解剖学的現代人および現代的行動の出現年代
ユーラシアにおいて、解剖学的現代人(解剖学的には現代人と同じホモ=サピエンスに分類されますが、知的水準が現代人と同程度か否か、定かではない、という意味を含む場合によく用いられます)および「現代的行動」が各地に出現した年代について、近年の諸見解を整理しつつ、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)などの絶滅とサピエンス拡散という点で古くから関心を集めてきたも中部旧石器~上部旧石器時代への移行の様相について論じた研究(Jöris et al., 2009)を読みました。
中部旧石器~上部旧石器時代は、解剖学的現代人がユーラシア各地に拡散し、「現代的行動」がユーラシア、とくに北西部で全面的に開花するということで、人類進化史における大転換として注目されてきました。しかし、試料汚染の問題などから、この時代については、近年になって新たな年代観が提示されています。この研究は、おもにヨーロッパを対象として、さまざまな新しい年代観を参照しつつ、サピエンスの拡散と「現代的行動」のユーラシアでの開花について論じていますが、大まかな年代情報を示しつつこの時代の人骨や遺跡を図表や地図にまとめており、数年前の刊行なので情報はやや古くなっているとはいえ、今でもたいへん有益だと思います。
一時期は、ヨーロッパにおいて10000年ほどの解剖学的現代人とネアンデルタール人との共存が想定されていたのにたいして、この研究では、試料汚染を考慮し、較正も含めて精度の向上した放射性炭素年代測定や、他の年代測定に基づく近年の研究動向に沿って、ネアンデルタール人の所産とされるシャテルペロニアン(シャテルペロン文化)やウルツィアン(ウルツォ文化)の年代や、ネアンデルタール人の絶滅年代がじゅうらいの見解よりも繰り上げられており、ヨーロッパにおいては、ネアンデルタール人から解剖学的現代人への移行、および「現代的行動」の出現は、数千年というもっと短い期間に起きたのではないか、と概観されています。
さらにこの研究では、諸々の年代の見直しから、オーリナシアンとヨーロッパにおける最初の解剖学的現代人の出現は同時ではなく、解剖学的現代人のほうが3000~4000年ほど先行することが指摘され、解剖学的現代人は、オーリナシアンではなく、プロトオーリナシアンを携えて西アジアからヨーロッパへと急速に拡散した可能性が想定されています。この研究では、オーリナシアンの急速な出現・拡散(のように見える現象)は、気候変動にともなう社会・技術的革新であり、先行するプロトオーリナシアンなどからの派生であった可能性が指摘されています。
ただ、この研究では、中部旧石器文化終末期や、プロトオーリナシアンなど最初期の上部旧石器文化のような「移行期」の人骨が乏しいことも指摘されています。この問題や年代の見直しも含めて、より精度の高い研究成果を蓄積していけば、ユーラシアにおける中部旧石器~上部旧石器時代の人類史について、今よりも信頼性の高い想定を提示できるようになることでしょう。なお、この研究では、あくまでも現時点で可能性の高い年代観ということですが、暦年代でいうと、ネアンデルタール人の絶滅が43000~41500年前頃で、オーリナシアンの拡散は41000~40000年前頃とされており、ネアンデルタール人は、オーリナシアンではなくプロトオーリナシアンの担い手だった時の解剖学的現代人と共存していたのではないか、と推測されています。
参考文献:
Jöris N. et al、門脇誠二・工藤雄一郎翻訳.(2009):「ユーラシアにおける現代人の出現:OIS3の考古記録の絶対編年に関して」『旧石器研究』第5号, 99-120.
中部旧石器~上部旧石器時代は、解剖学的現代人がユーラシア各地に拡散し、「現代的行動」がユーラシア、とくに北西部で全面的に開花するということで、人類進化史における大転換として注目されてきました。しかし、試料汚染の問題などから、この時代については、近年になって新たな年代観が提示されています。この研究は、おもにヨーロッパを対象として、さまざまな新しい年代観を参照しつつ、サピエンスの拡散と「現代的行動」のユーラシアでの開花について論じていますが、大まかな年代情報を示しつつこの時代の人骨や遺跡を図表や地図にまとめており、数年前の刊行なので情報はやや古くなっているとはいえ、今でもたいへん有益だと思います。
一時期は、ヨーロッパにおいて10000年ほどの解剖学的現代人とネアンデルタール人との共存が想定されていたのにたいして、この研究では、試料汚染を考慮し、較正も含めて精度の向上した放射性炭素年代測定や、他の年代測定に基づく近年の研究動向に沿って、ネアンデルタール人の所産とされるシャテルペロニアン(シャテルペロン文化)やウルツィアン(ウルツォ文化)の年代や、ネアンデルタール人の絶滅年代がじゅうらいの見解よりも繰り上げられており、ヨーロッパにおいては、ネアンデルタール人から解剖学的現代人への移行、および「現代的行動」の出現は、数千年というもっと短い期間に起きたのではないか、と概観されています。
さらにこの研究では、諸々の年代の見直しから、オーリナシアンとヨーロッパにおける最初の解剖学的現代人の出現は同時ではなく、解剖学的現代人のほうが3000~4000年ほど先行することが指摘され、解剖学的現代人は、オーリナシアンではなく、プロトオーリナシアンを携えて西アジアからヨーロッパへと急速に拡散した可能性が想定されています。この研究では、オーリナシアンの急速な出現・拡散(のように見える現象)は、気候変動にともなう社会・技術的革新であり、先行するプロトオーリナシアンなどからの派生であった可能性が指摘されています。
ただ、この研究では、中部旧石器文化終末期や、プロトオーリナシアンなど最初期の上部旧石器文化のような「移行期」の人骨が乏しいことも指摘されています。この問題や年代の見直しも含めて、より精度の高い研究成果を蓄積していけば、ユーラシアにおける中部旧石器~上部旧石器時代の人類史について、今よりも信頼性の高い想定を提示できるようになることでしょう。なお、この研究では、あくまでも現時点で可能性の高い年代観ということですが、暦年代でいうと、ネアンデルタール人の絶滅が43000~41500年前頃で、オーリナシアンの拡散は41000~40000年前頃とされており、ネアンデルタール人は、オーリナシアンではなくプロトオーリナシアンの担い手だった時の解剖学的現代人と共存していたのではないか、と推測されています。
参考文献:
Jöris N. et al、門脇誠二・工藤雄一郎翻訳.(2009):「ユーラシアにおける現代人の出現:OIS3の考古記録の絶対編年に関して」『旧石器研究』第5号, 99-120.
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