小川剛生『足利義満』再版
中公新書の一冊として、中央公論新社から2012年9月に刊行されました。初版の刊行は2012年8月です。足利義満は、日本ではおそらく小学校でも習うであろうくらい有名な歴史上の人物ですが、その一般的人気はかなり低いように思います。すべての事例を調べたわけではありませんし、記憶が曖昧なので確固たる自信があるわけではないのですが、好きな歴史上の人物といった投票・調査企画にて、上位10人に足利義満が選ばれたことはないでしょうし、そもそも義満に限らず室町幕府の歴代将軍も、そうした企画で上位に選ばれたことはないでしょう。
皇国史観的な価値観が体制教義とも言えた戦前であれば、これは当然の結果でしょうが、皇国史観の影響力が大きく後退した戦後においても、室町時代や室町幕府歴代将軍の一般的人気が低いのは、室町幕府は弱体な武家政権であった、との印象が強いことも一因になっているのではないか、と思います。また、皇国史観的発想とも通ずるところところがあるのですが、近年の日本社会では中国への嫌悪感が強まっており、「中国」の冊封を受けた義満は「売国奴」として嫌われている、という事情も少なからず影響しているのかもしれません。
一方で、「自由主義史観」に批判的な「進歩的で良心的」な人々や通時的に「中国」を賛美する傾向にある人々の一部では、「頑迷固陋な国内勢力」の批判に屈せず「中国」と通交したことをもって、義満の視野の広さ・その「東アジア性」を高く評価する見解が主張されることもあります。思想的立場により評価の大きく異なる義満について、本書は同時代史料に基づきその生涯を丹念に描き出し、義満の歴史上の位置づけ・人物像を提示しています。本書のはしがきにもあるように、「愛想のない伝記」になってしまったかもしれませんが、堅実で大いに参考になる一般書になっていると思います。
本書は、義満の前の室町幕府将軍である尊氏・義詮にも触れ、義満がさまざまな点で以後の室町幕府将軍の在り様を規定したことを説きます。義満が以前の室町幕府将軍と大きく異なるのは朝廷との関係で、義満の代になって公武合体や武家による朝廷の権限の接収が進んだ、と一般には理解されているでしょう。この点については、強大な武家政権が衰退する公家政権を圧倒して吸収していった、という認識が一般的なのかもしれませんが、本書を読むと、南北朝の動乱で衰退した北朝が、朝儀復興のために強大な財力・武力を有する武家政権の長たる義満を積極的に取り込んでいった、という側面も大きかったように思います。
おそらく義満についてとくに評価が分かれるであろう明との通交および皇位簒奪問題について、本書は近年の研究成果も引用し、明との通交は交易が目的であり、日本国王号が義満の権威を高めることはなかったし、「国内」の人々は義満を日本国王として認識はしておらず、義満には目新しい「外交」構想はなかったのであり、義満の「国際感覚」を賞賛する近年の一部の傾向にたいして批判的な見解を提示しています。また本書は、義満による皇位簒奪計画説について、中世社会において臣下が天皇を称する可能性は皆無として、すでに否定された説として扱っています。
本書の見解はおおむね妥当だとは思いますが、室町幕府の体制の確立は義満の代ではなく軍義持の代だった、との見解も提示されており、
https://sicambre.seesaa.net/article/201105article_24.html
義満と義持のどちらが室町時代の画期だったのか、と二者択一的に考えるのではなく、室町幕府のある特徴がどのように確立していったのか、それは室町幕府全体においてどのような意味合いがあったのか、と検証していく必要があるのでしょう。本書が義満を知るうえでたいへん有益であることは間違いないでしょうが、本書を読むと、義満の尊大さ・気まぐれが印象づけられることになりそうですから、本書が義満の一般人気向上に貢献することはなさそうです。
皇国史観的な価値観が体制教義とも言えた戦前であれば、これは当然の結果でしょうが、皇国史観の影響力が大きく後退した戦後においても、室町時代や室町幕府歴代将軍の一般的人気が低いのは、室町幕府は弱体な武家政権であった、との印象が強いことも一因になっているのではないか、と思います。また、皇国史観的発想とも通ずるところところがあるのですが、近年の日本社会では中国への嫌悪感が強まっており、「中国」の冊封を受けた義満は「売国奴」として嫌われている、という事情も少なからず影響しているのかもしれません。
一方で、「自由主義史観」に批判的な「進歩的で良心的」な人々や通時的に「中国」を賛美する傾向にある人々の一部では、「頑迷固陋な国内勢力」の批判に屈せず「中国」と通交したことをもって、義満の視野の広さ・その「東アジア性」を高く評価する見解が主張されることもあります。思想的立場により評価の大きく異なる義満について、本書は同時代史料に基づきその生涯を丹念に描き出し、義満の歴史上の位置づけ・人物像を提示しています。本書のはしがきにもあるように、「愛想のない伝記」になってしまったかもしれませんが、堅実で大いに参考になる一般書になっていると思います。
本書は、義満の前の室町幕府将軍である尊氏・義詮にも触れ、義満がさまざまな点で以後の室町幕府将軍の在り様を規定したことを説きます。義満が以前の室町幕府将軍と大きく異なるのは朝廷との関係で、義満の代になって公武合体や武家による朝廷の権限の接収が進んだ、と一般には理解されているでしょう。この点については、強大な武家政権が衰退する公家政権を圧倒して吸収していった、という認識が一般的なのかもしれませんが、本書を読むと、南北朝の動乱で衰退した北朝が、朝儀復興のために強大な財力・武力を有する武家政権の長たる義満を積極的に取り込んでいった、という側面も大きかったように思います。
おそらく義満についてとくに評価が分かれるであろう明との通交および皇位簒奪問題について、本書は近年の研究成果も引用し、明との通交は交易が目的であり、日本国王号が義満の権威を高めることはなかったし、「国内」の人々は義満を日本国王として認識はしておらず、義満には目新しい「外交」構想はなかったのであり、義満の「国際感覚」を賞賛する近年の一部の傾向にたいして批判的な見解を提示しています。また本書は、義満による皇位簒奪計画説について、中世社会において臣下が天皇を称する可能性は皆無として、すでに否定された説として扱っています。
本書の見解はおおむね妥当だとは思いますが、室町幕府の体制の確立は義満の代ではなく軍義持の代だった、との見解も提示されており、
https://sicambre.seesaa.net/article/201105article_24.html
義満と義持のどちらが室町時代の画期だったのか、と二者択一的に考えるのではなく、室町幕府のある特徴がどのように確立していったのか、それは室町幕府全体においてどのような意味合いがあったのか、と検証していく必要があるのでしょう。本書が義満を知るうえでたいへん有益であることは間違いないでしょうが、本書を読むと、義満の尊大さ・気まぐれが印象づけられることになりそうですから、本書が義満の一般人気向上に貢献することはなさそうです。
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