森下徹『武士という身分 城下町萩の大名家臣団』

 まだ日付は変わっていないのですが、8月26日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2012年7月に刊行されました。武士が平安時代から幕末までどのように変容していったのか、という問題への関心は一般的にも高いように思うのですが、本書では江戸時代の萩藩(長州藩)を対象に、その具体的様相が叙述されています。江戸時代には武士の官僚化が進んだと言われることが多いように思いますが、本書では、大きく変容しつつも、江戸時代を通じて全体的に武士団の軍事組織的が強く保持されており、武士団は領民にたいして武威によって睨みをきかせていたことが指摘されています。

 また近年では、江戸時代の身分制がじゅうらい言われていたほど強固なものではなく、江戸時代の武家社会が家格や身分に縛られた閉鎖的なものではなかったことを強調する見解も提示されていますが、本書は江戸時代の武家社会の腐敗と利権構造なども指摘しつつ、江戸時代の武家社会の閉鎖的性格を改めて強調しています。本書を読むと、萩藩家臣団の規律が弛緩していたことや、家臣団下層による利権・腐敗構造が恒常的・構造的になっていたことが印象に残ります。もっとも、本書の研究対象はあくまでも萩藩であり、おそらく同時代の日本の武家社会に共通する特徴が多いだろうとはいえ、ただちに日本全体の事象として一般化することには慎重であるべきでしょう。

この記事へのコメント

なんてこったい(!!)
2012年08月27日 20:14
江戸時代の各藩(大名家)の史料で、個人的に気になるものは家臣団の名簿的存在の史料です。特に細川家の小倉藩時代の(関ヶ原の合戦の後の)慶長年間のものを見てみたいです。それはなぜかというと今年の4月13日が何の史料的根拠の無い400周年とされる巌流島の決闘の当事者の一人、○○小次郎という人物が細川家の兵法指南役かどうか確認できるからです。本当に当時の小倉藩主・細川忠興は小次郎を兵法指南役として召し抱えたのか? それが事実であれば、小次郎の禄高や知行地などの史料があってもいいはずです。決闘の通説支持者が、細川家に『沼田家記』(1672年)以外に小次郎自身や巌流島の決闘に関する史料が残っていないのは、小次郎が宮本武蔵に敗れた事によって面目を潰された細川家が史料を破棄処分したと思っているようです。しかし、史料が残っていないのは、小次郎と武蔵と細川家の関係は二人が小倉領内での試合の許可を求めたら断られたという関係だったのではないかと思われます。
2012年08月28日 20:22
前近代の剣豪は伝説として語られていて、どこまでが事実なのか、不明なところが多々ありますね。

剣豪の性格も様々なのでしょうが、自尊心と自己顕示欲の強い人が多そうで、それ故の伝説も多々あるようにも思います。

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