『NHK大河ドラマ・ストーリー 平清盛』前編
大河ドラマの案内本を購入するのは、1992年放送の『信長』の時以来のこととなりました。『信長』の時は、桶狭間の戦いのあたりで挫折したのですが、『平清盛』は完走することになりそうです。20年前とは異なり、今の私には3年前の『天地人』と昨年の『江~姫たちの戦国~』でさえ完走したという経験がありますから、よほどひどい出来にならないか、きょくたんに忙しくなったり健康を損ねたりしないか、投獄されるようなことなどがなければ、今年以降の大河ドラマは全話視聴することになるでしょう。
今年の大河ドラマ『平清盛』の脚本を担当するのは藤本有紀氏なので、脚本には大いに期待しています。じっさい、あらすじを読むと、物語としてはひじょうに面白いものになりそうで、心理描写で感心させられたところが少なからずありました。ただ、大河ドラマはあるていど史実の制約を受けるので、その点で疑問に思うところがないわけではありませんでした。もっとも、大河ドラマがどのていど史実に制約されるべきか、というのは難しい問題です(この記事では、史実の確認の難しさは措いておくことにします)。
映像作品ではなく漫画ですが、『平清盛』の後半と時代の重なる作品に、手塚治虫『火の鳥 乱世編』があります。『火の鳥 乱世編』には、源頼朝と源義経が電話で会話をするという場面があります。ほとんどすべての読者は、これがギャグなのだと理解しているでしょうが、これを大河ドラマで映像化するというのは、もちろん法律では禁止されていませんし、社会倫理に反しているというわけではないにしても、おそらくほとんどの視聴者から賛同は得られないでしょう。
もっとも、その線引きの基準については人によりかなり異なるでしょうから、どこまでが許容されるかとなると、難しい問題だと思います。台詞にしても、当時の言葉で再現しようとしたら、字幕が必要になるでしょう。プライバシーという単語が台詞にあったら、さすがにほとんどの人が失笑するでしょうが、「自由を求めて」とか現代日本社会での意味合いでの「経済」という言葉が台詞にあれば、案外多くの人が自然に聞き流してしまうかもしれませんし、私もドラマを視聴しているときは、不自然だと気づかないかもしれません。また、現代の価値観で過去を裁くなと安易なことを言ってみても、そもそも当時の価値観にどれだけ迫れるのかという問題があります。
そうした細かな時代考証的問題もありますが、あらすじ前編を読んでもっとも気になったのは、堕落・腐敗した自己中心的な朝廷の支配層にたいして、新たな時代を担う清新な新興勢力としての武士が対比されている、という物語の基本的な構造です。さらに、忠盛など一部の武士には、すでに保元の乱の前の時点で、武士が頂点に立つ世を築こうという構想があった、という設定になっています。日本中世史の研究者ではない私には、こうした見解を実証的に否定できるだけの見識はありませんが、堕落・腐敗した朝廷と新たな時代を担う武士とを対照的に描くという伝統的で通俗的な見解をきびしく批判してきたのが、『平清盛』の時代考証の一方の担当者である髙橋昌明氏だけに、はっきりとそうした構図で物語が展開されていたことは意外でした。髙橋氏が時代考証担当者だけに、今でも一般には根強いだろう通俗的な歴史像とは異なる解釈を前提として物語が展開するのではないか、と期待していただけに、やや残念ではあります。
もっとも、ドラマの基本となる世界観は、脚本家というよりも制作構想の段階でNHKが大枠を決めるものなのかもしれず、そうだとすると、時代考証担当者の見解といえども採用されることはないのかもしれません。もちろん、通俗的な見解だからといって間違っているとは限りませんが、髙橋氏は喧嘩別れも辞さないと考えていたようですので、自説とは異なる世界観でも時代考証担当者を続けるとは意外でした。保元の乱の前の時点で、武士が頂点に立つ世を築こうという構想があった、という設定については、どうも結果論的解釈のように思うのですが、現代人が歴史ドラマを作ろうとすると、結果論的解釈に陥ってしまうのは仕方のないところかもしれません。余談ですが、『火の鳥 乱世編』の電話での会話を、不自然さを提示したギャグなのだと理解できない人が多数派になるような時代がいつか来るのだろうかと考えると、人々の歴史意識の形成・変遷という面白い問題につながってきそうで、いつかこのブログにて雑感を述べようと思っています。
歴史ドラマとしては、このように疑問に思うところもあるのですが(もっとも、私の疑問は的外れかもしれませんが)、脚本はたいへん面白そうなので、ドラマとして面白くなるか否かは、演出・演技次第だと思います。予告を見て主役と義朝についても不安が強まりましたが、もっとも不安なのは後白河で、あらすじ前編を読んでますます懸念が強まりました。後白河の即位前の登場はそれほど多くないようですが、後半での登場は増えそうで、複雑な個性としたたかさを表現することが要求されそうなので、演技力がないと厳しいと思います。『篤姫』での家茂役の演技を見ると、後白河が『平清盛』での最大の地雷になりそうな気がしますが、これが杞憂に終わることを願っています。
その他には、兎丸・西行・明子・時子・常盤も不安なのですが、兎丸・西行・時子は役柄に合った配役になりそうですし、常盤はそれほど演技力が要求されそうにないので、さほど心配していません。ただ時子については、さすがに後半生は夢見る少女というわけにはいかないでしょうから、その点は不安が残ります。明子については、演じる加藤あい氏の「まず、時代劇ならではの言葉づかいや立ち居振る舞い、琵琶などの稽古から始まりました」という発言を信じたいものです。
あらすじ前編を読んで印象に残ったのは、待賢門院(一発で変換できたのは意外でした)が予想以上に存在感を示していることで、序盤のメインヒロインは明子、それ以降は時子だと考えていたのですが、正統派とはいえないにしても、メインヒロインは待賢門院ではないか、とさえ思えるくらいです。ただ、待賢門院役の檀れい氏についてはよく知らないので、現時点では不安と期待が相半ばするといったところです。その他では、宗子(池禅尼)役には演技力が要求されそうだな、ということが印象に残りましたが、演じるのが和久井映見氏なので、心配はしていません。
以上、色々と不安点を述べてきましたが、不安よりも期待のほうがずっと高く、いよいよ間近に迫った放送開始が楽しみです。近年の大河ドラマでは、『風林火山』がずば抜けて面白かったと私は評価しているのですが、『平清盛』にはそれ以上の面白さを期待しています。ただ、『風林火山』と同様に、視聴率は苦戦しそうで、『江~姫たちの戦国~』を下回る可能性も低くはないでしょう。まあ視聴率はともかくとして、できれば『風と雲と虹と』を超えるような面白さになってもらいたいものですが、『風と雲と虹と』は私にとって配役がほぼ完璧な作品だったので、さすがにそれ以上の満足感は得られないかな、と思います。
今年の大河ドラマ『平清盛』の脚本を担当するのは藤本有紀氏なので、脚本には大いに期待しています。じっさい、あらすじを読むと、物語としてはひじょうに面白いものになりそうで、心理描写で感心させられたところが少なからずありました。ただ、大河ドラマはあるていど史実の制約を受けるので、その点で疑問に思うところがないわけではありませんでした。もっとも、大河ドラマがどのていど史実に制約されるべきか、というのは難しい問題です(この記事では、史実の確認の難しさは措いておくことにします)。
映像作品ではなく漫画ですが、『平清盛』の後半と時代の重なる作品に、手塚治虫『火の鳥 乱世編』があります。『火の鳥 乱世編』には、源頼朝と源義経が電話で会話をするという場面があります。ほとんどすべての読者は、これがギャグなのだと理解しているでしょうが、これを大河ドラマで映像化するというのは、もちろん法律では禁止されていませんし、社会倫理に反しているというわけではないにしても、おそらくほとんどの視聴者から賛同は得られないでしょう。
もっとも、その線引きの基準については人によりかなり異なるでしょうから、どこまでが許容されるかとなると、難しい問題だと思います。台詞にしても、当時の言葉で再現しようとしたら、字幕が必要になるでしょう。プライバシーという単語が台詞にあったら、さすがにほとんどの人が失笑するでしょうが、「自由を求めて」とか現代日本社会での意味合いでの「経済」という言葉が台詞にあれば、案外多くの人が自然に聞き流してしまうかもしれませんし、私もドラマを視聴しているときは、不自然だと気づかないかもしれません。また、現代の価値観で過去を裁くなと安易なことを言ってみても、そもそも当時の価値観にどれだけ迫れるのかという問題があります。
そうした細かな時代考証的問題もありますが、あらすじ前編を読んでもっとも気になったのは、堕落・腐敗した自己中心的な朝廷の支配層にたいして、新たな時代を担う清新な新興勢力としての武士が対比されている、という物語の基本的な構造です。さらに、忠盛など一部の武士には、すでに保元の乱の前の時点で、武士が頂点に立つ世を築こうという構想があった、という設定になっています。日本中世史の研究者ではない私には、こうした見解を実証的に否定できるだけの見識はありませんが、堕落・腐敗した朝廷と新たな時代を担う武士とを対照的に描くという伝統的で通俗的な見解をきびしく批判してきたのが、『平清盛』の時代考証の一方の担当者である髙橋昌明氏だけに、はっきりとそうした構図で物語が展開されていたことは意外でした。髙橋氏が時代考証担当者だけに、今でも一般には根強いだろう通俗的な歴史像とは異なる解釈を前提として物語が展開するのではないか、と期待していただけに、やや残念ではあります。
もっとも、ドラマの基本となる世界観は、脚本家というよりも制作構想の段階でNHKが大枠を決めるものなのかもしれず、そうだとすると、時代考証担当者の見解といえども採用されることはないのかもしれません。もちろん、通俗的な見解だからといって間違っているとは限りませんが、髙橋氏は喧嘩別れも辞さないと考えていたようですので、自説とは異なる世界観でも時代考証担当者を続けるとは意外でした。保元の乱の前の時点で、武士が頂点に立つ世を築こうという構想があった、という設定については、どうも結果論的解釈のように思うのですが、現代人が歴史ドラマを作ろうとすると、結果論的解釈に陥ってしまうのは仕方のないところかもしれません。余談ですが、『火の鳥 乱世編』の電話での会話を、不自然さを提示したギャグなのだと理解できない人が多数派になるような時代がいつか来るのだろうかと考えると、人々の歴史意識の形成・変遷という面白い問題につながってきそうで、いつかこのブログにて雑感を述べようと思っています。
歴史ドラマとしては、このように疑問に思うところもあるのですが(もっとも、私の疑問は的外れかもしれませんが)、脚本はたいへん面白そうなので、ドラマとして面白くなるか否かは、演出・演技次第だと思います。予告を見て主役と義朝についても不安が強まりましたが、もっとも不安なのは後白河で、あらすじ前編を読んでますます懸念が強まりました。後白河の即位前の登場はそれほど多くないようですが、後半での登場は増えそうで、複雑な個性としたたかさを表現することが要求されそうなので、演技力がないと厳しいと思います。『篤姫』での家茂役の演技を見ると、後白河が『平清盛』での最大の地雷になりそうな気がしますが、これが杞憂に終わることを願っています。
その他には、兎丸・西行・明子・時子・常盤も不安なのですが、兎丸・西行・時子は役柄に合った配役になりそうですし、常盤はそれほど演技力が要求されそうにないので、さほど心配していません。ただ時子については、さすがに後半生は夢見る少女というわけにはいかないでしょうから、その点は不安が残ります。明子については、演じる加藤あい氏の「まず、時代劇ならではの言葉づかいや立ち居振る舞い、琵琶などの稽古から始まりました」という発言を信じたいものです。
あらすじ前編を読んで印象に残ったのは、待賢門院(一発で変換できたのは意外でした)が予想以上に存在感を示していることで、序盤のメインヒロインは明子、それ以降は時子だと考えていたのですが、正統派とはいえないにしても、メインヒロインは待賢門院ではないか、とさえ思えるくらいです。ただ、待賢門院役の檀れい氏についてはよく知らないので、現時点では不安と期待が相半ばするといったところです。その他では、宗子(池禅尼)役には演技力が要求されそうだな、ということが印象に残りましたが、演じるのが和久井映見氏なので、心配はしていません。
以上、色々と不安点を述べてきましたが、不安よりも期待のほうがずっと高く、いよいよ間近に迫った放送開始が楽しみです。近年の大河ドラマでは、『風林火山』がずば抜けて面白かったと私は評価しているのですが、『平清盛』にはそれ以上の面白さを期待しています。ただ、『風林火山』と同様に、視聴率は苦戦しそうで、『江~姫たちの戦国~』を下回る可能性も低くはないでしょう。まあ視聴率はともかくとして、できれば『風と雲と虹と』を超えるような面白さになってもらいたいものですが、『風と雲と虹と』は私にとって配役がほぼ完璧な作品だったので、さすがにそれ以上の満足感は得られないかな、と思います。
この記事へのコメント
「天地人」と「江 姫たちの戦国」には相当辛辣な発言していますが、戦国時代を取り上げる作品はもう限界でしょうか?ちなみに「次は真田幸村が大河ドラマの主人公候補の本命」と巷で言われております。
今年も宜しくお願いします。
今年の初回までは日数があり待ち遠しいですね。
楽しみです
今日、舞台裏の番組をやっていたので見ていました。
清盛像を時代の力強いリーダーとして創り上げていくようですね、美術(小物)担当者は「主役の為の剣は両刃で自らのオリジナルデザイン」と言ってましたがその言葉に集約されるように、現代に受け入れられるヒーロー清盛らしいです。
ある意味ドラマ色強い『風林火山』的オリジナルが随所にみどころとして炸裂するんでしょうね。
テンポが良くて面白ければハマれそうです。
本日は我が家に帰宅いたします。正月休みはあっという間に終わりです~。
見られるのでしょうね。