神武の実在をめぐる議論
産経新聞の「消えた偉人・物語」という随筆枠に、「神武天皇 古代史学の進展で実在確かに」という記事が掲載され、いかにも産経新聞らしい古代史の記事ということで、さっそく少なからぬ人々が嘲笑しています。「共産趣味者」という造語があるそうですが、産経新聞にも「産経趣味者」とでも言うべき愛好者が少なからずいるのかもしれません。それはともかくとして神武についてですが、どの雑誌だったか忘れたものの、講演会で神武や崇神は実在したのかという話になると盛り上がる、という趣旨のことをある古代史研究者が述べていたことを覚えています。それがいつの時代のことなのかも明確ではなかったのですが、文脈から1960年代後半~1970年代だと推測したことを覚えています。
学界ではともかく、私も含めて学界の外の古代史愛好者たちにとって、記紀に見える初期の天皇が実在したか否かというのは、少なくともある時期には大きな関心だったのでしょうし、上記の随筆に少なからぬブックマークがつけられたことから考えると、今でもそうした関心はさほど低下していないのかもしれません。私も歴史に関心を持ち始めたときは、戦国時代と古代史がとくに好きだったため、邪馬台国論争とも関係してくる「大和朝廷」の成立過程や、初期の「天皇」の実在論争に大いに興味を持ったもので、「謎の四世紀」という言葉には懐かしさを覚えます。
私の個人的感慨はさておき、本題の神武の実在論争についてですが、否定説のほうが圧倒的だろうな、とは思います。とくに、「進歩的で良心的な」人々の間では、否定説が圧倒的であり、うっかり肯定説を述べようものなら、無知・反動的・国粋主義的などといって罵倒・嘲笑されそうではあります。しかし今でも、産経新聞の上記随筆に引用された「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」との見解は妥当なところだろう、と思います。
もちろん、一般論として存在の肯定よりも否定のほうがはるかに立証困難という問題はありますが、神武実在否定説の根拠が確たるものとは言い難い、ということは否めないでしょう。神武の「天皇即位」が紀元前7世紀という問題については、皇国史観の代表的論者たる平泉澄でさえ、私が小学生の頃に小学校の図書館で読んだ子供向け歴史書(書名をはっきりと覚えていないのですが)で、神武については600年ほど年代が繰り上げられているだけで、実在についてはまったく心配いらない、という趣旨のことを述べていたくらいですから、否定の有力な根拠にはならないでしょう。
そもそも、『日本書紀』に見える初期の天皇の年代が繰り上げられているということは、換算すると卑弥呼の時代のことになる(そのことを『日本書紀』の編者も意識していたわけですが)神功「皇后」の事績に「新羅征伐」があることからも明らかです。おそらく、神武実在肯定説で主張されているように、先に「天皇」の系譜があり、年代が繰り上げられたということなのでしょう。したがって、各「天皇」の年代が延びることになるわけですから、127歳という神武の不自然な没年も、神武実在否定説の確たる根拠にはならないでしょう。
では、私は神武の実在を肯定するのかというとそうではなく、そもそも「実在」の意味するところが問題になるのではないか、と考えています。この問題については、10年以上前に雄略天皇を事例として一時熱心に考えたことがあるのですが、けっきょく私の能力・努力不足と、他の分野に関心が移ったこともあって、10年以上前から何の進展もありません。今回も、また挫折しそうではありますが、神武・雄略を事例として、「実在」という問題について考えていき、できればこのブログで私見を述べていきたいものです。なお、10年前も今も考えていることは、実在は確実とされる雄略は、果たして本当に実在したと言ってよいのだろうか、ということです。確たる通説に素人が挑むのは無謀ではありますが、「実在」の意味するところから、この問題を考えていくつもりです。
学界ではともかく、私も含めて学界の外の古代史愛好者たちにとって、記紀に見える初期の天皇が実在したか否かというのは、少なくともある時期には大きな関心だったのでしょうし、上記の随筆に少なからぬブックマークがつけられたことから考えると、今でもそうした関心はさほど低下していないのかもしれません。私も歴史に関心を持ち始めたときは、戦国時代と古代史がとくに好きだったため、邪馬台国論争とも関係してくる「大和朝廷」の成立過程や、初期の「天皇」の実在論争に大いに興味を持ったもので、「謎の四世紀」という言葉には懐かしさを覚えます。
私の個人的感慨はさておき、本題の神武の実在論争についてですが、否定説のほうが圧倒的だろうな、とは思います。とくに、「進歩的で良心的な」人々の間では、否定説が圧倒的であり、うっかり肯定説を述べようものなら、無知・反動的・国粋主義的などといって罵倒・嘲笑されそうではあります。しかし今でも、産経新聞の上記随筆に引用された「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」との見解は妥当なところだろう、と思います。
もちろん、一般論として存在の肯定よりも否定のほうがはるかに立証困難という問題はありますが、神武実在否定説の根拠が確たるものとは言い難い、ということは否めないでしょう。神武の「天皇即位」が紀元前7世紀という問題については、皇国史観の代表的論者たる平泉澄でさえ、私が小学生の頃に小学校の図書館で読んだ子供向け歴史書(書名をはっきりと覚えていないのですが)で、神武については600年ほど年代が繰り上げられているだけで、実在についてはまったく心配いらない、という趣旨のことを述べていたくらいですから、否定の有力な根拠にはならないでしょう。
そもそも、『日本書紀』に見える初期の天皇の年代が繰り上げられているということは、換算すると卑弥呼の時代のことになる(そのことを『日本書紀』の編者も意識していたわけですが)神功「皇后」の事績に「新羅征伐」があることからも明らかです。おそらく、神武実在肯定説で主張されているように、先に「天皇」の系譜があり、年代が繰り上げられたということなのでしょう。したがって、各「天皇」の年代が延びることになるわけですから、127歳という神武の不自然な没年も、神武実在否定説の確たる根拠にはならないでしょう。
では、私は神武の実在を肯定するのかというとそうではなく、そもそも「実在」の意味するところが問題になるのではないか、と考えています。この問題については、10年以上前に雄略天皇を事例として一時熱心に考えたことがあるのですが、けっきょく私の能力・努力不足と、他の分野に関心が移ったこともあって、10年以上前から何の進展もありません。今回も、また挫折しそうではありますが、神武・雄略を事例として、「実在」という問題について考えていき、できればこのブログで私見を述べていきたいものです。なお、10年前も今も考えていることは、実在は確実とされる雄略は、果たして本当に実在したと言ってよいのだろうか、ということです。確たる通説に素人が挑むのは無謀ではありますが、「実在」の意味するところから、この問題を考えていくつもりです。
この記事へのコメント
清盛では王家という表現をもってNHKが散々叩かれていますね。産経の記事は、NHK叩きかなぁと邪推してしまいました(笑)。
そもそも古代の天皇が果たして現在の「天皇」というべきものだったのか??日本書紀は権威の高揚を狙ったのでしょう。やはり、天皇系の系譜があり、神武系譜として数代続いたのかなぁって思います。
古代の「新羅征伐」など「おとぎ話」程度におもっていましたが、なんど試験に出されたんですよ。いまだに信じられない(笑)。支離滅裂なコメントで申し訳ないですが・・今後のエントリーを楽しみにしていますね。
大したことは書けそうにないのですが、今回は何とか記事にまとめたいものです。
コレも読み入ってしまいました。批判は面白い笑。
時間を返せっていいゎ。笑。
少なくとも子ども達の教科書に曖昧なモノを載せてたぶらかすのはやめて欲しいですね。
「一部の専門家の間で生存論争中であり、現時点ではどちらも実証はない」とかにしておけばいいのに。
今姪が中学生で、歴史大好き少女なので懸命に勉強中なのです。子どもたちが可哀想です。
現在の各天皇陵は基本的に江戸時代に決められたので、現代の学術的水準からすると問題のあるものが多いだろう、とは思います。天皇陵の発掘が進めば、古墳時代の研究は進展するとは思いますが、天皇が朝鮮半島出身の征服者であることを示すような証拠や、被葬者を示す墓誌銘のような、一部の人が期待しているような劇的な発見はないでしょう。
挑戦とはいっても大したことは書けそうになく、遠山美都男氏の見解の引用で終わりそうではあります。独創的ではなくとも、何とか上手くまとめたいものでありますが。