オリンピックの思い出
私がオリンピックへの関心を失ったのは2004年のアテネオリンピック前のことで、2006年6月に始めたこのブログでは、東京都のオリンピック誘致運動に大反対であることを述べた記事以外では、ほとんどオリンピックについて触れていません。しかし、日本ではニュースも一般紙もこれまでオリンピックを大々的に取り上げてきており、それは開催中のロンドンオリンピックでも変わらないので、正直なところうんざりしています。もっとも、日本社会では依然としてオリンピックへの関心が高いようなので、仕方のないところがあるとは思いますし、多彩な競技があり、その中にはじっさいに自分がやってみて楽しかった柔道やバレーボールなどもあるので、オリンピックと同じく大々的に報道されるサッカーのワールドカップと比較すると、うんざりしているとはいってもそれ程でもありません。
もっとも、私はオリンピックへの関心を失ってしまったとはいっても、私自身、日本馬が外国の大レースを勝てば嬉しいと思うような平凡な人間で、「自我の確立した普遍的で強い個人」ではないということもあり、オリンピックでの自国選手への応援は、帰属意識を持つ集団の構成員の活躍を喜ぶ人間としてごく自然な心理ではないか、と素朴に考えています。その意味で、オリンピックでの自国選手への熱狂的な応援や大々的な報道は、それがきょくたんに排外主義的でなければ大きな問題ではないと思いますし、現代日本社会では、オリンピックに関しては、排外主義をそれほど懸念する状況にはない、と私は考えています。もっとも、「進歩的で良心的」な言説では、私とは大きく異なる評価・現状認識になるのかもしれませんが。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。ロンドンオリンピックの男子体操の個人総合で内村航平選手が優勝し、大々的に報道されたのですが、日本人としては1984年のロサンゼルスオリンピックでの具志堅幸司選手以来の快挙ということで、具志堅選手が優勝した時の映像がNHKのニュースでも流されました。1984年のロサンゼルスオリンピックは、私がはじめて本格的に見たオリンピックということで、たいへん印象に残っていますが、その後の大規模な商業主義的オリンピックの始まりという意味で、画期的なオリンピックだったようです。
ロサンゼルスオリンピックの前大会はモスクワで開催されたのですが、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由として、多くの西側諸国がボイコットし、当時ソ連と対立関係にあった中国もボイコットしました。その報復として、ロサンゼルスオリンピックでは多くの東側諸国がボイコットしたのですが、当時は社会主義陣営にありながら、ソ連と距離を置いていたルーマニアは参加し、開会式の入場行進で大きな拍手が送られたことを覚えています。すっかり忘れていたのですが、調べてみたところ、このロサンゼルスオリンピックでルーマニアの金メダル獲得数は、開催国のアメリカ合衆国に次ぐ2位でした。
この5年後に、一連の東欧革命のなかで、ルーマニアで長年独裁体制を維持してきたチャウシェスク政権が崩壊し、その非道な体制が大きく報道されることになるとは、当時小学6年生の私にはまったく予想できませんでしたし、そもそも当時はチャウシェスク政権がそれほどひどい体制であることも、まったく知りませんでした。今になってみると、ロサンゼルスオリンピックが開催されたのは冷戦末期だったわけですが、当時は、5年後にベルリンの壁が崩壊するなど東欧革命が起き、7年後にソ連が崩壊するとは、平凡な小学生にはまったく予想のつかないことでした。
当時は夏季オリンピックと冬季オリンピックとが同年に開催されており、ロサンゼルスオリンピックの開催された1984年の冬季オリンピックはサラエボで開催されました。この後、冷戦の崩壊に伴いユーゴスラビア連邦も崩壊し、一連のユーゴスラビア紛争でサラエボは大きな打撃を受け、多数の犠牲者が出てしまいました。サラエボオリンピックにはあまり関心はなく、それほど熱心に見たわけではないのですが、オリンピックの開催から10年も経過しないうちに、サラエボが戦闘で大規模な破壊を受けたことは衝撃でした。まとまりのない文章になってしまいましたが、1984年のロサンゼルスオリンピックの映像をたまたま見たので、雑感を述べた次第です。
もっとも、私はオリンピックへの関心を失ってしまったとはいっても、私自身、日本馬が外国の大レースを勝てば嬉しいと思うような平凡な人間で、「自我の確立した普遍的で強い個人」ではないということもあり、オリンピックでの自国選手への応援は、帰属意識を持つ集団の構成員の活躍を喜ぶ人間としてごく自然な心理ではないか、と素朴に考えています。その意味で、オリンピックでの自国選手への熱狂的な応援や大々的な報道は、それがきょくたんに排外主義的でなければ大きな問題ではないと思いますし、現代日本社会では、オリンピックに関しては、排外主義をそれほど懸念する状況にはない、と私は考えています。もっとも、「進歩的で良心的」な言説では、私とは大きく異なる評価・現状認識になるのかもしれませんが。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。ロンドンオリンピックの男子体操の個人総合で内村航平選手が優勝し、大々的に報道されたのですが、日本人としては1984年のロサンゼルスオリンピックでの具志堅幸司選手以来の快挙ということで、具志堅選手が優勝した時の映像がNHKのニュースでも流されました。1984年のロサンゼルスオリンピックは、私がはじめて本格的に見たオリンピックということで、たいへん印象に残っていますが、その後の大規模な商業主義的オリンピックの始まりという意味で、画期的なオリンピックだったようです。
ロサンゼルスオリンピックの前大会はモスクワで開催されたのですが、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由として、多くの西側諸国がボイコットし、当時ソ連と対立関係にあった中国もボイコットしました。その報復として、ロサンゼルスオリンピックでは多くの東側諸国がボイコットしたのですが、当時は社会主義陣営にありながら、ソ連と距離を置いていたルーマニアは参加し、開会式の入場行進で大きな拍手が送られたことを覚えています。すっかり忘れていたのですが、調べてみたところ、このロサンゼルスオリンピックでルーマニアの金メダル獲得数は、開催国のアメリカ合衆国に次ぐ2位でした。
この5年後に、一連の東欧革命のなかで、ルーマニアで長年独裁体制を維持してきたチャウシェスク政権が崩壊し、その非道な体制が大きく報道されることになるとは、当時小学6年生の私にはまったく予想できませんでしたし、そもそも当時はチャウシェスク政権がそれほどひどい体制であることも、まったく知りませんでした。今になってみると、ロサンゼルスオリンピックが開催されたのは冷戦末期だったわけですが、当時は、5年後にベルリンの壁が崩壊するなど東欧革命が起き、7年後にソ連が崩壊するとは、平凡な小学生にはまったく予想のつかないことでした。
当時は夏季オリンピックと冬季オリンピックとが同年に開催されており、ロサンゼルスオリンピックの開催された1984年の冬季オリンピックはサラエボで開催されました。この後、冷戦の崩壊に伴いユーゴスラビア連邦も崩壊し、一連のユーゴスラビア紛争でサラエボは大きな打撃を受け、多数の犠牲者が出てしまいました。サラエボオリンピックにはあまり関心はなく、それほど熱心に見たわけではないのですが、オリンピックの開催から10年も経過しないうちに、サラエボが戦闘で大規模な破壊を受けたことは衝撃でした。まとまりのない文章になってしまいましたが、1984年のロサンゼルスオリンピックの映像をたまたま見たので、雑感を述べた次第です。
この記事へのコメント
昨晩、このブログを読んでから寝ようとしていたらオリンピックの話題に「これからなでしこではないか?」と思いだしテレビつけて見ちゃいました、嫌いなのに(笑)・・寝たのは3時だし・・(笑)
今回柔道は、先日の平清盛の日以来真剣にみてます(笑)判定が覆ったのは初めて見たのでびっくりでしたが、篠原の昔の因縁があったので食い入ってみました。
モスクワオリンピックは1980年だったんですね、あの時は地元の知人の知人がレスリングに出場予定だったので気の毒でした。
それに・・私は大人でしたが、劉さんは小学生?(笑)
冷戦時はこの時だけは世界が一つになる祭典として意義がありましたね。
サラエボはほとんど見ていなかったバリバリ仕事してました(笑)
今日の陸上選手は筋肉のつきぐあいを比較しながら見ていると・・原始人類的で面白いかもしれません・・よ。
陸上の美しい選手が増えました~(笑)
スポーツというと、当時はオリンピックと無縁の相撲・野球(相撲はずっと無縁ですが)くらいにしか興味がなかったこともあるのでしょう。
紙面でもメダル獲得数と僅かな記事だった?かも(うろおぼえ)笑。
その、相撲、野球好きに玉子焼きが好きなら同じ世代に近いよーな。笑。
この競技は伝統と歴史があるけど、サッカーはまだ浅いから、一定の世代には受け入れられないスポーツのような気がします。
劉さんはどっぷり文系の男子って感じです~ね‼
知的生産力が上回っている?笑。
今日の『平清盛』は遅れないで欲しいです。
サッカーは体育の授業でやりましたが、面白いとは思えませんでした。ソフトボール・バレーボール・柔道などは面白かったのですが。