青山忠正『日本近世の歴史6 明治維新』

 まだ日付は変わっていないのですが、12月15日分の記事として掲載しておきます。『日本近世の歴史』全6巻の第6巻として、2012年11月に吉川弘文館より刊行されました。本書が対象とするのは、ペリー来航から西南戦争までのおよそ四半世紀で、政治史に特化した叙述となっており、経済史・民衆史・文化史の叙述が薄いというかほぼ省略されているのですが、そうした解説は他の一般向け書籍で補うこともできるわけですし、一般向け書籍としては丁寧な政治史叙述になっていると思いますので、とくに不満はありません。本書は、その時々の要請により姿を変えて語り継がれる明治維新の語りに束縛されるのではなく、当時の歴史的文脈に沿って叙述しようと志向しており、冒頭の歴史用語の扱いへの拘りにも、そのことがよく窺えます。

 そうした方針に沿って叙述される「幕末維新史」の始まりにおいては、「開明的な開国派」と「頑迷固陋な攘夷派」との対立という単純な図式が提示されるのではなく、ペリー来航時には日本(という近代国民国家とは異なるものの一定の政治的枠組みを有する体制)の知識層において、華夷秩序的な枠組みで「対外関係」を把握する者がほとんどだったということが指摘され、現代日本社会において通俗的に浸透している「開国派」と「攘夷派」という区分も、ペリー来航時点ではとても妥当なものとは言えないのではないか、と考えさせられます。

 本書を読むと、日本のほとんどの知識層に見られたこの華夷秩序的価値観が、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国との交流を通じて捨て去られ、ヨーロッパ的な国際関係がそれに取って代わっていく様と、それにともなって日本の知識層において、華夷秩序的価値観が主流だった時にはしっかりと認識されていなかった、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国との条約にともなう不平等性が認識されていき、明治政府の重要な課題になっていったことが窺えます。これは、「不平等条約」の語りにおいて、現代日本人が見落としがちな点かもしれません。

 また本書では、華夷秩序的価値体系が主流だったベリー来航時点において、国家間の安易な上下・優劣関係を設けず、同質な諸国家の集合による国際社会を想定した古賀侗庵の教えが昌平黌では浸透していったことや、外様や徳川一族の大藩が「国政」から排除されていて体制から、「対外危機」への対処のなかでそうした大藩が朝廷をも媒介として「国政」へ関与していったことが、近代日本国家の前提の一つとなったことも指摘されています。そうした点も含めて、日本の近代化は19世紀の世界史的状況に応じたものであると同時に、内発的に充分に蓄積されていた経済・文化的条件を踏まえたものであった、というのが本書の見解で、妥当だと思います。

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