渡部泰明、阿部泰郎、鈴木健一、松澤克行『天皇の歴史10 天皇と芸能』
『天皇の歴史』全10巻の第10巻として、2011年11月に講談社より刊行されました。古代から近世までの天皇と芸能の関係が、複数の執筆者により叙述されています。ここでの芸能は、現代の言葉では文化と置き換えるのがもっとも適しているように思いますが、本書では和歌に偏重した感が否めず、実質的には天皇を中心とした宮廷和歌史になっているように思います。正直なところ、和歌にはあまり興味のない私には、やや退屈な内容でしたが、以下に引用する第四部の最後の指摘は、中世後期~近世中期にあっても、朝廷の役割・主体性を見直そうとする動向が近年になって強くなっているように思われるなかで、興味深いものでした。
この一件から見えてくるのは、江戸時代の天皇は趣味の芸能についても、幕府の意向の下に置かれていたという事実である。そして、後水尾天皇が寛永文化の中心に位置して様々な芸能を楽しみ、一時代を画する文化現象をリードすることが出来たのは、同天皇に対する幕府の特例的な優遇措置の賜物だったということである。後水尾天皇が崩御した後、幕府が天皇の芸能と規定した学問と和歌を除き、天皇の周辺で寛永文化に匹敵するような華々しい芸能・文化の展開は見られなくなる。それは、時が移り人も変わり、後水尾天皇に対するような属人的配慮を幕府が行う必要性が喪失したからだったのではないか。江戸時代の天皇は文化的な存在であり、それこそが天皇の本質であるというような言い方を見聞きすることがあるが、その文化とは所詮、幕府との関係性に規定されたものであり、その掌の上での営みだったのである。
この一件から見えてくるのは、江戸時代の天皇は趣味の芸能についても、幕府の意向の下に置かれていたという事実である。そして、後水尾天皇が寛永文化の中心に位置して様々な芸能を楽しみ、一時代を画する文化現象をリードすることが出来たのは、同天皇に対する幕府の特例的な優遇措置の賜物だったということである。後水尾天皇が崩御した後、幕府が天皇の芸能と規定した学問と和歌を除き、天皇の周辺で寛永文化に匹敵するような華々しい芸能・文化の展開は見られなくなる。それは、時が移り人も変わり、後水尾天皇に対するような属人的配慮を幕府が行う必要性が喪失したからだったのではないか。江戸時代の天皇は文化的な存在であり、それこそが天皇の本質であるというような言い方を見聞きすることがあるが、その文化とは所詮、幕府との関係性に規定されたものであり、その掌の上での営みだったのである。
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