大河ドラマ『平清盛』第41回「賽の目の行方」

 まだ日付は変わっていないのですが、10月22日分の記事として掲載しておきます。今回は、平家・朝廷の話では安元の強訴を中心に清盛と後白河院との駆け引きが、河内源氏の話では、伊豆で政子が頼朝を目覚めさせようとする場面と、都で弁慶(鬼若)が遮那王(義経)に真実を伝える場面が描かれました。政子が頼朝を覚醒させようとするところは、悪い意味で現代的というか戯画化された感がありましたが、作風に沿った場面ではありました。しかし、一時期の腐りきった状態よりは随分とましになったとはいえ、頼朝はまだ覚醒せず、この話は引っ張り過ぎの感もあります。東国の地方武士が平家に不満を募らせていく様が描かれたのは、平家の没落に向けてよかったと思います。弁慶は遮那王に真実を伝えましたが、これで、弁慶を祗園闘乱事件の頃よりずっと河内源氏と関わらせてきた脚本上の意図もはっきりしました。ただ、遮那王も迷い始めたとはいっても、まだ覚醒したとは言えず、話を引っ張るようです。

 安元の強訴は清盛と後白河院との対立を決定的にしましたが、その前に、次の帝位や蔵人頭の人事をめぐってすでに両者の対立は顕在化していました。こうしたところは省略されるのかな、と思っていたところ、意外にもしっかりと触れられていました。この件に限らず、安元の強訴の発端をやや詳しく描くなど、今回はなかなか丁寧に史実を追っており、そのこともあって、政治劇としてかなり面白くなっていたように思います。もう前半のことをあれこれと言っても仕方がないので、今後も今回のくらいの水準で話が進んでいくことを願っています。

 清盛と後白河院との対立が、滋子(建春門院)の死により激化したという解釈は、今回の台詞にもありましたし、通説的なので妥当なところだと思います。もちろん、滋子が長命を保ったとしたら、清盛と後白河院との対立が史実よりも緩和されたのかというと、確証はありませんが、その可能性が高かっただろう、とは思います。この作品では、滋子をそのような重要人物として描こうという意図は見えてきたのですが、脚本・演出により造形された滋子の人物像が、外見も含めてかなり残念なものに終わったのは、期待していただけに悔しくもあります。

 安元の強訴をめぐる清盛と後白河院との攻防は、清盛をあまりにも大人物として描きすぎている感を受けましたが、大河ドラマの主人公なので、このくらいは有かな、とは思います。重盛と時子の息子たちという平家一門の内部対立と、時子の息子たちに対抗しようと重盛が後白河院との関係を深め、強訴に強硬な対応を示し、事態を紛糾させて地位を低下させてしまった、という解釈を取り入れておけば、重盛の晩年がより悲劇的に見えて物語として盛り上がるのではないかな、とも思うのですが、不満はそれほどありません。

 今回は西光の存在感がますます高まってきた感があり、鹿ヶ谷に向けて脚本上でも盛り上げようとの意図があるのでしょう。配役発表時より西光には期待していましたが、加藤虎ノ介氏の好演は当初の期待値以上のものになっています。さほど出番は多くありませんが、明雲の存在感も相変わらずで、今後の登場も楽しみです。存在感があるとはいっても、経宗と基房はさすがに戯画化が過ぎるように思います。成親・兼実程度ならば、不満はないのですが、経宗と基房はあまりにも役者頼みの人物造形になっているようで、残念ではあります。まあ、経宗と基房の出番を楽しみにしているところも少なからずあるので、不満だけということはないのですが。次回は終盤の山場の一つとなりそうで、たいへん楽しみです。

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