大河ドラマ『平清盛』第12回「宿命の再会」

 今回は、清盛と義朝の再会を中心に、清盛と時子との結婚、あまりにも有名な発言の主とされている平時忠の初登場、清盛の弟の頼盛の元服、璋子(待賢門院)の最期、強訴にたいする平家貞の如才ない対応、武士の扱いも含めて国の在り様をめぐっての高階通憲(信西)と藤原頼長との決別、通憲の出家、舞子をめぐってわだかまりが強くなってきそうな忠盛・宗子夫妻と見どころが多数あり、これまでどちらかというと個別に展開してきた物語が収束するところも見られ、たいへん楽しめたのですが、正直なところ、詰め込みすぎではないか、と思います。個々の話には面白いものが多いので、もう少しじっくり描いてもよいのではないか、とも思うのですが、全体的な構想の問題もあるでしょうし、これから保元・平治の乱に向けてさらに人間模様を描いていかないといけないでしょうから、かなり展開が急というか駆け足気味なところもあったのも仕方のないところでしょうか。

 この作品の義朝は清盛の宿敵という位置づけですが、憎悪によるものというよりは、双方に自覚がないような描写になっているとはいえ、根底に友情があるような関係になっており、好敵手という表現のほうが適しているかもしれません。宮中の人間関係が怨念渦巻くドロドロとしたものなので、それとの対比で清盛と義朝の関係は爽やかなものに描こう、との製作意図なのかもしれません。両者の人物造形や関係についてはさすがに戯画化が過ぎていますし、陳腐な人物描写という批判もあるかもしれませんが、この好敵手同士が、平治の乱と常盤の処遇のさいにはどう描かれるのか、私は楽しみにしています。

 今回は、坂東で武士団の間の対立・闘争を調停して勢力を拡大しつつある義朝が、都に戻ってきて清盛と再会し、妻の明子が亡くなって自暴自棄になりかけていた清盛が再起する、という流れになっていたのですが、義朝が都に戻ってきた理由は、鳥羽院の命で探していた水仙を献上するためでした。鳥羽院は病の重くなった璋子を慰めるために、水仙を探すよう命じました。この作品では、水仙は鳥羽院と璋子との関係というか絆の象徴になっており、璋子の最期にもこのように重要な役割を果たすとは、いかにも藤本有紀氏らしい脚本だな、と思います。

 これは創作でしょうが、このようにして清盛・義朝と宮中の人間関係が結びつけられており、これまでの、さまざまな場面・人間関係に頻繁に切り替わっていく構成も、雑多でまとまりのないものとして終わるのではなく、今回のように計算されて大きな流れに収束していくのではないか、と今後の展開に期待しています。ただ、私は『ちりとてちん』を見て藤本氏の脚本家としての力量を高く評価しているので、雑多な感のある構成も計算されているのだろうな、と期待して見続けてきましたが、そうした先入観のない視聴者には、まとまりがないという理由で見限られる可能性があり、それも低視聴率の一因なのかな、とも思います。

 自暴自棄になりかけていた清盛を奮い立たせたのは、好敵手の義朝との再会だけではなく、弟の家盛の覚悟を知ったことでもありました。第8回での短くも印象的な演出にて、家盛は恋仲のおそらくは身分の低い家柄の女性を諦め、父親から持ちかけられた、しかるべき家柄の娘との結婚を決意したことが描かれました。伊勢平氏一門の繁栄のために、家盛は恋を貫くことを諦めたのですが、結婚のさいにも、家柄の違いを気にせず自らの意思・感情を貫いた清盛との対照性が強調されており、家盛の鬱屈も今後の見所になりそうです。もっとも、髙橋昌明『[増補改定]清盛以前』
https://sicambre.seesaa.net/article/201202article_25.html
所収の論考によると、清盛の最初の結婚にも政治的意図がありそうで、身分の違いにも関わらず結婚した清盛、という解釈は修正されることになりそうです。

 義朝の献上により鳥羽院は病の重くなった璋子に水仙を届けることができ、璋子は鳥羽院の愛情を受け止め、二人は初めて心を通い合わせます。最期にようやく愛することの優しさ・清げなることを悟った璋子は、鳥羽院の愛情をしっかりと認識し、穏やかな気持ちで亡くなります。璋子に傷つけられつつも璋子への愛情を持ち続け、それ故に璋子に辛く当たったこともあった鳥羽院は、号泣して璋子の死を嘆き悲しみます。璋子をずっと敵視し続けてきて、璋子が地獄に落ちることを願っていた得子(美福門院)も、璋子が得子の謀略と知りつつも出家し、罪深さを悔いていることや、得子の激しい敵意が璋子に人を愛することを教え、結果的に璋子を救ったことを知ったためなのか、自分でも理由がはっきりと分からないものの、璋子が極楽往生するよう願います。

 今回で璋子が退場となりましたが、璋子は清盛の最初の妻よりも存在感があり、この作品の序盤のメインヒロインだったと言ってもよいだろう、と思います。確かに、ほとんど事跡も説話も伝わっていない清盛の最初の妻(この作品での名前は明子)よりも、璋子のほうが物語としては面白くなりそうな話が多く伝わっているので、この点では脚本の成功と言ってもよいのではないか、と思います。この作品の中盤の山場であろう保元の乱を描くにあたって、璋子とその周辺の人間模様を取り上げておく必要があったとは思いますが、璋子がここまで大きく扱われたのは、物語として面白くなりそうだから、という制作者側の判断があったからなのでしょう。

 璋子についてまず間違いなく確実なのは、鳥羽帝の中宮となり7人の子を産んだことと、亡くなったさいに鳥羽院が大声で嘆き悲しんだことです。おそらく確かであろうことは、白河院崩御後しばらくして、得子(美福門院)が鳥羽院の寵愛を受けるようになり、璋子は以前と比較して疎んじられるようになった、ということです。真偽不明の伝承として、璋子の長男である崇徳帝の実父は鳥羽院ではなく白河院という話があります。藤原忠実の日記には、璋子が複数の男性と性的関係を持っていたことが書かれており、同時代の文献だけに信頼性が高いとも考えられますが、忠実と璋子の父である藤原公実との関係を考えると、悪意の込められた誇張の可能性もあるだろう、と思います。

 この作品の璋子の人物像は、こうした史実・伝承を組み合わせての創作で、心が空だったのが、鳥羽院からの寵愛が(表面的には)失われたこと・自分に向けられた得子の激しい敵意・義清(西行)の求愛などにより、人を愛するという気持ちが芽生えたというかそれを自覚するようになって、それがいかに人を傷つけるのか、じっさいに自分が鳥羽院・崇徳帝・義清などをどれだけ傷つけてきたのか、ということに気づき、自分の愚かさ・罪深さを自覚しつつ亡くなるものの、最期を迎えてようやく鳥羽院と心を通い合わせて穏やかな気持ちで亡くなる、という構成になっています。この人物造形は配役の妙もあって成功したように思われ、璋子は鳥羽院・藤原頼長とともにこの作品で強烈な印象を残したキャラとなりました。

 ただ、さほど自信はありませんが、璋子と鳥羽院との関係についての私の解釈は違っていて、璋子が亡くなったさいに鳥羽院が大声で嘆き悲しんだのは、鳥羽院の罪悪感によるところが大きかったのではないか、と思います。おそらく鳥羽院は、璋子の容貌の衰えもあり、璋子を遠ざけて若い得子を寵愛するようになったのでしょう。また、白河院政を否定とまではいかなくとも修正した鳥羽院にとって、白河院は疎ましくもある存在だったように思います。白河院に(性的な意味ではなく)愛されて育った璋子は、鳥羽院にとって白河院の存在を想起させる女性でもあり、その意味でも、璋子を避けたいという心理が白河院崩御後に働いたのではないか、と思います。この作品には登場しない、藤原忠実の娘である勲子(泰子、高陽院)が、白河院存命時に鳥羽帝への入内を白河院に潰されたにも関わらず、白河院没後に40歳近くになってから鳥羽院に入内したことも、鳥羽院の白河院政修正路線の一環だったように思います。

 璋子との関係がこのような状況だったところに若い得子が現われ、鳥羽院の寵愛は得子に移って璋子の待遇は悪くなり、呪詛事件などもあって璋子は落飾します。外部から見ると、白河院という後ろ盾を失って璋子の権勢は衰えて寂しい晩年を過ごした、と解釈できそうですが、璋子の主観としてはどうだったかというと、判断すべき材料がありません。璋子は心の強い人だったように思われるので、意外と平穏な心境だったのかもしれません。しかし、鳥羽院も含めて他の人からは寂しい晩年と映ったでしょうし、鳥羽院は璋子を冷遇するようになった張本人だけに、とくにそう思ったことでしょう。

 しかし、7人も子を生した間柄ですから(上述したように、崇徳帝は白河院の実子という説話もありますが)、かつて鳥羽院が璋子を寵愛していたことはおそらく間違いなく、得子を寵愛するようになって璋子を冷遇したとはいえ、まだ何らかの情も残っていたので、璋子の死にさいして後悔・罪悪感が生じ、大声で嘆き悲しんだのではないか、と思います。私の解釈はこのように単純なものなのですが、この作品では、得子が鳥羽院に(少なくとも表面的には)寵愛されるようになっても、鳥羽院の心は璋子のほうにあり、璋子も晩年になってようやく自らの愚かな行為を悟り、最期を迎えてはじめて、鳥羽院と心が通じ合うようになった、というややひねった設定になっています。単純な恋愛物語ではなく、人間の業の深さも描いた鳥羽院・璋子の話は、配役の妙もあって成功したのではないか、と思います。

 鳥羽院・璋子・得子の話は面白かったので、つい長めになってしまいましたが、この他にも注目すべき点が多く、贅沢な回だったと思います。初登場の時忠は、人物造形はなかなかよさそうですが、やや演技が追いついていない感があります。時忠の姉の時子役の深田恭子氏は、懸念していた通り演技に難があります。これまでの夢見る少女時代は適役だったと言えるかもしれませんが、次回には出産するようですし、このままではかなり厳しいように思います。忠盛の昇進が正四位上止まりだったことについては、作中での説明が不足しており、やや不親切だったように思います。公卿になるような人物は普通、正四位上を飛ばして昇進するので、このことを説明しないと、作中での伊勢平氏一門の落胆が分かりにくいように思います。番組冒頭では、今日の見どころではなく、歴史の解説のほうがよいと思うのですが。

 このような不満もあるものの、かなり面白かった今回ですが、視聴率は相変わらず低迷しそうです。このブログの記事やコメント欄で何度か、視聴率の低迷により現場の士気が低下するのではないか、と私は述べましたが、制作者側の一人が、ツイッターでそうした内情を暴露して、注目を集めているようです。制作者側の一員としては残念な発言で、たとえ事実だとしても、関係者がこうした発言をすべきではない、と思います。次回は、後の弁慶である鬼若が登場するようですが、この時期から重要人物として弁慶が登場するということは、義経も重要人物として登場するということでしょうか。弁慶を演じるのは青木崇高氏とのことで、大いに期待しています。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/news/index.html

この記事へのコメント

みら
2012年03月26日 16:23
こんにちわ

今回の視聴率は12%台になってしまいましたね~。
どんどん低下していくほどつまらないとはおもわないけど(むしろ昨年に比べれば断然面白いと思います)
来週再来週はお花見シーズンで外出の人も増えるでしょうから、まだまだ下がりそうですね、一桁はさすがにないと思っていたのですがこの様子だとありえそうで怖いですね~。

今回でタマチャンとうとう終りですか・・残念ですね、ドロドロで面白かったんですが(笑)これで楽しみが少し減ったかな?と思います。三上博も久々に熱演でしたね、今後大河の常連になるんでしょうか。

深田恭子は悪女役で高評価を得てるので、むしろ今後が年齢に応じた役柄になっていくのではないかと思うのです。そろそろ脱皮に成功してほしいですね、難ありのままでは困ります。それに・・松田聖子が出ないと平和ですね~(笑)
・・・玉木がやたら猛者らしく振舞おうとしているのが気に入らない・・(笑)
由良姫と・・そのうちゴシップになりそうな予感が・・・。

私的にはルパンと次元が大好きです(ケンイチと上川さん)それに五右衛門はウサギ○ってとこですね。


劉さんのいう
『雑多でまとまりのないものとして終わるのではなく、今回のように計算されて大きな流れに収束していくのではないか、と今後の展開に期待しています。』
これに同意見です。

この時代は毎回解説が重要になるんでしょうね、解説がないとわからない人も多いと思う。
みり
2012年03月26日 20:33
私は全く歴史に詳しくありませんが、今年の大河は面白くて見てますよ。でも、ここ読ませてもらって詳しくわかってよかったです。ありがとうございます。

解らない人が見て楽しめる内容だと思うんですが、逆に真面目くさった史実と違う違うと言いたい人達に人気がなく、普通の?人は大河だから見ないという人ばかりなのかも…。残念なコトです。

役者については好き嫌いもあるし、上手い下手だけではないと思うけど、台本のせいかもしれないけど、松ケンは叫びすぎ。わーわーうるさい。はっきり言って主人公がこんなにカッコ悪くて大丈夫?って心配です。
2012年03月26日 21:31
次回は裏番組がかなり強力なようなので、視聴率が一桁になる可能性は高いでしょう。

こうも視聴率が低迷すると、制作にも悪影響が出そうで、なんとも困ったものです。

主役の清盛については、正直なところ現時点では魅力に欠け、それが問題だと制作者側も認識しているようです。

制作者側からも、ツイッターでそうした話が漏れたことがありましたが、棟梁になればまた変わってくるのではないか、と期待しています。
みら
2012年03月27日 00:30
来週の裏番組ってなんです?
そんなに強力なんですか?

マツケンが映画の舞台挨拶でやたらと「大河ドラマは全員一丸とならなきゃならない!」と行ってたのはその内部漏洩のせいかな?
彼はあの、パフォーマンス的な物言いは性格なんでしょうね。
なんせ…うお座だから純なヤツなのですよ

と、同じ星座の肩は持ちたい笑
2012年03月27日 06:22
次回の裏番組は世界フィギュアスケート選手権女子フリと女子サッカーなので、視聴率が一桁の可能性はかなり高いように思います。

この記事へのトラックバック