毛沢東の伝記についての評価

 6~7年前になりますが、『マオ―誰も知らなかった毛沢東』上・下という毛沢東の伝記が日本でも評判になり、当時日本のマスコミの書評の多くでは高く評価されていましたし、今でも一般には高く評価されているようです。刊行された当時、図書館で借りて読んでみて、面白そうなら購入しようと考えていたのですが、近所の図書館では私が行ったときはずっと貸出状態で、予約してまで読もうというほどの熱意はなかったので、今まで読まずにきました。『マオ―誰も知らなかった毛沢東』は、近年の日本における嫌中感情の高まりに一定以上の影響を与えており、中国にたいする嫌悪感の強い人の多くから高く評価されているようですが、以下のように、かなり問題のある本ではないか、との指摘もあります。この問題についての優先順位はそれほど高くないのですが、いつかは時間を作って毛沢東の伝記を読み比べていきたいものです。


書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』
http://www25.big.or.jp/~yabuki/2006/ya-mao.pdf
初めに断っておくが、毛沢東の「神格化」否定や虚像破壊に対して、私は反対ではない。毛沢東個人崇拝が現代中国史を彩る悲劇の核心であることは明らかだ。しかし「神格化」を否定して単に「悪魔化」しただけでは、悲劇を克服することにはならない。毛沢東を「スターリンよりも、ヒトラーよりも悪い梟雄」と見るだけの視点から、強引に通説を否定した『マオ』は、遺憾ながら三文小説の域を出ない。「新説の論拠」がまるで示されていないので信憑性が問われる。

『マオ』における毛沢東の思想形成史の不在
http://cruel.org/cut/cut200601.html
要約: チアン&ハリデイ『マオ』は、新資料を使って内容的にも衝撃的だが、思想の展開がまったく描かれず、最初から最後まで毛沢東は何ら変化しない。さらに、無能だと強調するんだが、それならなぜ中国統一を果たせたのか、という当然の疑問に答えられず、あまりに説得力に欠く。

チアン=ハリデイ VS フィリップ・ショート:二つの毛沢東伝を比べると。
http://cruel.org/cut/cut200602.html
要約: ショート版の毛沢東伝は、思想史も追い、共産主義を選ぶまでの毛沢東の迷いと成長を描き出す。人間的な成長もあり、また文革を初め毛沢東が何を考えていたのか、それなりの論理を持って追う。これを読むと、チアン&ハリデイ『マオ』がいかに偏向しているか、一面的かはよくわかる。

毛沢東と「野望の王国」
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20101001/p2
 ショートの『毛沢東』を読んだ頭で読み直すと、『マオ』は一言で言うなら雁屋哲原作、由起賢二画の傑作マンガ『野望の王国』のような悪漢小説の一種としてみればわかりやすい。『野望の王国』で、日本を「力」で支配ために非道な権力闘争と殺戮を繰り返す橘征五郎・片岡仁の主人公コンビが、やはり野望に駆られて日本を支配しようとする橘征二郎や柿崎憲、新興宗教の教祖白川天星といったライバルたちと死闘を繰り返すように、中国支配を目指す毛沢東の前にも李立三、張国濤に王明、さらには林彪といった悪漢たちが次から次へ立ちはだかり死闘が展開されるのだが、毛の悪辣さと非道さが彼らより一段と勝っているので、最後に勝利するのである。

 ちなみに、野望と欲望にかられた俗物毛沢東が、なぜわざわざ非合法の弱小組織である中国共産党に入党したのか、という『マオ』の最大の「謎」も、『野望の王国』において東大法学部を首席で卒業した征五郎たちが、なぜわざわざ川崎市にしか勢力のない一地方暴力団の権力闘争に身を投じるのかという「謎」と妙に符合している。

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