本郷和人『謎とき平清盛』

 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2011年11月に刊行されました。著者は来年の大河ドラマ『平清盛』の時代考証担当者の一人で、もう一人は髙橋昌明氏です。私が、『平清盛』の時代考証担当者が髙橋氏から著者に交代したのではないか、と誤解した記事を掲載したときに、著者から直接コメントをいただき、時代考証は二人体制であることが分かったのですが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201110article_30.html
本書の冒頭で、「大河ドラマ『平清盛』(以下、<ドラマ・平清盛>と記します)の時代考証その2、本郷と申します(その1は髙橋昌明先生)」と述べられており、本書の刊行が先で私が読んでいれば、間抜けな誤解をすることもなかったわけでした。

 本書は、清盛の生涯を扱った伝記というよりは、来年の大河ドラマの時代背景の一般向け解説本で、大河ドラマにおける時代考証の役割がどのようなものなのか、具体例とともに、著者の考えも述べられており、大河ドラマ制作の舞台裏としても興味深い内容になっています。もちろん、作品・時代考証担当者によって異なってくるのでしょうが、来年の大河ドラマ『平清盛』については、私が想像していたよりは、時代考証担当者の発言力が強いようです。著者の専門は清盛の生きた時代よりも少し後の鎌倉時代の朝廷政治史なので、朝廷の仕組みについての解説は、さすがに分かりやすく読み応えのあるものになっています。

 二人の時代考証担当者である著者と髙橋氏との間の見解の相違は大きいように思うのですが、本書では、髙橋氏の見解にたいして、批判されているというか、疑問が呈されているところがたびたび見られ、著者が髙橋氏のことを強く意識していることが分かります(髙橋氏のほうはどうなのかというと、重なりはあるとはいっても専攻分野が異なっており、髙橋氏のほうが年長ということもあってなのか、これまでの高橋氏の著書からは、著者への意識はあまり強くないように思います)。

 どちらの見解のほうがだとうなのかというと、私の見識では的確な判断はできませんが、気になるのは、平家は清盛の父である忠盛の段階で貴族である、とする髙橋氏の見解を著者は否定し、平家の本質は貴族ではなく武士である、との主張にかなりの拘りがあるように思われることです。平家が貴族ではないことの根拠の一つとして、平家が朝廷の儀式で責任者を務めていないことが挙げられています。しかし、髙橋氏の見解の根底には、武士と貴族とを二項対立的に把握してきた伝統的歴史観にたいする批判があり、出生(貴族・侍など)・職業(武士など)・帰属(御家人など)という身分類型が提示されているのですから(『武士の成立 武士像の創出』P168~169)、髙橋説を批判するならば、平家は武士か貴族かという問いかけではなく、髙橋説の身分類型という枠組み自体の妥当性から論じなければ、有効ではないだろう、と思います。

 また、本書の主題からは外れますし、著者の専門外の時代についての見解ではありますが、経済を重視した織田信長とは反対に、家康は農業重視だった、との見解には疑問があり、農業も経済の一部ではないのか、と小学生のような突っ込みを入れたくなります。おそらくは、商工業という意味合いで経済という用語が選択されたのでしょうが、そうだとしても、家康が信長よりも農業を重視したと言える根拠がどこにあるのか、どうも疑問に思います。また、海外交易推奨の信長と鎖国政策の家康という対比も疑問の残るところで、信長が座の既得権を認めて統制を進めていったことから考えて、信長が「天下統一」を果たして長期政権を築いていたとしても、家康のような統制交易を志向していたのではないか、と思います。

この記事へのコメント

えびすこ
2011年11月27日 14:21
平安時代末期は貴族から武士へと時代の主導権が交代する時期なので、解説本を読んだ方が「平清盛」の物語のあらすじを理解できますね。「源氏メイン」だった05年「義経」とは違い平氏の側がメインなので、途中までは清盛周辺が躍進するストーリーですね。私は清盛の兄弟及び、正室・時子の兄弟(の配役)に注目しています。
今年の「江 姫たちの戦国」に関連して、近年の大河ドラマの傾向について少し触れる書籍もあります。「江と戦国と大河」と言うタイトルで著者は小島毅さんです。この本の記述はなかなか的を得ています。「なぜ保科正之が2011年の主人公から落選したのか?」についても仮説を記載しております。

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