大河ドラマ『独眼竜政宗』再放送終了
時代劇専門チャンネルでの再放送が、昨日最終回を迎えました。総集編を2回ほど視聴したものの、全編の視聴は本放送以来じつに四半世紀振りとなり、どれだけのことを覚えているかな、と思って視聴を始めたのですが、意外と覚えている場面や音楽が多くてなんとも懐かしく、最終回まで楽しんで視聴できました。本放送当時、私は中学生で夢中になって毎週視聴していましたが、さすがに初見時ほど熱中できたわけではないものの、40歳を目前にした今でもじゅうぶん楽しめました。四半世紀を経過しても意外に記憶に残っているということは、それだけ本放送当時熱心に視聴していたということなのかもしれません。
四半世紀振りに改めて視聴しても、この作品は面白かった、との印象は変わらず、むしろやや評価が高くなりました。本放送時、私は中学生だったのですが、秀吉没後はやや失速したかな、と思っていました。しかし、40才を目前にして再視聴してみると、秀吉没後もなかなか見ごたえがあり、前半とは異なる面白さがありました。中学生の頃は、前半の若き政宗の野心剥き出しの言動に惹かれており、後半はその点で物足りなくなったのですが、40才を目前にした今では、築き上げたものを守ろうと苦慮する後半の政宗に共感するようになりました。
この作品の政宗は、文武に長けた名将という設定になっていますが、主人公として単純に美化されているわけではなく、短慮なところも目立ち、むしろ器の小ささが強調されている、とも受け取られるように思います。物語の基本的な構造が、奥州の野心あふれる若き覇者が秀吉・家康という天下人の前に屈し、近世大名として生き残るというものですから、秀吉・家康にたいして器の小ささが見られるのは仕方のないところもあります。しかし、一方で政宗の優秀さや豪胆なところも描かれており、単純に美化されているわけでも、魅力がなく腹黒いだけの人物として造形されているわけでもないところも、この作品の評価の高さの一因になっているかもしれません。
四半世紀振りの視聴ということで、さすがにすっかり忘れていたこともあり、政宗の叔父の国分盛重が、関ヶ原の戦いの頃に出奔した後、再登場したことは記憶にありませんでした。盛重が出奔するさいの一人芝居は、この作品の見所の一つになっています。その他では、柳生宗矩の初登場が秀吉死去の次回だったこと(もっと後だと記憶していました)や、家康が淀君・秀頼の遺体を検分していたことなどもすっかり忘れていました。多くの場面が記憶に残っていたので、新鮮さはありませんでしたが、改めて視聴しても面白い作品であり、再放送が終了した今は寂しいものです。
四半世紀振りに改めて視聴しても、この作品は面白かった、との印象は変わらず、むしろやや評価が高くなりました。本放送時、私は中学生だったのですが、秀吉没後はやや失速したかな、と思っていました。しかし、40才を目前にして再視聴してみると、秀吉没後もなかなか見ごたえがあり、前半とは異なる面白さがありました。中学生の頃は、前半の若き政宗の野心剥き出しの言動に惹かれており、後半はその点で物足りなくなったのですが、40才を目前にした今では、築き上げたものを守ろうと苦慮する後半の政宗に共感するようになりました。
この作品の政宗は、文武に長けた名将という設定になっていますが、主人公として単純に美化されているわけではなく、短慮なところも目立ち、むしろ器の小ささが強調されている、とも受け取られるように思います。物語の基本的な構造が、奥州の野心あふれる若き覇者が秀吉・家康という天下人の前に屈し、近世大名として生き残るというものですから、秀吉・家康にたいして器の小ささが見られるのは仕方のないところもあります。しかし、一方で政宗の優秀さや豪胆なところも描かれており、単純に美化されているわけでも、魅力がなく腹黒いだけの人物として造形されているわけでもないところも、この作品の評価の高さの一因になっているかもしれません。
四半世紀振りの視聴ということで、さすがにすっかり忘れていたこともあり、政宗の叔父の国分盛重が、関ヶ原の戦いの頃に出奔した後、再登場したことは記憶にありませんでした。盛重が出奔するさいの一人芝居は、この作品の見所の一つになっています。その他では、柳生宗矩の初登場が秀吉死去の次回だったこと(もっと後だと記憶していました)や、家康が淀君・秀頼の遺体を検分していたことなどもすっかり忘れていました。多くの場面が記憶に残っていたので、新鮮さはありませんでしたが、改めて視聴しても面白い作品であり、再放送が終了した今は寂しいものです。
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