが強調された一方で、有能なところや人間的魅力があまり描かれなかったことで、この期間が長すぎたことが、主人公としての清盛の魅力を乏しいものにしてしまった感があります。それは、棟梁になる前の清盛をそれなりに詳しく描きながらも、清盛が伊勢平氏一門の棟梁として相応しい大人物になるための最後の関門として、叔父である忠正の斬首を設定するという、物語上の構造に起因するものでした。おそらく、これは物語を構築するにあたってかなり早い段階で決まった構想であり、それに合わせて清盛の言動・人物像が構築されていったのではないか、と思います。それが成功したのかとなると、忠正の斬首までに半分近くを費やすという時間配分からして、むしろ失敗したという側面のほうが大きかったのではないか、と思います。

 確かに、忠正は魅力的に描けていましたし、保元の乱前後の忠正の描写はこの作品を盛り上げましたから、この創作はあるていど成功したとは思います。しかし、物語の半ば近くまで主人公の覚醒を引っ張ったのは、1年続く連続テレビドラマとしては、問題のある構成だったように思います。忠正の斬首を清盛にとって最後の関門とするならば、保元の乱をもっと早く迎えるような時間配分にすべきだったように思いますが、保元の乱へといたる過程にもあるていど時間を割かねばならないでしょうし、じっさいにこの作品では面白い話も多かったので、あえて清盛にとって最後の関門を設定するとしたら、祗園闘乱事件が相応しかったかもしれません。

 また、清盛の最終的な「覚醒」は忠正の斬首にしても、白河院の御前での舞・義朝との競馬・海賊討伐・結婚・最初の妻の死・祗園闘乱事件・忠盛の死と棟梁の座の継承・保元の乱直前の不穏な政治情勢などを通じて、清盛はじょじょに成長していったのですが、最終的な「覚醒」が忠正の斬首であるため、保元の乱が近づくにつれて、人物像のぶれがより強く印象づけられることににったのではないか、とも思います。これは物語の基本的な構想に起因する問題なので、途中での修正はなかなか難しかったかもしれません。

 ただ、青臭い頃の清盛が魅力に欠けたとはいっても、では「覚醒」後の清盛が魅力的だったかというと、大河ドラマの主人公としては疑問の残るところです。「覚醒」後の清盛は大人物として朝廷で重きをなし、政治が綺麗事だけでは動かないことをよく理解した、清濁併せ呑む大政治家として描かれました。自身および平家一門の地位・権力を高めつづけた清盛は、自身の国造りに邁進します。清盛の思い描く国造りは、青臭かった若い頃からの理想を抱き続けているかのようであり、先進的な宋との交易を通じて豊かになって、民も虐げられることなく幸せに暮らす世の実現が目指されました。

 しかし、自身の権力を高めていった清盛は、しだいに権力への妄執を強め、専制的になっていき、白河院を髣髴とさせます。ここで、清盛が白河院という物の怪の血を受け継ぐ者であるという設定が活きてきます。反体制的というか既存の権威に反抗する無頼者であった若い頃にも、清盛が物の怪の血を受け継ぐ者であることを、雅仁親王(後白河院)が指摘したり、清盛の最初の妻である明子が死んだ時に伊勢平氏一門が危惧したりしていました。私は、清盛が白河院の御落胤という説を支持していませんが、この作品で御落胤説が採用されたのは、たんによく知られている説だからということ以上の意味が込められており、物語としては面白くなっているように思います。

 清盛は、物の怪の血を受け継いでいるとともに、忠盛に引き取られて武士として育てられた、という自覚・自己認識も有していました。清盛の養父の忠盛は、清盛の生母である舞子を殺してしまうような白河院の理不尽な政治に憤り、武士の世を目指し、白河院をはじめとして王家・貴族の腐敗・堕落に憤っていた清盛も、父の理想を受け継いで武士の世を目指します。武士の世を目標とする国造りについて、清盛が若い頃には理想に重点が置かれていた感がありますが、家貞や時忠などの台詞にて、しだいに私欲が根本にあることが明かされていきました。これが、復讐を動機とする清盛の国造りという話につながるのですが、これは西光(藤原師光)が絡んできて、なかなか面白い創作になっていたと思います。

 物の怪の血と武士の魂の間で苦悩するのが後半~終盤の清盛で、清盛は一時物の怪の血のほうに強く引きずられるものの、ともに武士の世を目指した義朝の子である頼朝の挙兵により、武士の魂を回復する、というのが後半の大きな話の流れになっています。後半~終盤にかけて、清盛に内在する物の怪の血が強く顕現したとき、清盛はひじょうに加虐的で冷酷な独裁者として物語の世界に君臨します。こうした専制的で残酷な清盛像は、『平家物語』などの古典に源泉のある、現代日本社会では馴染みの伝統的な歴史観に基づくものと言えるでしょうが、この作品では、たんに地位・権力が高まって驕った結果としてではなく、物の怪の血を受け継いでいるという、清盛の宿命に基づくものとの設定になっており、物語としてより深みがあるのではないか、と思います。

 ただ、こうした清盛の人物像が、大河ドラマの主人公として魅力的かというとそうではなく、むしろ頼朝や義経を主人公とした作品において、敵役として映える人物造形になっているのではないか、と思います。こうしたところも、後半~終盤にかけて視聴率が回復するどころかさらに低迷した一因になっているのではないか、と思います。もっとも、基本的には一話完結ではない長丁場の大河ドラマでは、最終回かその直前でもないかぎり、途中から新規の視聴者が大量に参入するとか、一度離れた視聴者が戻ってくるという可能性は低そうだという事情もあるでしょう。

 以上、低視聴率の一因になったと思われる、この作品における清盛の人物像について概観しましたが、人間の個性は単純に割り切れるものではないでしょうから、清盛を理想に向かって一直線に邁進する大人物というように描かず、さまざまに苦悩しながら決断していく存在として提示しようとしたことは、間違いではなかったように思います。もっとも、最終的な「覚醒」が作品の半ば近くになってしまったという時間配分の問題と、それまでに有能なところや大物感をあまり描けていなかったことは否定できないでしょうから、大河ドラマの主人公という観点からは、人物造形に失敗したところが多分にあるように思います。ただ、群像劇の主要人物の一人としてならば、これでもよいかな、とも思います。

 このように清盛が魅力に欠けるところのある主人公になってしまった理由を考えると、邪推になるのですが、脚本家の思い入れが、脇役である璋子(待賢門院)・頼長・西光よりも低かったためではないかな、という気もします。本放送の視聴でもそう思いましたが、小説版を読むと、璋子・頼長・西光への脚本家の思い入れが強いことがよく分かります。これは、配役の問題も絡んでいるのかもしれず、西光役の加藤虎ノ介氏は、同じ脚本家の『ちりとてちん』の時の縁もあってか、明らかに脚本家のお気に入りの俳優だろう、と思います。一方、清盛については、脚本家はNHKから清盛を主人公とする作品を依頼され、色々と調べて執筆したものの、どうも清盛にあまり魅力を感じず、そのこともあって、群像劇的性格の強い作品になったのではないか、と思うのですが、これは的外れな見解かもしれません。

 当初の構想では、文字数制限に引っかかりそうだということもあって、ドラマ自体の感想を述べた記事と、ドラマの全体的な構造と人物造形を中心に、ドラマと歴史学との距離の問題を扱う記事でこの作品を概観しようとしたのですが、主人公の清盛について語ろうとしただけで長くなってしまい、それでもまだ言い足りないところがあるように思っているくらいなので、一つの記事にまとめるのではなく、分割して掲載することにします。そこで、今回はここまでとし、ドラマ自体の感想はもう一回か二回、別の観点から述べるつもりです。この作品はたいへん評判が悪いのですが、本放送の大河ドラマとしては2007年放送の『風林火山』以来のはまった作品ですので、まとまりのない記事になりそうではあるものの、思いついたことを色々と述べていくつもりです。

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