スペシャルドラマ『坂の上の雲』全体的な感想

 2009年11月29日に第1回の始まった『坂の上の雲』が、今月25日の第13回にて完結しました。全体的な感想で述べようと考えていたことについては、第10回の雑感
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にておおむね述べてしまい、最終回まで視聴しても、その時と大きく見解が変わったわけではないので、なるべく重複しないようにして簡潔に述べていくことにします。

 小島毅『足利義満 消された日本国王』
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_30.html
にて、司馬遼太郎作品原作の大河ドラマの完成度は低いという指摘がありましたが、そもそも、『坂の上の雲』にかぎらず司馬作品は映像化に不向きなところがあり、その意味でも、この作品の視聴率が低迷した(平均視聴率は14.4%で、第一部→第二部→第三部の各平均視聴率は、17.5%→13.5%→11.6%と低下していきました)のは仕方のないところもあるかな、とは思います。司馬作品の魅力は余談・薀蓄にある、と私は考えていますので、原作に忠実に映像化しようとすると、語りですませるにしても冗長な感じになるのは避けられないでしょう。だからといって、この余談・薀蓄を省略すると、原作を知っている人には味気ないものになってしまうでしょう。

 『坂の上の雲』も、時代背景や文化比較論的な余談・薀蓄に面白さがあり、これらは語りでも触れられていましたが、原作を知っていると、やはり物足りなさを感じるところがあります。では、原作を知らない人にとってはどうなのかというと、余談・薀蓄を除いても大部の原作なので、時間的制約のあるなかで、つながりのある物語が作られ提示されていたとは言い難く、ドラマとしてはやや散漫に見えてしまったのではないか、と私は考えています。もちろん、個々の場面は脚本・演出・演技のよさで面白い話になっていたことが多かったとは思いますが、それぞれの話のつながりが弱いというか、時間的制約があるので、人間模様に説得力の欠けるところがあったように思います。

 具体的には、クロパトキンの性格を読んだうえでの奉天回線における日本軍の作戦や、満洲軍総司令部、とくに松川と第三軍の確執などで、時間的制約があるので仕方のないところではありますが、もっと説得力を持たせるためには、以前より詳しく人間模様を描いておき、その分は真之の妻の話などを省略しておくべきだったのではないか、と思います。また、日高壮之丞と山本権兵衛との対立や子規と森林太郎(森鴎外)との会話など、それ自体は脚本・演出・演技により見所がある場面になっていたものの、全体的な話の流れでは唐突なところがあり浮いている話もあり、その前後の人間模様を詳しく描く時間的余裕がないのならば、たいへん惜しいのですが、思い切って省略してもよかったのではないか、とも思います。

 以上、色々と不満を述べてきましたが、主要人物の多くが、誕生したばかりの危うい近代国家を背負っているという責任感・悲壮感がよく描かれていましたし、ロケを多用した美しい映像は迫力のあるものでした。戦場の描写については、もっと多くの兵士がいるように見えなくてはならず、貧相なものだった、との批判もあるでしょうが、多額の予算が組まれたという恵まれた事情はあるにしても、テレビドラマとしては上出来だったのではないか、と思います。ドラマとしてやや散漫だったのは致命的な欠陥と言えるかもしれませんが、個々の場面の脚本・演出・演技のなかには、それを補って余りある出来のものが多く、総合的にはかなり楽しめた作品でした。

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  • 『坂の上の雲』ドラマ感想

    Excerpt: NHKが3年で4~5話ずつ放送したスペシャルドラマ。 原作者の司馬遼太郎が戦争賛美につながるから映像化しないでほしい、 と言っていたらしいが後に許可され映像化した作品。 Weblog: マイペース犬ソリ racked: 2012-01-10 16:41