髙橋昌明『[増補改定]清盛以前』(平凡社)

 平凡社ライブラリーの一冊として2011年12月に刊行されました。本書は、もともと平凡社選書の一冊として1984年5月に刊行され、その増補・改定版が2004年10月に文理閣より刊行されました。本書は文理閣版に若干の訂正と注記が加えられており、今年の大河ドラマが、著者が二人の時代考証担当者の一方である『平清盛』ということから、刊行されることになったのでしょう。著者は武士見直し論の第一人者であり、10年以上前に『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会、1999年)を読み、たいへん面白かったことをよく覚えています。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read011.htm

 『武士の成立 武士像の創出』を読んだ時点ですでに、『清盛以前』は評価が高く、いつかは読もうと思っていたのですが、その後は古人類学のほうに関心が傾いたということもあって、読まずにきました。先日書店に立ち寄ったとき、偶然本書を見かけて、大河ドラマとして『平清盛』が放送中ということもあり、購入したという次第です。本書は、清盛以前というか忠盛が死去した時点までの伊勢平氏の動向について、史料の制約のあるなかで詳細に復元しており、迫力を感じます。古典的名著として語り継がれるべき一冊だろう、と思います。

 本書を読むと、伊勢平氏の朝廷における地位が上昇していった様子を実感できますし、清盛の覇権が祖父の正盛と父の忠盛の遺産の上に成り立っていることもよく分かります。また、下級貴族とも言うべき諸大夫層にとって、公卿への昇進は大きな壁だったこともよく分かります。忠盛のように、父の代ではむしろ侍層と言ってもよいような階層の出自だと、いかに院からの信頼が厚かったにしても、その壁はいっそう高かったことでしょう。忠盛もけっきょくこの壁を乗り越えることができず、伊勢平氏では平治の乱後の清盛がはじめて乗り越えることになったのですが、本書では、忠盛の没年が史実よりも数年延びたら、忠盛が公卿に昇進した可能性は高いだろう、とも指摘されています。

 清盛が白河法皇の御落胤との説は古くから語られてきましたが、著者は肯定説の代表的研究者の一人であり、本書でも、清盛の昇進の早さが指摘され、御落胤説は確定的と主張されています。しかし正直なところ、本書を読んでも御落胤説が確定的とは思えませんでした。清盛の昇進については、院の近臣としての急速な出世として理解するのが妥当なように思うのですが、素人考えなので、御落胤説を強く否定するというわけではありません。また、本書からは忠盛の世渡りの上手さが窺えますが、それも清盛の昇進の早さに大きく影響を与えているでしょうし、清盛の世渡りの上手さは、忠盛から学んだところが多分にあるのではないか、と想像したくなります。

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