人種・民族の違いと人種差別

 「人種と民族の違いを知っていますか?」という表題のブログ記事話題になっていたので読みました。「gingin1234」氏の

 こういう発言にも突っかかってる連中って、当然、韓国人の方にも徹底的に罵倒してるんだよな? 相手の民族によって異なる対応をするということは、すなわち人種差別だということくらいは知ってるよね?

という発言にたいして、民族と人種が概念として異なることを知らないのではないか、と指摘した記事です。10年以上前から、日本人と韓国人は同じ人種なのだから、日本人の韓国人にたいする差別(その逆も)は人種差別ではなく民族差別だ、という指摘をネットでたびたび見かけます。この文脈では、日本人は「ヤマト民族」で韓国人は「朝鮮民族」だということが大前提になっているようですが、この問題は今回は扱いません。上記のブログ記事も、同様の論理で「gingin1234」氏の上記発言の間違いを指摘しています。しかし、人種差別撤廃条約にて

 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。

と述べられていることもありますが、たとえば日本人と韓国人とのように同じ人種(と考えられている)間の差別であろうとも、世界では一般的に人種差別と呼ぶのだろう、と私は考えていたので、「gingin1234」氏の上記発言における人種差別の用法は、間違いとは言えないのではないか、と思います。もっとも、これは私の知識・見解であり、私は差別問題に精通しているわけではないので、自分の認識が妥当かというと確固たる自信はなく、あるいは私の認識が的外れなのかもしれませんが。

 それにしても、上記のブログ記事を読んで、現代日本社会において三大人種説はすっかり浸透しているのだな、と改めて思います。この問題については、以前このブログで取り上げましたが、私が高校生の頃に使っていた二十数年前の世界史教科書でも、上記のブログ記事と同様の認識が示されていました。三大人種説についてはその記事で取り上げましたが、とても妥当とは言えない三大人種説が現代日本社会で浸透してしまっているように思われるのは、日本の教育の問題でもあるのでしょう。

 日本人として、日本人のありようを批判している時に、「中国人と韓国人にも言え!!」と言われても論点のすり替えにもなっていません。あくまで、日本人としてのアイデンティティをめぐる問題なのです。日本人として恥ずかしい人を批判しているのです。なので、民族差別でもなんでもありません。

との上記のブログ記事の指摘については、主観的にはそうであっても、自分の帰属する(と当人が認識している)共同体の構成員への批判が偏見・先入観などによる的外れなものであれば、それが民族差別・ヘイトスピーチなどと批判されて当然でしょう(上記のブログ記事がそうだというわけではありません、念のため)。なお、上記「gingin1234」氏のコメントは、たとえばアメリカ合衆国の政治家が嫌日感情丸出しの出鱈目な日本異質論を主張した場合、それを批判するアメリカ合衆国の国民は日本国民の出鱈目な反米発言も見つけ出して批判しなければならない、という論理にも通ずるわけで、道理が通らないのもさることながら、それぞれ差はにしても、知力・気力・経済力に限界のある各個人におよそ非現実的なことを要求していることにもなり、まったく説得力がないと思います。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック