大河ドラマ『平清盛』第7回「光らない君」
「きょうの見どころ」というコーナーが新設されて冒頭で放送されたのには驚きました。想定を大幅に下回る低視聴率ということで、何か工夫をしようということなのでしょうが、正直なところ、あまり効果はないように思います。それよりも、視聴者の多くには馴染みの薄い時代なのですから、毎回冒頭で簡単に歴史解説をするほうがよいのではないか、と思います。さらに言うと、第1回のオープニング終了後に、1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』の第1回
https://sicambre.seesaa.net/article/200909article_10.html
のように、やや長めに時間をとって誰かが時代背景を解説すればよかったのではないか、と妄想してしまいます。『風と雲と虹と』とは違い、この作品はオリジナル脚本で、脚本担当の藤本有紀氏は表に出ない人なので、時代考証担当者か紀行の語りの担当者が解説すればよかったのではないか、とさらに妄想が広がっていきますが、あまり妄想を語っても仕方ないので、今回の内容について雑感を述べていきます。
今回は清盛と明子との出会いと二人の結婚までが描かれたのですが、やや展開が急だったようにも思います。しかし、あまりくどくどと恋愛物語を見せられると飽きてしまうので、1回で出会いから結婚までを描き切ったのは悪くない、とも思います。今回の本題は清盛と明子の関係にあったのですが、佐藤義清(西行)と崇徳帝の関係や、得子(美福門院)・璋子(待賢門院)・鳥羽院のどろどろとした関係などが所々で挿入され、話が散漫になりかけたところがありました。これらの話も、後々重要な意味を持ってくるだろうでしょうし、それぞれ面白かったので、私はそれほど気にはなりませんでしたが、私のように藤本有紀氏への期待が高い人でなければ、見限る要因になるかもしれません。
今回の本題である清盛と明子の関係については、明子が住吉明神の力にすがることをよしとせず、清盛からの求婚を一旦は断ったところが、いかにも現代的だとして大いに批判が集中しそうです(清盛が藤原忠実に嫌味を言われて怒り、烏帽子を脱ぎ捨てるところも大いに批判されそうです)。私も、正直なところどうかな、とも思ったのですが、一方で、現代人と古代人・中世人との心性の違いを強調する見解を、自分もあまりにも無批判に受け入れすぎてしまっているのではないか、との疑問もあります。それは、昔も今も文字は建前の世界を多分に反映しているのではないか、との思いつきによるものなのですが、まだ考えがまとまっていないので、いつかこのブログで私見を述べられるよう、少しずつ調べていこうと考えています。
清盛と明子との関係に深く関わっていたのが、後の清盛の妻である時子です。時子は『源氏物語』に憧れる夢見る少女(演じる深田恭子氏の年齢はさておくとして)といった感じで、今回の清盛・明子・時子の話は、『源氏物語』を上手く使いながら適度に喜劇調で進行し、懸念していたよりもずっと面白くなっていました。明子役の加藤あい氏は不安要因だったのですが、控えめな女性という人物造形もあってか、懸念していたよりもずっと良く、相変わらずの美形なので、汚らしい清盛との対比という意味で、適役と言えるかもしれません。同じく不安要因だった深田氏も、現時点では適役だと思います。ただ、時子については、後半生も同じように演じるわけにはいかないでしょうから、依然として不安ではあります。
今回、明子が清盛との結婚を迷った一因として、身分の違いがありました。忠盛が公卿まで後一歩という地位まできており(ただ、諸大夫層や父祖の代まで侍層だった家柄だと、公卿昇進への壁はたいへん高く、けっきょく忠盛も公卿には昇進せず没しています)、清盛自身も従四位下に昇進したことが今回描かれましたが、清盛の叔父の忠正(単なる憎まれ役ではなく、人物造形がなかなか上手いように思います)の台詞にもあったように、明子の父の高階基章の地位は忠盛や清盛よりもずっと低く、清盛と釣り合わない身分であることから、この結婚は奇異に思われています。そのために、明子(じっさいの名前は不明なのですが)の実父は藤原忠実ではないか、と推測する説もあるくらいです。身分の違いが清盛と明子の結婚の障害になることを描くのならば、清盛をあまりにも汚く描かなくてもよいのではないか、肝心の主人公たる清盛の描き方は失敗だったのではないか、と改めて思います。
清盛と明子の結婚の話では、忠盛と宗子との関係も見応えがありました。理不尽な(というのがこの作品での解釈だと思うのですが)事態にも負けず、自らの力で運命を切り開いていこうとする清盛と明子に、忠盛はかつての自身と舞子とを思い出したのでしょう。忠盛は、身分が釣り合わないにも関わらず、清盛と明子との結婚を認め、宗子が従兄弟の藤原家成から持ちかけられた、清盛にとって身分相応となる結婚を断るよう、宗子に指示します。忠盛が清盛と明子の結婚を認めた時や、今様を口ずさんでいた時の宗子の複雑な表情は実に見応えがあり、怖さも感じました。和久井映見氏は、期待通りに複雑な宗子の心境を好演しています。
宗子にしてみると、自分と血のつながりがなく、それどころか夫の実子でさえない男子を息子として育て、正妻であるにも関わらず、実子に清盛を立てるように言い聞かせているにも関わらず、従兄弟が自分に持ちかけた伊勢平氏一門にとってさらなる躍進につながりそうな結婚を断るよう命じられ、夫の忠盛は依然として舞子に心を寄せているようだというのですから、さすがに我慢も限界といったところでしょうか。この先の忠盛・宗子夫妻の描かれ方にも注目しています。
鳥羽院・璋子・得子の関係は相変わらず面白いのですが、心が空で無邪気に人の心を傷つけてきた璋子がどのように変わっていくのか、今後の展開が大いに楽しみです。色々と不満はあるものの、今回は総合的にはなかなか楽しめましたし、今後さまざまな人間模様がどう絡み合ってくるのか、大いに注目しています。ただ、もう一つ不満を述べると、前から思っていたのですが、音楽自体はよいものの、使い方にどうも違和感があります。次回は藤原頼長が初登場となり、頼長自身が強烈な個性の人だということもありますし、配役にも大いに期待しているので、たいへん楽しみです。
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のように、やや長めに時間をとって誰かが時代背景を解説すればよかったのではないか、と妄想してしまいます。『風と雲と虹と』とは違い、この作品はオリジナル脚本で、脚本担当の藤本有紀氏は表に出ない人なので、時代考証担当者か紀行の語りの担当者が解説すればよかったのではないか、とさらに妄想が広がっていきますが、あまり妄想を語っても仕方ないので、今回の内容について雑感を述べていきます。
今回は清盛と明子との出会いと二人の結婚までが描かれたのですが、やや展開が急だったようにも思います。しかし、あまりくどくどと恋愛物語を見せられると飽きてしまうので、1回で出会いから結婚までを描き切ったのは悪くない、とも思います。今回の本題は清盛と明子の関係にあったのですが、佐藤義清(西行)と崇徳帝の関係や、得子(美福門院)・璋子(待賢門院)・鳥羽院のどろどろとした関係などが所々で挿入され、話が散漫になりかけたところがありました。これらの話も、後々重要な意味を持ってくるだろうでしょうし、それぞれ面白かったので、私はそれほど気にはなりませんでしたが、私のように藤本有紀氏への期待が高い人でなければ、見限る要因になるかもしれません。
今回の本題である清盛と明子の関係については、明子が住吉明神の力にすがることをよしとせず、清盛からの求婚を一旦は断ったところが、いかにも現代的だとして大いに批判が集中しそうです(清盛が藤原忠実に嫌味を言われて怒り、烏帽子を脱ぎ捨てるところも大いに批判されそうです)。私も、正直なところどうかな、とも思ったのですが、一方で、現代人と古代人・中世人との心性の違いを強調する見解を、自分もあまりにも無批判に受け入れすぎてしまっているのではないか、との疑問もあります。それは、昔も今も文字は建前の世界を多分に反映しているのではないか、との思いつきによるものなのですが、まだ考えがまとまっていないので、いつかこのブログで私見を述べられるよう、少しずつ調べていこうと考えています。
清盛と明子との関係に深く関わっていたのが、後の清盛の妻である時子です。時子は『源氏物語』に憧れる夢見る少女(演じる深田恭子氏の年齢はさておくとして)といった感じで、今回の清盛・明子・時子の話は、『源氏物語』を上手く使いながら適度に喜劇調で進行し、懸念していたよりもずっと面白くなっていました。明子役の加藤あい氏は不安要因だったのですが、控えめな女性という人物造形もあってか、懸念していたよりもずっと良く、相変わらずの美形なので、汚らしい清盛との対比という意味で、適役と言えるかもしれません。同じく不安要因だった深田氏も、現時点では適役だと思います。ただ、時子については、後半生も同じように演じるわけにはいかないでしょうから、依然として不安ではあります。
今回、明子が清盛との結婚を迷った一因として、身分の違いがありました。忠盛が公卿まで後一歩という地位まできており(ただ、諸大夫層や父祖の代まで侍層だった家柄だと、公卿昇進への壁はたいへん高く、けっきょく忠盛も公卿には昇進せず没しています)、清盛自身も従四位下に昇進したことが今回描かれましたが、清盛の叔父の忠正(単なる憎まれ役ではなく、人物造形がなかなか上手いように思います)の台詞にもあったように、明子の父の高階基章の地位は忠盛や清盛よりもずっと低く、清盛と釣り合わない身分であることから、この結婚は奇異に思われています。そのために、明子(じっさいの名前は不明なのですが)の実父は藤原忠実ではないか、と推測する説もあるくらいです。身分の違いが清盛と明子の結婚の障害になることを描くのならば、清盛をあまりにも汚く描かなくてもよいのではないか、肝心の主人公たる清盛の描き方は失敗だったのではないか、と改めて思います。
清盛と明子の結婚の話では、忠盛と宗子との関係も見応えがありました。理不尽な(というのがこの作品での解釈だと思うのですが)事態にも負けず、自らの力で運命を切り開いていこうとする清盛と明子に、忠盛はかつての自身と舞子とを思い出したのでしょう。忠盛は、身分が釣り合わないにも関わらず、清盛と明子との結婚を認め、宗子が従兄弟の藤原家成から持ちかけられた、清盛にとって身分相応となる結婚を断るよう、宗子に指示します。忠盛が清盛と明子の結婚を認めた時や、今様を口ずさんでいた時の宗子の複雑な表情は実に見応えがあり、怖さも感じました。和久井映見氏は、期待通りに複雑な宗子の心境を好演しています。
宗子にしてみると、自分と血のつながりがなく、それどころか夫の実子でさえない男子を息子として育て、正妻であるにも関わらず、実子に清盛を立てるように言い聞かせているにも関わらず、従兄弟が自分に持ちかけた伊勢平氏一門にとってさらなる躍進につながりそうな結婚を断るよう命じられ、夫の忠盛は依然として舞子に心を寄せているようだというのですから、さすがに我慢も限界といったところでしょうか。この先の忠盛・宗子夫妻の描かれ方にも注目しています。
鳥羽院・璋子・得子の関係は相変わらず面白いのですが、心が空で無邪気に人の心を傷つけてきた璋子がどのように変わっていくのか、今後の展開が大いに楽しみです。色々と不満はあるものの、今回は総合的にはなかなか楽しめましたし、今後さまざまな人間模様がどう絡み合ってくるのか、大いに注目しています。ただ、もう一つ不満を述べると、前から思っていたのですが、音楽自体はよいものの、使い方にどうも違和感があります。次回は藤原頼長が初登場となり、頼長自身が強烈な個性の人だということもありますし、配役にも大いに期待しているので、たいへん楽しみです。
この記事へのコメント
ここ数日は外出が多くてのんびり出来ないのですが、今日は目の前のウィンドウに山鉾が飾られていたので「おや?」と思い見上げたらそこは馬券売場の入口でした~笑。山鉾は、フェブラリーステークスのPRだったようです。
「あーもう、そんな季節ねぇ…春はスグそこ」と思いました。
馬券予想は当たりましたか?
今週の大河ドラマも面白かったですよね、院を押し倒して子作りに励む得子は、何だか私の想像していた美福門院とはかなり違いますが、ソレはソレで天然璋子と対照的でアリかなとも思います。
各キャラもハッキリ描き出された愛憎群像劇は、やや韓流的で受け入れられやすいでしょうね。
宗子と忠盛が夫婦になったいきさつは私は知らないのですが、政略結婚の様なモノであれば、忠盛が若い頃ならば妻の縁戚に頼ったでしょうが自らの地位が築きあげられている今は、むしろ疎ましく思うのは、野心家の男性であれば当然なのではないですか?
劉さんは、宗子ファンだから「可哀想」に思えて、忠盛が舞子を想っていた様に見えるのかも?
前々回でしたか?忠盛は清盛に本心を吐露したシーンで「清盛を育て始めた時から武士の世を‼」的な意味のコトをいいましたよね。
忠盛からみれば落胤清盛は宝であり最強の持駒で、清盛の思いを遂げさせる事で実権は宗子側には譲らずに、という自負もあるのを貫いた?
清盛を手に入れてから今までの軌跡と少しの親心が去来したシーンなのだと思います。
なので「遊びをせんとや…」を口ずさむ。
その瞬間の心理は舞子への愛ではなく、出会った「運命」と清盛の生きざまを遊びにたとえたのではないですか?
…宗子への深い想いは多分、最初からないんですよ?このタイプの男性は。
うーん、適切な表現が出来ずにすみません笑。
忠盛と宗子の関係は、この先もっと深く描かれるようですので、注目していきます。
深く描かなければならない理由があるの?へ~
たのしみですね。