大河ドラマ『平清盛』第39回「兎丸無念」

 今回は兎丸の最期が中心になって描かれました。大河ドラマでは、今年のように史実無視と批判される作品でも、実在の人物の描写は基本的には史実にかなりの制約を受けますが、兎丸は実在の人物ではなくかなり自由に描けるので、清盛との関係がどのように推移していくのか、放送前より気になっていました。前回の内容と予告を見て、生き急いでいるというか権力と自身の理想に固執するようになった清盛にたいして、兎丸は決別を宣言し、その清盛の意向を受けて「汚れ役」を担っている時忠により粛清されるのかな、と予想していました。

 宋からの使者を迎えることになり、犠牲者が出ているのを省みず泊の普請を急がせる清盛にたいして、平家一門の利益しか考えていない、と兎丸は激怒し、決別を宣言します。福原を去り都で配下のものたちと酒を飲んでいた兎丸は、一人になったところを禿に襲われ、落命します。この後、清盛は時忠に禿の始末を命じていますから、兎丸を殺すことまでは考えていなかったのでしょうし、時忠の暴走により平家への反感が高まることを懸念したのでしょう。兎丸が清盛に従うようになったとき、平氏が一門の利益だけを考えるようならば、平氏と手を切って清盛を殺す、というようなことを確か言っていましたが、けっきょく、この発言は伏線だったようです。

 正直なところ、兎丸の人物造形は成功したとは言い難いように思うのですが、清盛の若き日の夢と出世してからの権力への妄執という変化を描くうえで必要な人物である、というのが製作者側の意図だったのかもしれません。ただ、兎丸だけではその意図を伝えるにあたって弱いという判断なのか、あるいは、念押しというか分かりやすさを志向したためなのか、久々に登場した西行にも、清盛の変化についての説明口調の台詞が用意されていました。主要人物の一人だったはずの西行は、出家以降すっかり存在感が薄くなってしまいましたが、今後どこかで見せ場があるのでしょうか。

 今回の冒頭では、遮那王(後の義経)と弁慶(鬼若)との出会いが描かれました。有名な「弁慶の泣き所」という言い回しを取り入れた活かした両者の対決は、なかなか見応えがありましたが、ここで弁慶は、遮那王の幼名が牛若であることに気づきます。なぜ弁慶と河内源氏との関わりがたびたび描かれてきたのか、どうもよく分からなかったのですが、遮那王は弁慶から自分が何者なのか知るようで、弁慶こそ遮那王を覚醒(というのも変かもしれませんが)させる人物である、という設定なのでしょう。この作品では両者の最期までは描かれないでしょうが、今後も出番はなかなか多そうです。このところなかなか面白い回が続いていただけに、正直なところ今回は外れだったかな、とも思いますが、第6回「西海の海賊王」や第27回「宿命の対決」の時のような冗長な一騎討ちはなかったので、失望したということはありませんでした。

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  • 平清盛 第39回「兎丸無念」

    Excerpt: 長くこのドラマの中で準主役のような待遇を受けていた兎丸も今回、ついに終了します。この人物が本当に存在していたのかどうかは引っかかる部分ではありますが、それでも清盛に誰も物言いをできなくなるほど権力が高.. Weblog: あしたまにあーな racked: 2012-10-08 00:43