大河ドラマ『平清盛』第36回「巨人の影」
まだ日付は変わっていないのですが、9月17日分の記事として掲載しておきます。今回は、清盛という巨人の存在感が、後継者の重盛をはじめとして平家一門にとって、後ろ盾というだけではなく重圧にもなり、それが平家一門の分裂にもつながっていくという話の流れになっており、また、後白河院側近と平家一門との対立も描かれ、今後の平家の没落を予感させます。これからしばらくは平家の繁栄期が描かれるのですが、そうした中にあっても、今回の最後で描かれたように、基房が平家一門の弱点に気づくところなど、平家没落への伏線は描かねばならないわけで、そうした物悲しさ・諸行無常が『平家物語』の長期にわたる人気を支えてきたというところはあるでしょう。ただ、没落へと向かう物語にはやはり陰鬱なところがあり、今後視聴率はますます低迷しそうではあります。
今回は重盛が重要な役割を担いましたが、生真面目で神経の細いというこれまでに描かれた重盛の人物像を活かし、重盛が父の清盛・後白河院・義兄の成親の間で板挟みになって苦悩し、平家一門から棟梁としての器量を疑われるという展開になり、なかなか面白く説得力のある話になっていました。対照的に清盛は、周囲にとって重圧にもなるような大きな存在感を示す人物として描かれていますが、やはり第一部と第二部の途中までの魅力に欠ける人物との印象が強いということと、大人物への成長の過程が唐突だった感が否めないため、説得力に欠けるところがあったように思います。もう遅いのですが、第一部でもっと清盛の優秀なところや魅力を描いてもらいたかったものです。
今回は嘉応の強訴が中心に描かれたのですが、その前の藤原成親と重盛との会話で、成親が重盛を小物と考え、冷淡な姿勢を見せる場面が描かれます。これまでの清盛にたいする冷ややかな態度などからも、成親が利己的で冷淡な人物であることは明示されてきたので、違和感のない上手い描写であるとともに、生真面目で神経の細いという重盛の人物像が改めて印象づけられた場面でもありました。その成親が中心人物の一人となって嘉応の強訴が起きるのですが、今回は、後白河院が出家にあたって戒師を園城寺の僧から選んだことが、延暦寺の怒りを買って強訴の遠因になった、という話の流れになっていました。
嘉応の強訴の直接的契機となったのは、美濃にある延暦寺の支配する日吉の社の神人と尾張国目代の藤原政友が衝突し、死者が出た事件でした。当時、尾張の知行国主は後白河院側近の成親で、尾張守は成親の弟(同父同母)の家教でした。延暦寺は知行国主である成親の配流を求めますが、後白河院は延暦寺に妥協することを拒み、神人をとらえるよう、検非違使別当の時忠に命じます。ここで、白河院以上の権力者を目指そうとする、前回の後白河院の決意が活きてきます。三不如意の一つである山法師を退けてこそ、白河院以上の権力者たり得る、というのが後白河院の考えなのでしょう。
後白河院に要求を退けられ、延暦寺は強訴を起こしますが、向かった先は、朝廷の要人の予想していた後白河院のいる法住寺殿ではなく、内裏でした。後白河院は武士を動員して強訴に備えていましたが、延暦寺の悪僧・神人たちが内裏を占拠したため、公卿会議では、神輿を傷つけることへの恐れなどから、強訴を武力で退けるという決断が下せませんでした。公卿会議には、久々の登場となる藤原経宗もいましたが、拷問を受けて流罪となったことは語られず、この作品では経宗が流罪となったことには触れられないようです(小説版では、経宗が流罪となったことが二条帝から語られました)。
けっきょく後白河院は、いったんは延暦寺の要求に屈し、成親の流罪を決めるのですが、それは、公卿の支持が得られず、重盛が武力攻撃に慎重な態度を崩さなかったためでした。重盛は義兄の成親を救おうとして強訴を武力で撃退するつもりだったのですが、後白河院に平家の力なくして何もできないことを思い知らせるために、延暦寺への武力行使を清盛が禁じたという話の流れになっていました。じっさいには、前回と今回の冒頭で描かれた平家一門と延暦寺の親密さと、今回は無視された設定ですが、尾張の支配権を成親に奪われた頼盛の動向が不透明なため、重盛が自重した、という側面が大きかったように思います。もっとも、後半は清盛と後白河院との戦いを話の軸とするのが物語の基本的な構造になりそうなので、今回のような清盛の描かれ方でも問題はないと思いますし、じっさいに今回描かれたような意図を清盛が抱いていた可能性もあるでしょう。
ところが、事態はここから二転三転します。後白河院は成親の流罪を決めた直後、成親を呼び戻し、時忠を配流とし、明雲を高倉帝の護持僧の任から解きます。時忠は解官となり、時忠が任じられていた検非違使別当には成親が任じられました。後白河院による平家一門への報復です。平家一門では、この事態の急転に対策会議が開かれますが、予想される延暦寺の再度の強訴と、その鎮圧を命じるだろう後白河院にたいしてどのように対応するのか、平家一門の危惧に重盛は答えられず、重盛の棟梁としての器量に疑問が抱かれ、宗清は清盛の出馬を進言します。
その清盛は、福原に重盛たちを呼んで兵を六波羅に集めるよう命じます。六波羅に多数の兵が集まり、後白河院や公卿たちは不安になります。後白河院側近で清盛への敵意を隠さない西光は、平家は延暦寺に加担するつもりではないか、と疑います。ついに後白河院も基房・兼実も六波羅を訪れ、重盛に真意を問いただしますが、重盛自身も清盛の意図をよく理解できていないため返答できず、苦境に陥ります。そこへ清盛が現れ、後白河院の詰問にも動じず、兵を集めたのは調練のためと人を食ったように答え、比叡山に参るために都に戻ったのだ、と堂々と述べます。この清盛の態度に再度後白河院は折れ、時忠は呼び戻されて成親は解官されます。もっとも、今回は描かれませんでしたが、成親の解官は延暦寺の怒りを鎮めるというか面目を立てるための一時的妥協であり、数か月後に成親は復職しています。
今回はこれまでに描かれてきた重盛の個性が活かされて、平家一門における重盛の立場の揺らぎや、後白河院側近、とくに成親と平家一門との対立の深まりなど、今後の平家没落の遠因が描かれました。最後に清盛が登場して事件が収束するところは戯画的でしたが、嘉応の強訴という歴史的事件を題材に、政治ドラマとしてなかなか面白くなっており、第一部からこのように描いてくれればなあ、と残念なところもあります。破天荒な大物である清盛にたいして、生真面目な小物である重盛という対比は、清盛・義朝や待賢門院・美福門院や由良・常盤など、対照的な二者の関係というこの作品によく見られる構造となっています。
じっさいに清盛が大物で重盛が小物だと言えるのか、私の見識では判断できませんが、重盛の平家一門での地位が揺らいでいったことは確かでしょう。それは、時子の妹の滋子の息子即位して(高倉帝)、時子系が力を持っていったためでもあるのでしょうし、重盛の母の身分が高くなかったためでもあるのでしょう。また、重盛は病弱だった可能性もあり、それも一因だったかもしれません。おそらく清盛は、重盛と時子の息子たちとの対立を懸念して、重盛の正妻の経子を憲仁親王(高倉帝)の乳母とし(この作品では取り入れられていませんが)、両者の融和を図ったのでしょう。
おそらく、重盛の地位が揺らいでいったのは、重盛個人の資質というよりは、その背景のほうが大きな要因としてあったように思います。もっとも、それを個人の資質として描くほうが、テレビドラマとしては分かりやすいというところはあるでしょうし、この作品らしいな、とも思います。重盛は、癖のある人物の多いこの作品にあって、珍しく癖がないというか真っ当な人物として描かれており、これは、母の明子や妻の経子にも共通する特徴だと思いますが、おそらくそれは意図的な人物造形なのでしょう。平家一門と義兄の成親(とその主の後白河院)との板挟みになり、不本意ながら成親を見捨てた形となった重盛を、経子は非難することなく暖かく迎え、重盛はそのことに心を痛めているような様子ですが、不器用なところがありつつも信頼関係を築けているような重盛・経子夫妻には、癖のある人物が多いだけに、見ていてほっとさせられます。
以下、気になったことを色々と述べていきます。河内源氏では、伊豆の頼朝が政子と出会いますが、頼朝はいぜんとして無気力なままで、ここからどのように立ち直るのか、描き方に注目しています。多くの人の予想通り、政子が頼朝に興味をもったようなので、政子の情熱が頼朝を再起させるという展開になりそうですが、説得力のある話になることを願っています。鞍馬寺での遮那王(後の義経)の様子も描かれましたが、今回も顔見世程度の出番でした。ただ、その身体能力の高さは印象に残りました。延暦寺の金閣・銀閣は祗園闘乱事件以来の登場でしたが、私も含めてこの二人を覚えていた人は多かったように思います。重衡と徳子は今回から成人役となりますが、どちらも顔見世程度の出演でした。この二人には今後見せ場がありそうなので、注目しています。今回、院号を宣下された滋子(建春門院)のメイクと演技は残念でした。登場前はかなり期待していたのですが・・・。色々と見どころのあった今回ですが、子役の高倉帝の可愛さと演技力はとくに印象に残りました。
今回は重盛が重要な役割を担いましたが、生真面目で神経の細いというこれまでに描かれた重盛の人物像を活かし、重盛が父の清盛・後白河院・義兄の成親の間で板挟みになって苦悩し、平家一門から棟梁としての器量を疑われるという展開になり、なかなか面白く説得力のある話になっていました。対照的に清盛は、周囲にとって重圧にもなるような大きな存在感を示す人物として描かれていますが、やはり第一部と第二部の途中までの魅力に欠ける人物との印象が強いということと、大人物への成長の過程が唐突だった感が否めないため、説得力に欠けるところがあったように思います。もう遅いのですが、第一部でもっと清盛の優秀なところや魅力を描いてもらいたかったものです。
今回は嘉応の強訴が中心に描かれたのですが、その前の藤原成親と重盛との会話で、成親が重盛を小物と考え、冷淡な姿勢を見せる場面が描かれます。これまでの清盛にたいする冷ややかな態度などからも、成親が利己的で冷淡な人物であることは明示されてきたので、違和感のない上手い描写であるとともに、生真面目で神経の細いという重盛の人物像が改めて印象づけられた場面でもありました。その成親が中心人物の一人となって嘉応の強訴が起きるのですが、今回は、後白河院が出家にあたって戒師を園城寺の僧から選んだことが、延暦寺の怒りを買って強訴の遠因になった、という話の流れになっていました。
嘉応の強訴の直接的契機となったのは、美濃にある延暦寺の支配する日吉の社の神人と尾張国目代の藤原政友が衝突し、死者が出た事件でした。当時、尾張の知行国主は後白河院側近の成親で、尾張守は成親の弟(同父同母)の家教でした。延暦寺は知行国主である成親の配流を求めますが、後白河院は延暦寺に妥協することを拒み、神人をとらえるよう、検非違使別当の時忠に命じます。ここで、白河院以上の権力者を目指そうとする、前回の後白河院の決意が活きてきます。三不如意の一つである山法師を退けてこそ、白河院以上の権力者たり得る、というのが後白河院の考えなのでしょう。
後白河院に要求を退けられ、延暦寺は強訴を起こしますが、向かった先は、朝廷の要人の予想していた後白河院のいる法住寺殿ではなく、内裏でした。後白河院は武士を動員して強訴に備えていましたが、延暦寺の悪僧・神人たちが内裏を占拠したため、公卿会議では、神輿を傷つけることへの恐れなどから、強訴を武力で退けるという決断が下せませんでした。公卿会議には、久々の登場となる藤原経宗もいましたが、拷問を受けて流罪となったことは語られず、この作品では経宗が流罪となったことには触れられないようです(小説版では、経宗が流罪となったことが二条帝から語られました)。
けっきょく後白河院は、いったんは延暦寺の要求に屈し、成親の流罪を決めるのですが、それは、公卿の支持が得られず、重盛が武力攻撃に慎重な態度を崩さなかったためでした。重盛は義兄の成親を救おうとして強訴を武力で撃退するつもりだったのですが、後白河院に平家の力なくして何もできないことを思い知らせるために、延暦寺への武力行使を清盛が禁じたという話の流れになっていました。じっさいには、前回と今回の冒頭で描かれた平家一門と延暦寺の親密さと、今回は無視された設定ですが、尾張の支配権を成親に奪われた頼盛の動向が不透明なため、重盛が自重した、という側面が大きかったように思います。もっとも、後半は清盛と後白河院との戦いを話の軸とするのが物語の基本的な構造になりそうなので、今回のような清盛の描かれ方でも問題はないと思いますし、じっさいに今回描かれたような意図を清盛が抱いていた可能性もあるでしょう。
ところが、事態はここから二転三転します。後白河院は成親の流罪を決めた直後、成親を呼び戻し、時忠を配流とし、明雲を高倉帝の護持僧の任から解きます。時忠は解官となり、時忠が任じられていた検非違使別当には成親が任じられました。後白河院による平家一門への報復です。平家一門では、この事態の急転に対策会議が開かれますが、予想される延暦寺の再度の強訴と、その鎮圧を命じるだろう後白河院にたいしてどのように対応するのか、平家一門の危惧に重盛は答えられず、重盛の棟梁としての器量に疑問が抱かれ、宗清は清盛の出馬を進言します。
その清盛は、福原に重盛たちを呼んで兵を六波羅に集めるよう命じます。六波羅に多数の兵が集まり、後白河院や公卿たちは不安になります。後白河院側近で清盛への敵意を隠さない西光は、平家は延暦寺に加担するつもりではないか、と疑います。ついに後白河院も基房・兼実も六波羅を訪れ、重盛に真意を問いただしますが、重盛自身も清盛の意図をよく理解できていないため返答できず、苦境に陥ります。そこへ清盛が現れ、後白河院の詰問にも動じず、兵を集めたのは調練のためと人を食ったように答え、比叡山に参るために都に戻ったのだ、と堂々と述べます。この清盛の態度に再度後白河院は折れ、時忠は呼び戻されて成親は解官されます。もっとも、今回は描かれませんでしたが、成親の解官は延暦寺の怒りを鎮めるというか面目を立てるための一時的妥協であり、数か月後に成親は復職しています。
今回はこれまでに描かれてきた重盛の個性が活かされて、平家一門における重盛の立場の揺らぎや、後白河院側近、とくに成親と平家一門との対立の深まりなど、今後の平家没落の遠因が描かれました。最後に清盛が登場して事件が収束するところは戯画的でしたが、嘉応の強訴という歴史的事件を題材に、政治ドラマとしてなかなか面白くなっており、第一部からこのように描いてくれればなあ、と残念なところもあります。破天荒な大物である清盛にたいして、生真面目な小物である重盛という対比は、清盛・義朝や待賢門院・美福門院や由良・常盤など、対照的な二者の関係というこの作品によく見られる構造となっています。
じっさいに清盛が大物で重盛が小物だと言えるのか、私の見識では判断できませんが、重盛の平家一門での地位が揺らいでいったことは確かでしょう。それは、時子の妹の滋子の息子即位して(高倉帝)、時子系が力を持っていったためでもあるのでしょうし、重盛の母の身分が高くなかったためでもあるのでしょう。また、重盛は病弱だった可能性もあり、それも一因だったかもしれません。おそらく清盛は、重盛と時子の息子たちとの対立を懸念して、重盛の正妻の経子を憲仁親王(高倉帝)の乳母とし(この作品では取り入れられていませんが)、両者の融和を図ったのでしょう。
おそらく、重盛の地位が揺らいでいったのは、重盛個人の資質というよりは、その背景のほうが大きな要因としてあったように思います。もっとも、それを個人の資質として描くほうが、テレビドラマとしては分かりやすいというところはあるでしょうし、この作品らしいな、とも思います。重盛は、癖のある人物の多いこの作品にあって、珍しく癖がないというか真っ当な人物として描かれており、これは、母の明子や妻の経子にも共通する特徴だと思いますが、おそらくそれは意図的な人物造形なのでしょう。平家一門と義兄の成親(とその主の後白河院)との板挟みになり、不本意ながら成親を見捨てた形となった重盛を、経子は非難することなく暖かく迎え、重盛はそのことに心を痛めているような様子ですが、不器用なところがありつつも信頼関係を築けているような重盛・経子夫妻には、癖のある人物が多いだけに、見ていてほっとさせられます。
以下、気になったことを色々と述べていきます。河内源氏では、伊豆の頼朝が政子と出会いますが、頼朝はいぜんとして無気力なままで、ここからどのように立ち直るのか、描き方に注目しています。多くの人の予想通り、政子が頼朝に興味をもったようなので、政子の情熱が頼朝を再起させるという展開になりそうですが、説得力のある話になることを願っています。鞍馬寺での遮那王(後の義経)の様子も描かれましたが、今回も顔見世程度の出番でした。ただ、その身体能力の高さは印象に残りました。延暦寺の金閣・銀閣は祗園闘乱事件以来の登場でしたが、私も含めてこの二人を覚えていた人は多かったように思います。重衡と徳子は今回から成人役となりますが、どちらも顔見世程度の出演でした。この二人には今後見せ場がありそうなので、注目しています。今回、院号を宣下された滋子(建春門院)のメイクと演技は残念でした。登場前はかなり期待していたのですが・・・。色々と見どころのあった今回ですが、子役の高倉帝の可愛さと演技力はとくに印象に残りました。
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