大河ドラマ『平清盛』第35回「わが都、福原」

 まだ日付は変わっていないのですが、9月10日分の記事として掲載しておきます。大病から回復した清盛は出家しますが、延暦寺の明雲に受戒を求めます。作中では、この時点より20年ほど前の祗園闘乱事件の時や、数年前の二条帝崩御時、とくに前者において清盛と明雲は敵対的関係にありました。確か明雲は清盛と親しかったと記憶していたので、どこで両者の関係が敵対的なものから友好的なものに変わるのだろう、と祗園闘乱事件を描いた第13回の頃より注目していたのですが、白河院が避けてきた三不如意と真摯に向き合い提携していくという清盛の発言を受けて、明雲は清盛の申し出を受けて入れることにします。祗園闘乱事件以降の明雲の清盛観が描かれてこなかったので、時の権力者との提携という目的はあるにしても、唐突なところは否定できませんでした。

 出家した清盛は、交易による富国という自らの政策を進めるために、都からやや離れた福原への移住を決意します。これには、後白河院を頂点とする伝統を有する朝廷から距離を置くことで、自分の新規な政策を実現しやすくする、という意図もありました。今回、重要な役割を担ったのが頼盛で、公卿に昇進したとはいえ、参議にはなかなかなれず、甥の重盛にも官位で追い越されてしまい、かなり鬱屈した心境にありました。また、頼盛は憲仁親王の母の滋子(建春門院)と疎遠なこともあってか、滋子の入内や憲仁親王即位後(高倉帝)の大嘗会での奉仕を怠ってしまい、八条院や基房の引立てで参議になれたにも関わらず、その直後に解官されてしまいます。

 失意の頼盛は自暴自棄になり、自分を一門から追放するよう、清盛に懇願しますが、頼盛の平家一門への強い想いを理解している清盛は、先例にとらわれている朝廷ではなく平家一門による新たな国造り・武士が頂に立つ世の到来のためには頼盛が欠かせないと諭し、これからも口うるさく平家一門を支えるよう、頼盛に命じます。かつての忠盛・忠正の関係が、清盛・頼盛へと継承されるとともに、武士の世を目指すという忠盛の目的を、その子供の世代である清盛・頼盛が継承するという構造の物語になっています。この点は、1年間という長期のテレビドラマという前提を活かそうとする、なかなかよい構成になっているのではないか、と思います。

 改めて清盛の器量に感服した頼盛ですが、それは清盛にたいしてのものであり、無条件に清盛の後継者である棟梁(最終的には宗盛)へと引き継がれるものではないのだろうな、ということを予感させます。また、何よりも平家一門への想いが強いという頼盛の人物設定は、平家の都落ちにさいして、頼盛の平家一門からの「離脱」が、平家一門を強く想う故の、生き残りのための苦渋の決断であった、という解釈になりそうだな、ということも予感させます。頼盛は最終回まで登場するでしょうが、今後も何回か見せ場がありそうです。

 今回は、平家一門の不満分子である頼盛を利用して、平家の分裂を画策する八条院と基房や、息子の憲仁親王を即位させ、平家が力を得る以上に自分が力を持ち、白河院以上の権力者になろうという意欲を見せる後白河院など、政治ドラマとしての性格が強くなった感がありますが、今後は以仁王の挙兵まで大きな戦乱はなく、しばらくは政治ドラマとしての性格が強くなりそうです。不満がまったくないわけではありませんが、総合的にはなかなか面白くなっていると思います。ただ、しばらく栄華が続くとはいっても、ここからは主人公側の没落の過程が描かれるわけで、今後は全体的に重苦しい展開になりそうです。あるいは、そのための対策として、河内源氏を大きく取り上げ、その「大逆転劇」を対照的に描こう、という構想なのかもしれません。

 坂東では、かつての義朝の配下たちが平家の隆盛への不満を言い合い、義朝の遺産が頼朝の挙兵成功の要因となったことが示唆されるとともに、頼朝と政子との出会いも描かれました。すっかり無気力になった頼朝が政子との出会いによりどのように変わるのか、注目しています。都では牛若(義経)が遮那王と名を改め、鞍馬寺で修行に励んでいました。ここから義経が成人役に交代となりますが、今回は顔見世ていどの登場でした。義経がどのような経緯で平家打倒へと動くのか、作中での描写が楽しみです。

この記事へのコメント

みら
2012年09月13日 12:47
こんにちわ

ご無沙汰してます。
最近、大河の放映時間帯になると近隣からの異臭で外出することが多く、そろそろビデオ映像を見ようかと思ってます。
ヤマ場に向かい・・8回以降を録画しているので、まとめて見直したいな~、しかし余裕が・・。
そのうちコメントいたします。
2012年09月13日 20:17
まあ、近隣住民との関係はなかなか難しいものではあると思います。

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