『天智と天武~新説・日本書紀~』第9話「月皇子」・第10話「豊璋の泣き所」

 まだ日付は変わっていないのですが、1月24日分の記事として掲載しておきます。第9話・第10話は『ビッグコミック』2013年1月10日号・25日号に掲載されています。この作品も『ヒストリエ』と同じく単行本で読むだけにしようとも考えたのですが、入手の容易な雑誌ですし、月に2回刊行されて休載が多いというわけでもないようなので、連載を追いかけることにしました。第10話掲載の2013年1月25日号は古書店で購入しましたが、第9話掲載の2013年1月10日号は蕎麦屋で偶然読みました。現時点ではこの第9話・第10話と第5話
https://sicambre.seesaa.net/article/201301article_17.html
を読んだだけなので、来月末に刊行予定の第1巻を読むまでは、これまでの話や人物造形について不明な点が多々あり、断片的な推測しかできないという状況です。以下、あくまでこの3話しか読んでいない現時点での推測です。

 中大兄皇子(葛城、天智天皇)は通説通り舒明天皇と皇極(斉明)天皇との間の子ですが、大海人皇子(天武天皇)は蘇我入鹿と皇極天皇の間の子であり、中大兄の異父弟ということになります。なお、当時は天皇という称号が用いられていなかった、という説が有力で、(治天下)大王と呼ばれていたとされますが、この作品では、大王ではなく大君と表記されています。入鹿は文武に長けた聖者といった感じで、後世に伝わる聖徳太子像の原型のようです。入鹿は唐や新羅との通交を考えており、倭国(日本)に滞在している百済の王子である豊璋は、祖国の将来を案じ、入鹿の外交路線が祖国にとって危険だと考え、中大兄と組んで入鹿を殺害します。この豊璋は、どうも扶余豊璋(余豊璋、余豊)のようです。

 乙巳の変の前、大海人は月皇子と呼ばれていました。乙巳の変で蘇我本宗家が滅亡した際、大海人は友人に身代わりになってもらい、落ち延びました。その後、中大兄の従者となった大海人は、中大兄と豊璋に復讐する機会を窺います。大海人は、中大兄は権力欲が強いだけで、中大兄の舵取りをしているのが豊璋だ、と考えています。ただ、第9話・第10話を読んだかぎりでは、中大兄は権力欲が強く冷酷というだけではなく、かなり優秀で豪胆な人物のようにも思えます。また、中大兄は大海人が入鹿の息子だということに気づいているようですが、それでも従者としました。

 これは、中大兄の入鹿への複雑な想いのためであるようです。中大兄は少年時代、文武に長けた優秀な入鹿に憧れており、そこには性的な意味合いも含まれていたようです。思春期における同性の先輩への性的意味合いも含まれる憧れは、近現代の学校社会では普遍的に見られる現象のようですし、それは潜在的には人間の普遍的な心性に由来するものではないか、と思います。それが、飛鳥時代の宮廷社会でも見られたのか、となると確証はありませんが、そうした憧れを抱く王族が当時いたとしても、とくに不思議ではないだろう、とは思います。

 入鹿に憧れる中大兄が豊璋の計画にのって入鹿を討ったのは、権力欲や外交路線の対立ということだけではなく、乙巳の変の少し前に、入鹿が月皇子を中大兄に会わせようとして、中大兄に真相を打ち明けたことが大きいように思われます。皇極天皇は、舒明天皇の皇后(当時は皇后という呼称はまだ採用されていなかったでしょうが)だった時に入鹿との間の息子を産んだわけで、現代の概念で言えば、入鹿は大逆罪ということになるでしょう。この作品の入鹿も、自分はどのような処分も受けるので、月皇子に会ってもらいたい、と中大兄に頼んでいます。中大兄にとって、憧れの人だった入鹿を討とうと考えた最大の動機は、入鹿と母の皇極との不義だったのでしょう。

 しかし、入鹿を討ったものの、入鹿への思慕に依然として囚われている中大兄は、大海人として自分の前に現れた、入鹿にそっくりの月皇子を従者として採用することにします。入鹿への思慕がまだ残っていることを豊璋に指摘された中大兄が、激昂することもありました。中大兄は、大海人が入鹿の息子であり、自分にとって危険な人物であるということに気づいているようですが、それでも入鹿にそっくりの大海人を従者として採用するくらい、入鹿への思慕が強いということであり、この中大兄の入鹿への複雑な想いが、この作品の重要な背景となるようです。

 豊璋は冷酷非情にして完全無欠の人物として描かれていますが、唯一の弱点が息子の真人を溺愛していることです。真人の母は小足媛で、中大兄と親しくなる前?には軽皇子(孝徳天皇)と親しく、軽皇子に仕えて信頼され、褒美として軽皇子が寵愛していた小足媛(有間皇子の母)を「貸し与え」られます。小足媛の産んだ男子が真人で(650年頃に数え年で8歳なので、有馬皇子の数歳下の弟ということになりそうです)、豊璋は当初、軽皇子と自分のどちらの子か分からないということもあり、真人には無関心でした。しかし、成長した真人の優秀なところをみて、軽皇子ではなく自分の子だと確信し、溺愛するようになります。しかし、この間の事情を知っている中大兄は、真人が孝徳天皇の子である可能性も考えており、やがて自分と大君の座を争うことになるかもしれない、と豊璋に言います。中大兄の猜疑心の強さを知っている豊璋は真人の身を案じますが、そこへ大海人が現れ、真人の命を守るには唐へ送ってはいかがだろう、と豊璋に提案します。

 ここで第10話は終わるのですが、軽皇子と親しかったこともあり、作中の最新の時点(西暦では650年頃?)では中大兄に仕えていて、小足媛と密接な関係にあり、息子の名前が真人で、真人は唐に渡ることが示唆されている、という豊璋は、まさに中臣(藤原)鎌足と重なります。あるいは、さらにひねった設定なのかもしれませんが、どうもこの作品では豊璋が鎌足で、真人は定恵ということになりそうです。不比等がどのような設定で誕生するのか、まだ定かではないのですが、藤原氏の実質的な初代と言える不比等が、父の豊璋を伝統的な豪族の出身と書き換えた、ということになるのかもしれません。

 豊璋が鎌足で、入鹿暗殺で重要な役割を果たしたとなると、乙巳の変のさいの古人大兄皇子の謎めいた「韓人殺鞍作臣」という発言も、『日本書紀』の注で解説されているような、朝鮮半島の政治情勢のためという回りくどい意味ではなく、そのまま解釈できることになります。一見すると、突拍子もない設定のようでも、色々と考えられて設定されているのだろうな、と今後の展開も大いに期待しています。第5話・第9話・第10話には皇極と古人大兄が登場しませんが、こうした重要人物がどのような役割を担うのか、今から単行本を読むのが楽しみです。

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