細川重男『鎌倉幕府の滅亡』

 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2011年3月に刊行されました。細川氏の著書は以前にもこのブログで取り上げたことがありますが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_13.html
なかなか面白かったので、本書も読んでみることにしました。

 本書の主題は、鎌倉幕府滅亡の理由です。鎌倉幕府滅亡の理由については、御家人の窮乏化や幕府の腐敗などが挙げられていますが、本書では、幕府の特権的支配層こそ幕府滅亡の原因だった、と主張されています。鎌倉幕府の特権的支配層とは、鎌倉時代後期に幕府役職を基準として形成された幕府独自の家格秩序において、引付衆以上の幕府中央要職を世襲した家系で、都市である鎌倉以外に拠点を持たず、幕府高官であることを根拠として所領を維持・集積したように、幕府に依存していたことを特徴としていました。

 鎌倉幕府の特権的支配層の具体的な構成員は、北条得宗家および庶家・二階堂などの文士系・安達などの北条以外の武士・北条に仕えた御内人です。これらの家系は、霜月騒動での滅亡後に再興した安達のように、それぞれ浮沈・興亡もあったものの、鎌倉幕府の政争を勝ち抜いた(生き抜いた)家系で、政争を勝ち抜く過程で、幕府高官を世襲するようになっていきました。都市である鎌倉以外に拠点を持たず、高官であることを根拠に日本全国に散在する所領を集積していったという点で、鎌倉幕府の特権的支配層は王朝貴族層によく似ています。

 それだけに、鎌倉幕府の特権的支配層の利害は在地の御家人や非御家人の武士と対立するところがあり、鎌倉幕府の特権的支配層は、それら御家人や非御家人の武士を収奪することにより、富を集積していった、という側面があります。御家人にとって、鎌倉時代後期の幕府特権的支配層は、もはや恃むべき上位権力ではなくなっていたのですが、鎌倉幕府の特権的支配層はじょじょに成立していったため、多くの御家人はそのことになかなか気づきませんでした。多くの御家人がそのことに気づく決定的契機となったのが、王朝権力というか後醍醐の反幕府挙兵で、多数の御家人に見放された鎌倉幕府は、あっけなく滅亡してしまいました。

 本書では、鎌倉幕府の性格についての、東国国家論と権門体制論という二つの学説も視野に入れた議論が展開されていますが、どちらが妥当だということではなく、どちらも鎌倉幕府の一面を正しく指摘している、と主張されています。鎌倉幕府の力量は東国国家が限界だったのですが、幕府は武を担う権門の一員としての性格も有していたため、朝廷の支配力が衰えるにつれ、全国的な課題に直面することになります。そのさいに足枷となったのが、中央集権的な東国国家としての幕府の性格と、幕府の特権的支配層です。

 全国的な統治にさいしては、当時の幕府の力量では、後の室町幕府のように、非御家人も御家人化し、すべての武士を地方に権限を委譲した体制を築くしかありませんでした。このことに気づき実現しようとしたのが安達泰盛だったのですが、じゅうらいからの幕府の中央集権志向と、特権を失うことを恐れた幕府特権的支配層の抵抗により、霜月騒動で挫折しました。この霜月騒動のみならず、嘉元の乱など幕府内の政争について、自説にしたがって明快に位置づけられ、説明されていることは、歴史解釈としてどのていど妥当なのかはさておき、本書の主張が整合性のあるものであることを示している、と言えるでしょう。

 鎌倉幕府のあっけない滅亡の理由について、本書で提示された見解は、専門家ではない私にとってはたいへん面白く、明快な説明となっているのですが、明快な説明だけに、理念化・類型化が行き過ぎていたり、分類が単純化されたりしているのではないか、との疑問も残ります。本書の主張をそのまま受け取るのは危険かな、とも思うのですが、読み応えのある一冊だった、との感想に変わりはありません。鎌倉幕府に興味のある人にはお勧めです。また、上記の記事で取り上げた『北条氏と鎌倉幕府』と比較すると、ふざけた感じの文章がほとんどなかったこともよかったと思います。やはり、非専門家にも理解しやすい平易な文章が、ふざけたものである必要はまったくないと思います。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック