現生人類の出アフリカはトバ噴火の前か後か
現生人類(ホモ=サピエンス、解剖学的現代人)の出アフリカの時期に関する見解(Oppenheimer., 2012)の要約を読みました。後期更新世に解剖学的現代人(AMH)はアフリカから世界各地へと拡散していきました。解剖学的現代人は、125000年前頃の間氷期(海洋酸素同位体ステージ5の頃)に、獲物とともに現代ではサハラ砂漠となっている地域を通って、レヴァントへと北方に進出していったと考えられますが、同時期に解剖学的現代人がアラビア半島を経由して極東へと広がっていったことを示すかもしれない証拠も、いくつか主張されています。しかし、この時期に解剖学的現代人がヨーロッパへと進出した証拠は発見されておらず、それはヨーロッパにはすでにネアンデルタール人がいたためなのかもしれません。
海洋酸素同位体ステージ5の間氷期が終わると、現代のサハラ砂漠地域とアラビア半島は乾燥状態に戻り、92000年前以降、解剖学的現代人がヨーロッパなど本格的に世界各地へと進出するようになる頃まで、解剖学的現代人の化石はレヴァントでは発見されておらず、この時期のレヴァントではネアンデルタール人の化石が発見されています。こうした化石記録から、海洋酸素同位体ステージ5の頃にレヴァントへと進出した解剖学的現代人は、絶滅したかアフリカに戻っていったのではないか、との見解が有力です。また上述したように、この時期に解剖学的現代人がアラビア半島を経由して極東へと広がっていったことを示すかもしれない証拠も主張されていますが、71600年前頃のトバ大噴火の前には、アラビア半島から極東へといたる地域の解剖学的現代人の考古学的記録は見られなくなった、と主張されています。
そのため、トバ大噴火の前に出アフリカを果たした解剖学的現代人は、そのままアフリカ以外の地域で非アフリカ系現代人の祖先になったのではない、と考えられています。現代人のミトコンドリアやY染色体のDNAが解析・比較されていますが、そうした遺伝学的証拠もこの仮説を支持しており、非アフリカ系現代人の祖先集団が出アフリカに成功したのはトバ大噴火の後になってのことであり、それは単一の集団による南回りでのインド方面への進出だった、と考えられています。解剖学的現代人はサフルランドに遅くとも48000年前頃には到達し、その年代はおそらく60000~50000年前にまでさかのぼるでしょう。解剖学的現代人は海洋酸素同位体ステージ3の時期の46000年前頃にヨーロッパに到達しましたが、おそらくそれは、気候の温暖化と関係しているでしょう。
ただ、充分な化石証拠がないなかで、こうした解剖学的現代人後期拡散説が依拠している遺伝学的年代には曖昧なところもあり、厳密に年代が絞り込めているわけではありません。近年になって、こうした遺伝学的年代の見直しが進められており、新たな補正年代の幅の上限は、トバ大噴火の頃にまでさかのぼります。ただ依然として、遺伝学的には解剖学的現代人の出アフリカの年代はトバ大噴火以降である可能性のほうが高く、現時点では解剖学的現代人後期拡散説のほうが主流です。この問題の解明のためには、さらなる人骨及び考古学的な証拠が必要とされています。
以上、この見解についてざっと述べてきましたが、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源はトバ大噴火の後に出アフリカを果たした小集団に由来し、それは一回の出来事だった可能性が高いとは思います。ただ、トバ大噴火前に出アフリカを果たした解剖学的現代人のなかには、絶滅したりアフリカに戻ったりせずに、非アフリカ系現代人に遺伝子を残している集団もいたのではないか、と思います。おそらく、トバ大噴火前に出アフリカを果たした解剖学的現代人集団にたいして、トバ大噴火後に出アフリカを果たした解剖学的現代人集団は小集団から拡大し、前者にたいして人口面で優勢だったために、両者の交雑は前者が後者を吸収する形になり、単系統遺伝となるミトコンドリアやY染色体では、後者の遺伝的痕跡が非アフリカ系現代人に見られない、という結果になったのではないか、と思います。おそらく、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)やデニソワ人(が分類されるべき種もしくは亜種)と解剖学的現代人の交雑と同じようなことが起きたのでしょう。
参考文献:
Oppenheimer S. et al.(2012): A single southern exit of modern humans from Africa: Before or after Toba? Quaternary International, 258, 88–99.
http://dx.doi.org/10.1016/j.quaint.2011.07.049
海洋酸素同位体ステージ5の間氷期が終わると、現代のサハラ砂漠地域とアラビア半島は乾燥状態に戻り、92000年前以降、解剖学的現代人がヨーロッパなど本格的に世界各地へと進出するようになる頃まで、解剖学的現代人の化石はレヴァントでは発見されておらず、この時期のレヴァントではネアンデルタール人の化石が発見されています。こうした化石記録から、海洋酸素同位体ステージ5の頃にレヴァントへと進出した解剖学的現代人は、絶滅したかアフリカに戻っていったのではないか、との見解が有力です。また上述したように、この時期に解剖学的現代人がアラビア半島を経由して極東へと広がっていったことを示すかもしれない証拠も主張されていますが、71600年前頃のトバ大噴火の前には、アラビア半島から極東へといたる地域の解剖学的現代人の考古学的記録は見られなくなった、と主張されています。
そのため、トバ大噴火の前に出アフリカを果たした解剖学的現代人は、そのままアフリカ以外の地域で非アフリカ系現代人の祖先になったのではない、と考えられています。現代人のミトコンドリアやY染色体のDNAが解析・比較されていますが、そうした遺伝学的証拠もこの仮説を支持しており、非アフリカ系現代人の祖先集団が出アフリカに成功したのはトバ大噴火の後になってのことであり、それは単一の集団による南回りでのインド方面への進出だった、と考えられています。解剖学的現代人はサフルランドに遅くとも48000年前頃には到達し、その年代はおそらく60000~50000年前にまでさかのぼるでしょう。解剖学的現代人は海洋酸素同位体ステージ3の時期の46000年前頃にヨーロッパに到達しましたが、おそらくそれは、気候の温暖化と関係しているでしょう。
ただ、充分な化石証拠がないなかで、こうした解剖学的現代人後期拡散説が依拠している遺伝学的年代には曖昧なところもあり、厳密に年代が絞り込めているわけではありません。近年になって、こうした遺伝学的年代の見直しが進められており、新たな補正年代の幅の上限は、トバ大噴火の頃にまでさかのぼります。ただ依然として、遺伝学的には解剖学的現代人の出アフリカの年代はトバ大噴火以降である可能性のほうが高く、現時点では解剖学的現代人後期拡散説のほうが主流です。この問題の解明のためには、さらなる人骨及び考古学的な証拠が必要とされています。
以上、この見解についてざっと述べてきましたが、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源はトバ大噴火の後に出アフリカを果たした小集団に由来し、それは一回の出来事だった可能性が高いとは思います。ただ、トバ大噴火前に出アフリカを果たした解剖学的現代人のなかには、絶滅したりアフリカに戻ったりせずに、非アフリカ系現代人に遺伝子を残している集団もいたのではないか、と思います。おそらく、トバ大噴火前に出アフリカを果たした解剖学的現代人集団にたいして、トバ大噴火後に出アフリカを果たした解剖学的現代人集団は小集団から拡大し、前者にたいして人口面で優勢だったために、両者の交雑は前者が後者を吸収する形になり、単系統遺伝となるミトコンドリアやY染色体では、後者の遺伝的痕跡が非アフリカ系現代人に見られない、という結果になったのではないか、と思います。おそらく、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)やデニソワ人(が分類されるべき種もしくは亜種)と解剖学的現代人の交雑と同じようなことが起きたのでしょう。
参考文献:
Oppenheimer S. et al.(2012): A single southern exit of modern humans from Africa: Before or after Toba? Quaternary International, 258, 88–99.
http://dx.doi.org/10.1016/j.quaint.2011.07.049
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