ネアンデルタール人の壁画の続報

 昨日、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の所産と考えられる、スペイン南部のマラガの東方約56kmにあるネルジャ洞窟の壁画についての報道を取り上げましたが、その後、他の報道も見つけて、この研究についてやや詳しく知ることができました。報道で引用されている研究者の見解がおおむね妥当だとすると、古人類学の通説・常識を覆す大発見ということになるので、私は大いに興奮しているのですが、検索してみたところ、日本語環境ではとくに報道は見当たらず、ツイッターでいくつか言及されている程度でした。英語環境では上記報道も含めていくつかのメディアで取り上げられていましたが、ネアンデルタール人と現生人類(ホモ=サピエンス)との交雑についての研究などの時と比較すると、明らかに取り上げている報道機関は少ないと思います。

 上記報道によると、年代測定された有機物は炭とのことで、おそらく放射性炭素年代測定法が用いられたのでしょう。この炭は、壁画を描くのに用いられたとも、照明として用いられたとも考えられる、と指摘されています。ただ、上記報道でも、この炭の43500~42300年前という年代が較正されたものか否か、明らかではありません。昨日の記事でも述べたように、この年代が非較正だとすると、この壁画がネアンデルタール人の所産である可能性はかなり高くなるでしょう。

 一方、較正年代だとすると、イベリア半島南部という位置からして、ネアンデルタール人の所産である可能性は高いものの、近年になって大きく進展しているヨーロッパ旧石器考古学における年代の見直しの結果次第では、現生人類の所産という可能性も一定水準以上想定しなければいけないでしょう。いずれにしても、まずはネルジャ洞窟の壁画の年代を正確に特定しなければなりませんが、壁画の隣で発見された炭が年代測定されたとのことなので、この壁画の年代が43500~42300年前頃である可能性は高いように思います。なお、この壁画で描かれているのは、ネアンデルタール人も食していたアザラシ(かそれに類似した海獣類)ではないか、と推測されています。

 ネルジャ洞窟の壁画がネアンデルタール人の所産だとすると、リチャード=クライン博士たちの主張する、5万年前頃に現生人類(解剖学的現代人)に神経系の突然変異が起き、象徴的思考や現代人のような複雑な言語活動が可能になるなど、現生人類の認知能力が飛躍的に向上し、現生人類(解剖学的現代人)は「現代的行動」の可能な真の現生人類(行動学的現代人)となり、急速に文化的発展を成し遂げて世界各地に拡散していった、という「神経学仮説」にとって致命的な打撃となるでしょう。

 「神経学仮説」は、後期石器・上部旧石器文化の開始を、人類史における一大転機であり、大発展だったとする解釈を前提としています。この文脈での文化的発展の重要な指標とされているのが芸術で、彫刻や壁画がその代表格とされています。もっとも、ネルジャ洞窟の壁画がネアンデルタール人の所産だとしても、その「水準」は現生人類に及ばないとして、さらに「高度な次元」での象徴的思考能力を想定し、それを現生人類とネアンデルタール人など他の人類との違いの指標にすべきだ、との反論はあるかもしれません。

 もちろん、そうした問題は今後検証していかねばなりませんが、貝殻の装飾品と考えられるものなど、現生人類にのみ確認されると考えられてきた象徴的行動のなかに、ネアンデルタール人にも確認されるものが増えてきており、ネアンデルタール人と現生人類との認知能力の差が、少なくとも、ネアンデルタール人と現生人類との違いが強調された1990年代後半以降の一時期での想定と比較して、ずっと小さかったことは否定できないでしょう。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅(もっとも、非アフリカ系現代人は、ネアンデルタール人の遺伝子をわずかながら継承している可能性が高そうですが)と現生人類の繁栄の要因としては、両者の潜在(遺伝)的な知的能力の違いよりも、社会的蓄積の違いのほうが大きかったのではないか、と私は考えています。

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