現生人類の東方への拡散をめぐる議論
『ネイチャー』の5月3日号にて、現生人類(ホモ=サピエンス)の世界各地への拡散の様相についての特集が組まれていることを、以前このブログにて紹介しましたが、そのうちの、現生人類の東方への拡散をめぐる議論についての解説(Appenzeller., 2012)を読みました。この解説では、現生人類の出アフリカと東方(アジア大陸・オーストラリア大陸)への進出について、その時期と経路を巡る議論が取り上げられています。この解説では、早期拡散説(トバ大噴火前仮説)と後期拡散説(トバ大噴火後仮説)という、大きく分けて二つの仮説についてやや詳しく述べられています。この解説では、前者の代表的主張者としてマイケル=ペトラグリア氏、後者の代表的主張者としてポール=メラーズ氏が紹介されています。
まずは近年まで支配的な仮説だったといってよい後期拡散説についてです。後期拡散説では、74000年前頃のトバ大噴火以降に、南アジア沿岸伝いで(インド洋沿いに)現生人類のアジア大陸・オーストラリア大陸への進出が始まった、とされます。インドやスリランカでは、トバ大噴火前には単純な石器しか発見されていないのに、トバ大噴火以降は、細石刃へといたる洗練された石器やビーズのような装飾品が出土するようになり、それは45000年前頃のヨーロッパにおける現生人類の出現と似た変化であり、短期間でのことだった、とされます。後期拡散説の特徴の一つは、出アフリカ後の現生人類の急速な拡散を想定していることです。
しかしながら、想定される時期の南アジアにおける人骨や石器などの人工物の証拠が乏しく、解釈に曖昧なところがあるのは否定できません。後期拡散説では、当時の現生人類の主要な拡散経路はアジア大陸南岸沿いであり、更新世末期~完新世にかけての海面上昇で水没して現在は海面下にあるので、証拠が乏しいのだ、と説明されます。これは合理的な説明であり、私もそうした可能性について何度か言及した記憶がありますが、後述するように、私の考える早期拡散説でもこうした説明が可能ですので、もちろん矛盾するわけではなく、整合的とも言えますが、後期拡散説の根拠にはならないと思います。
後期拡散説は遺伝学の研究でも支持されています。ミトコンドリアDNAの研究では、非アフリカ系現代人全員はL3系統から派生したMもしくはN系統に分類されます(当然のことながら、M系統もN系統もそれぞれさらに細分化されます)。そこで、L3系統やそこから派生したM系統・N系統の分岐年代が問題になってくるのですが、いずれもトバ大噴火以降とされており、出アフリカの年代もそれ以降と考えられます。Y染色体の研究からは、さらに出アフリカの年代が下ると考えられ、後期拡散説では、現生人類の出アフリカとアジア大陸・オーストラリア大陸への進出は早くても60000年前以降であり、アジア大陸南岸沿いに急速にオーストラリア大陸まで拡散していった、と主張されます。
さらに後期拡散説の特徴として挙げられるのが、現生人類の出アフリカとアジア大陸・オーストラリア大陸への進出の要因として、技術革新が想定されていることです。具体的には、アフリカ南部で65000~50000年前に栄えたハウイソンズプールト文化のような洗練された技術を携えて、現生人類は出アフリカを果たしたのではないか、と考えられています。技術革新により、現生人類はネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)など他のユーラシア大陸の先住人類との競争に勝利したのではないか、ということなのでしょう。
一方、早期拡散説では、現生人類はアジアに遅くとも74000年前頃に、おそらくは125000年前頃には進出しており、その道具は先住人類と比較して洗練されていたわけではない、とされます。早期拡散説では、急速な拡散を想定する後期拡散説にたいして、55000年前頃という想定される南アジアへの現生人類の進出時期と、40000年前以降という南アジアにおける細石刃の出現時期との間隔を指摘します。また、南アジアにおいてトバ大噴火前の77000~74000年前頃の層から発見されるスクレーパーの担い手は現生人類かネアンデルタール人と考えられますが、南アジアにはネアンデルタール人は存在しないので、トバ大噴火前に現生人類が南アジアに進出していたのだ、と主張されます。
早期拡散説では、時期だけではなく経路も後期拡散説とは異なっており、インド洋沿いに南アジアへと進出したとする後期拡散説にたいして、川・湖沿いに人類は拡散したのではないか、と推測されています。また、早期拡散説では現生人類拡散の要因として気候・生態系の変動が重視されます。近年のアラビア半島における研究成果では、ヌビアで発見された石器と類似した石器が、100000年以上前のアラビア半島の遺跡で発見され、その時期に現生人類がアラビア半島へ進出していた可能性は高く、それはアラビア半島が湿潤な気候だったからだ、と説明されます。また早期拡散説では、後期拡散説の遺伝学的根拠についても、現代人の分布からの推測であり、早期に出アフリカを果たした現生人類の遺伝的痕跡が失われた可能性が指摘されています。
こうした早期拡散説の指摘にたいして後期拡散説では、ヌビアで発見された石器と類似したものはインドでは発見されておらず、100000年以上前にアラビア半島に進出した現生人類は、同じ頃にレヴァントに進出した現生人類と同様に、気候変動によりアラビア半島が乾燥化したために、絶滅したかアフリカに戻ったのであり、さらに東方のイランやインドにまで進出したのではない、と早期拡散説が批判されます。これにたいして後期拡散説では、ヌビア出土の石器と類似していないにしても、他のアフリカ東部の中期石器時代の石器と類似した石器がアラビア半島のジェベルファーヤ遺跡で発見されている(関連記事)、と反論されています。
こうした両説の応酬にたいして、クリス=ストリンガー氏のような他の研究者たちは、人骨・人工物の証拠が乏しいことから、もっとデータが得られるまでどちらかを支持することはしない、という慎重な判断を示しています。また、クリス=クラークソン氏は、早期拡散説で現生人類の所産とされるインドやアラビア半島での人工物は、未知の古代型人類集団の所産かもしれない、と考えています。早期拡散説も後期拡散説も、乏しく曖昧な人工物に依拠している、とクラークソン博士は指摘しています。
以上、この解説をざっと紹介しましたが、私は早期拡散説の方に傾いています。ただ、早期拡散説といっても、川沿い・湖沿いだけではなく、インド洋沿いの南アジアへの進出もあっただろう、と思います。ただし、現時点での遺伝学的な研究成果から、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源は、80000~50000年前頃に出アフリカを果たした比較的小さな現生人類集団に由来するだろう、と考えています。おそらく、100000年以上前に出アフリカを果たした現生人類は、絶滅したか、環境変動に伴いアフリカに戻ったか、後から進出してきた現生人類集団に吸収され、ネアンデルタール人やデニソワ人のように、現代人のミトコンドリアやY染色体に遺伝的痕跡を残していないのではないか、と考えています。
参考文献:
Appenzeller T.(2012): Human migrations: Eastern odyssey. Nature, 485, 24-26.
http://dx.doi.org/10.1038/485024a
まずは近年まで支配的な仮説だったといってよい後期拡散説についてです。後期拡散説では、74000年前頃のトバ大噴火以降に、南アジア沿岸伝いで(インド洋沿いに)現生人類のアジア大陸・オーストラリア大陸への進出が始まった、とされます。インドやスリランカでは、トバ大噴火前には単純な石器しか発見されていないのに、トバ大噴火以降は、細石刃へといたる洗練された石器やビーズのような装飾品が出土するようになり、それは45000年前頃のヨーロッパにおける現生人類の出現と似た変化であり、短期間でのことだった、とされます。後期拡散説の特徴の一つは、出アフリカ後の現生人類の急速な拡散を想定していることです。
しかしながら、想定される時期の南アジアにおける人骨や石器などの人工物の証拠が乏しく、解釈に曖昧なところがあるのは否定できません。後期拡散説では、当時の現生人類の主要な拡散経路はアジア大陸南岸沿いであり、更新世末期~完新世にかけての海面上昇で水没して現在は海面下にあるので、証拠が乏しいのだ、と説明されます。これは合理的な説明であり、私もそうした可能性について何度か言及した記憶がありますが、後述するように、私の考える早期拡散説でもこうした説明が可能ですので、もちろん矛盾するわけではなく、整合的とも言えますが、後期拡散説の根拠にはならないと思います。
後期拡散説は遺伝学の研究でも支持されています。ミトコンドリアDNAの研究では、非アフリカ系現代人全員はL3系統から派生したMもしくはN系統に分類されます(当然のことながら、M系統もN系統もそれぞれさらに細分化されます)。そこで、L3系統やそこから派生したM系統・N系統の分岐年代が問題になってくるのですが、いずれもトバ大噴火以降とされており、出アフリカの年代もそれ以降と考えられます。Y染色体の研究からは、さらに出アフリカの年代が下ると考えられ、後期拡散説では、現生人類の出アフリカとアジア大陸・オーストラリア大陸への進出は早くても60000年前以降であり、アジア大陸南岸沿いに急速にオーストラリア大陸まで拡散していった、と主張されます。
さらに後期拡散説の特徴として挙げられるのが、現生人類の出アフリカとアジア大陸・オーストラリア大陸への進出の要因として、技術革新が想定されていることです。具体的には、アフリカ南部で65000~50000年前に栄えたハウイソンズプールト文化のような洗練された技術を携えて、現生人類は出アフリカを果たしたのではないか、と考えられています。技術革新により、現生人類はネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)など他のユーラシア大陸の先住人類との競争に勝利したのではないか、ということなのでしょう。
一方、早期拡散説では、現生人類はアジアに遅くとも74000年前頃に、おそらくは125000年前頃には進出しており、その道具は先住人類と比較して洗練されていたわけではない、とされます。早期拡散説では、急速な拡散を想定する後期拡散説にたいして、55000年前頃という想定される南アジアへの現生人類の進出時期と、40000年前以降という南アジアにおける細石刃の出現時期との間隔を指摘します。また、南アジアにおいてトバ大噴火前の77000~74000年前頃の層から発見されるスクレーパーの担い手は現生人類かネアンデルタール人と考えられますが、南アジアにはネアンデルタール人は存在しないので、トバ大噴火前に現生人類が南アジアに進出していたのだ、と主張されます。
早期拡散説では、時期だけではなく経路も後期拡散説とは異なっており、インド洋沿いに南アジアへと進出したとする後期拡散説にたいして、川・湖沿いに人類は拡散したのではないか、と推測されています。また、早期拡散説では現生人類拡散の要因として気候・生態系の変動が重視されます。近年のアラビア半島における研究成果では、ヌビアで発見された石器と類似した石器が、100000年以上前のアラビア半島の遺跡で発見され、その時期に現生人類がアラビア半島へ進出していた可能性は高く、それはアラビア半島が湿潤な気候だったからだ、と説明されます。また早期拡散説では、後期拡散説の遺伝学的根拠についても、現代人の分布からの推測であり、早期に出アフリカを果たした現生人類の遺伝的痕跡が失われた可能性が指摘されています。
こうした早期拡散説の指摘にたいして後期拡散説では、ヌビアで発見された石器と類似したものはインドでは発見されておらず、100000年以上前にアラビア半島に進出した現生人類は、同じ頃にレヴァントに進出した現生人類と同様に、気候変動によりアラビア半島が乾燥化したために、絶滅したかアフリカに戻ったのであり、さらに東方のイランやインドにまで進出したのではない、と早期拡散説が批判されます。これにたいして後期拡散説では、ヌビア出土の石器と類似していないにしても、他のアフリカ東部の中期石器時代の石器と類似した石器がアラビア半島のジェベルファーヤ遺跡で発見されている(関連記事)、と反論されています。
こうした両説の応酬にたいして、クリス=ストリンガー氏のような他の研究者たちは、人骨・人工物の証拠が乏しいことから、もっとデータが得られるまでどちらかを支持することはしない、という慎重な判断を示しています。また、クリス=クラークソン氏は、早期拡散説で現生人類の所産とされるインドやアラビア半島での人工物は、未知の古代型人類集団の所産かもしれない、と考えています。早期拡散説も後期拡散説も、乏しく曖昧な人工物に依拠している、とクラークソン博士は指摘しています。
以上、この解説をざっと紹介しましたが、私は早期拡散説の方に傾いています。ただ、早期拡散説といっても、川沿い・湖沿いだけではなく、インド洋沿いの南アジアへの進出もあっただろう、と思います。ただし、現時点での遺伝学的な研究成果から、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源は、80000~50000年前頃に出アフリカを果たした比較的小さな現生人類集団に由来するだろう、と考えています。おそらく、100000年以上前に出アフリカを果たした現生人類は、絶滅したか、環境変動に伴いアフリカに戻ったか、後から進出してきた現生人類集団に吸収され、ネアンデルタール人やデニソワ人のように、現代人のミトコンドリアやY染色体に遺伝的痕跡を残していないのではないか、と考えています。
参考文献:
Appenzeller T.(2012): Human migrations: Eastern odyssey. Nature, 485, 24-26.
http://dx.doi.org/10.1038/485024a
この記事へのコメント
昨年公表された遺伝学的研究により、デニソワ人(が分類されるべき種もしくは亜種)が東南アジアまで進出していた可能性の高いことが指摘されましたから、南アジアにデニソワ人が進出していた可能性も高いのではないか、とは思います。