オーストラリア先住民のゲノム解読とデニソワ人との交雑
オーストラリア先住民のゲノム解読についての研究(Rasmussen et al., 2011)と、オーストラリア先住民も含むオセアニアやアジアの現代人の祖先と、デニソワ人との交雑の可能性を示した研究(Reich et al., 2011)が報道(Callaway et al., 2011)されました。いずれの研究も、オンライン版での先行公開となります。オーストラリア先住民のゲノム解読についての研究(Rasmussen et al., 2011)では、1920年代にオーストラリア南西部の先住民だった若い男性より寄贈された毛髪から、オーストラリア先住民のゲノムが解析されました。
なぜわざわざ100年近く前の毛髪がゲノム解析されたのかというと、現代のオーストラリア先住民の多くは近代以降にヨーロッパ人由来の遺伝子も有するようになったからです。もちろん、1920年代のオーストラリア先住民にも、近代以降のヨーロッパ人由来の遺伝子が検出される可能性があるわけですが、この研究では、毛髪からはオーストラリア先住民とヨーロッパ人との交雑の証拠は検出されず、DNA解析において過去の試料を扱う場合に常に問題となる試料汚染についても、0.5%以下だろう、と推定されています。
このゲノム解析の結果、オーストラリア先住民の先祖は、75000~62000年前にアジア東部へと拡散したのではないか、と推定されています。一方、大陸部を中心とした多くの現代アジア人の祖先は、38000~25000年前にアジア東部へと拡散したのではないか、と推定されています。さらに、多くの現代アジア人の祖先とアメリカ先住民の祖先とが分岐する前に、アジア東部に異なる時期に進出してきた二つの現生人類(ホモ=サピエンス)集団間に、交雑があったのではないか、とも推定されています。こうしたことから、オーストラリア先住民は、アフリカ外の最古の継続的集団の一つではないだろうか、とこの研究では指摘されています。
オーストラリア先住民も含むオセアニアやアジアの現代人の祖先と、デニソワ人との交雑の可能性を示した研究(Reich et al., 2011)では、これまで一部の現代人集団のみに検出されていたデニソワ人との交雑の証拠(関連記事)が、さらに多くの集団にも見出された、と指摘されています。この研究では、現代のアジア東部とオセアニアの33の地域集団に、デニソワ人との交雑の証拠が見出されるか、検証されました。その結果、日本人も含む現代のアジア東部の北部(おおむね一般的な意味合いでの東アジア)の地域集団には、デニソワ人との交雑の証拠が検出されませんでした。
一方、アジア東部の南部(一部は南アジアで、他の多くは東南アジア)とオセアニアについては、オーストラリア先住民も含む東方の地域集団でデニソワ人との交雑の証拠が検出されたのにたいして、西方の地域集団ではデニソワ人との交雑の証拠が検出されませんでした。こうしたことなどから、ニューギニア人・オーストラリア先住民などの祖先と、東アジアを中心とする多くの現代アジア人の祖先とでは、アジア東部への進出時期が異なっており(前者が後者より早くなります)、アジア東部(そのさらに東方にオーストラリアや、寒冷期には陸続きだったオーストラリアとニューギニアを含むサフルランドがあります)への現生人類の進出は、複数回の波があったのではないか、とこの研究では推測されています。
さらに、こうした解析結果から、デニソワ人と現生人類との交雑は大陸部アジアではなく東南アジアで起きたのであり、東アジアを中心とする多くの現代アジア人の祖先がアジア東部に進出してきた時には、その地にはデニソワ人はすでにいなかったのではないか、とも指摘されています。したがって、デニソワ人(というか、デニソワ人が分類されるべき人類種または亜種)はシベリアから東南アジアの熱帯地域まで、広範な地理的・生態学的範囲に存在していたことは間違いないだろう、とこの研究では指摘されています。
またこの研究では、現生人類のアジア東部への初期拡散経路として、南アジア経由の南岸沿いという考古学的研究成果とも一致する仮説と、アジア東部への現生人類の進出には複数回の波があったのではないか、との推測が支持されています。しかし、オーストラリア先住民も含む現代の非アフリカ人は、同程度にネアンデルタール人の核DNAを継承しているため、現生人類の出アフリカが複数回あったことを証明するものではない、とも指摘されています。つまり、おそらくは西アジアでネアンデルタール人と交雑した現代非アフリカ人の共通祖先は、複数回にわたってアジア東部へと進出した可能性が高い、ということです。
以上、ざっと二つの研究について述べてきましたが、現生人類の出アフリカが複数回あったことについて、現時点では証明されていないものの、その可能性は高いだろう、とは思います。おそらく、出アフリカを果たした最初期の現生人類は、後発の多数派の現生人類集団に吸収され、現代では複数回の出アフリカの痕跡が検出されにくくなっているのだろう、と思います。現代のオーストラリア先住民の祖先と、現代アジア人の多くの祖先とが、異なる時期にアジア東部へと進出した可能性は高いだろうと思いますが、上記の研究でも指摘されているように、両者の間で交雑があった可能性も高いのでしょう。
デニソワ人というか、デニソワ人が分類されるべき人類種または亜種が、シベリアから東南アジアの熱帯地域まで、広範な地理的・生態学的範囲に存在していた可能性の高いことが指摘されたことは、ひじょうに興味深いのですが、では、生態学的環境という意味では、ネアンデルタール人以上に広範に存在したデニソワ人とはどのような人類なのか、どうも想像しにくいところがあります。おそらく、既知の人骨のなかに、デニソワ人と同系統のものがあるのではないか、とも思うのですが。また、これは素人考えなのですが、現代アフリカ人のゲノム解析がさらに進めば、デニソワ人との交雑の証拠とされてきた一部の核DNAのなかに、じつは現生人類とデニソワ人の共通祖先から継承したものがある、と判明する場合もあるのではないか、とも私は考えています。
参考文献:
Callaway E.(2011B): First Aboriginal genome sequenced. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/news.2011.551
Rasmussen M. et al.(2011): An Aboriginal Australian Genome Reveals Separate Human Dispersals into Asia. Science, 334, 6052, 94-98.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1211177
Reich D. et al.(2011): Denisova Admixture and the First Modern Human Dispersals into Southeast Asia and Oceania. The American Journal of Human Genetics, 89, 4, 516-528.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2011.09.005
なぜわざわざ100年近く前の毛髪がゲノム解析されたのかというと、現代のオーストラリア先住民の多くは近代以降にヨーロッパ人由来の遺伝子も有するようになったからです。もちろん、1920年代のオーストラリア先住民にも、近代以降のヨーロッパ人由来の遺伝子が検出される可能性があるわけですが、この研究では、毛髪からはオーストラリア先住民とヨーロッパ人との交雑の証拠は検出されず、DNA解析において過去の試料を扱う場合に常に問題となる試料汚染についても、0.5%以下だろう、と推定されています。
このゲノム解析の結果、オーストラリア先住民の先祖は、75000~62000年前にアジア東部へと拡散したのではないか、と推定されています。一方、大陸部を中心とした多くの現代アジア人の祖先は、38000~25000年前にアジア東部へと拡散したのではないか、と推定されています。さらに、多くの現代アジア人の祖先とアメリカ先住民の祖先とが分岐する前に、アジア東部に異なる時期に進出してきた二つの現生人類(ホモ=サピエンス)集団間に、交雑があったのではないか、とも推定されています。こうしたことから、オーストラリア先住民は、アフリカ外の最古の継続的集団の一つではないだろうか、とこの研究では指摘されています。
オーストラリア先住民も含むオセアニアやアジアの現代人の祖先と、デニソワ人との交雑の可能性を示した研究(Reich et al., 2011)では、これまで一部の現代人集団のみに検出されていたデニソワ人との交雑の証拠(関連記事)が、さらに多くの集団にも見出された、と指摘されています。この研究では、現代のアジア東部とオセアニアの33の地域集団に、デニソワ人との交雑の証拠が見出されるか、検証されました。その結果、日本人も含む現代のアジア東部の北部(おおむね一般的な意味合いでの東アジア)の地域集団には、デニソワ人との交雑の証拠が検出されませんでした。
一方、アジア東部の南部(一部は南アジアで、他の多くは東南アジア)とオセアニアについては、オーストラリア先住民も含む東方の地域集団でデニソワ人との交雑の証拠が検出されたのにたいして、西方の地域集団ではデニソワ人との交雑の証拠が検出されませんでした。こうしたことなどから、ニューギニア人・オーストラリア先住民などの祖先と、東アジアを中心とする多くの現代アジア人の祖先とでは、アジア東部への進出時期が異なっており(前者が後者より早くなります)、アジア東部(そのさらに東方にオーストラリアや、寒冷期には陸続きだったオーストラリアとニューギニアを含むサフルランドがあります)への現生人類の進出は、複数回の波があったのではないか、とこの研究では推測されています。
さらに、こうした解析結果から、デニソワ人と現生人類との交雑は大陸部アジアではなく東南アジアで起きたのであり、東アジアを中心とする多くの現代アジア人の祖先がアジア東部に進出してきた時には、その地にはデニソワ人はすでにいなかったのではないか、とも指摘されています。したがって、デニソワ人(というか、デニソワ人が分類されるべき人類種または亜種)はシベリアから東南アジアの熱帯地域まで、広範な地理的・生態学的範囲に存在していたことは間違いないだろう、とこの研究では指摘されています。
またこの研究では、現生人類のアジア東部への初期拡散経路として、南アジア経由の南岸沿いという考古学的研究成果とも一致する仮説と、アジア東部への現生人類の進出には複数回の波があったのではないか、との推測が支持されています。しかし、オーストラリア先住民も含む現代の非アフリカ人は、同程度にネアンデルタール人の核DNAを継承しているため、現生人類の出アフリカが複数回あったことを証明するものではない、とも指摘されています。つまり、おそらくは西アジアでネアンデルタール人と交雑した現代非アフリカ人の共通祖先は、複数回にわたってアジア東部へと進出した可能性が高い、ということです。
以上、ざっと二つの研究について述べてきましたが、現生人類の出アフリカが複数回あったことについて、現時点では証明されていないものの、その可能性は高いだろう、とは思います。おそらく、出アフリカを果たした最初期の現生人類は、後発の多数派の現生人類集団に吸収され、現代では複数回の出アフリカの痕跡が検出されにくくなっているのだろう、と思います。現代のオーストラリア先住民の祖先と、現代アジア人の多くの祖先とが、異なる時期にアジア東部へと進出した可能性は高いだろうと思いますが、上記の研究でも指摘されているように、両者の間で交雑があった可能性も高いのでしょう。
デニソワ人というか、デニソワ人が分類されるべき人類種または亜種が、シベリアから東南アジアの熱帯地域まで、広範な地理的・生態学的範囲に存在していた可能性の高いことが指摘されたことは、ひじょうに興味深いのですが、では、生態学的環境という意味では、ネアンデルタール人以上に広範に存在したデニソワ人とはどのような人類なのか、どうも想像しにくいところがあります。おそらく、既知の人骨のなかに、デニソワ人と同系統のものがあるのではないか、とも思うのですが。また、これは素人考えなのですが、現代アフリカ人のゲノム解析がさらに進めば、デニソワ人との交雑の証拠とされてきた一部の核DNAのなかに、じつは現生人類とデニソワ人の共通祖先から継承したものがある、と判明する場合もあるのではないか、とも私は考えています。
参考文献:
Callaway E.(2011B): First Aboriginal genome sequenced. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/news.2011.551
Rasmussen M. et al.(2011): An Aboriginal Australian Genome Reveals Separate Human Dispersals into Asia. Science, 334, 6052, 94-98.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1211177
Reich D. et al.(2011): Denisova Admixture and the First Modern Human Dispersals into Southeast Asia and Oceania. The American Journal of Human Genetics, 89, 4, 516-528.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2011.09.005
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