山本博文、堀新、曽根勇二編『消された秀吉の真実 徳川史観を越えて』

 柏書房より2011年6月に刊行されました。序章と第一章~第十章までの各論考から成る論文集といった体裁になっています。各論考では豊臣秀吉の文書が取り上げられ、その原本の写真が掲載されるとともに、釈文と現代語訳が記載されており、一般向け書籍としてたいへん丁寧な構成になっています。だからといって、低俗に陥っているということはまったくなく、史料批判の徹底が非専門家にも分かりやすいような記述となっています。個々の論考で提示された見解の是非は今後も検証が必要でしょうが、一般向けの歴史書としてかなり良心的と言ってよいのではないか、と思います。

 本書で提示された各論考からは、秀吉の文書を徹底的に読み込むことにより、豊臣政権の具体的様相を描き出し、適切に評価しよう、との意欲的な企図が読み取れます。本書から受ける豊臣政権の印象は、秀吉個人の力量に依拠したところが大きい、というもので、秀吉が傑出した人物であることを改めて思い知らされましたが、それだけに、信長の過大評価と対になっていると思われる、近年の秀吉人気の低下や、大河ドラマでの秀吉の矮小化が残念でなりません。また、豊臣政権の在り様と関連して、当時の情報の伝わり方も見えてくるなど、色々と教えられるところの多い一冊でした。

 本書の基調の一つとなっているのは、徳川史観の克服です。「徳川史観とは、徳川家康や将軍職をことさらに神聖化・絶対化する江戸幕府のイデオロギー工作である」とのことで(P324)、これが300年近く諸書を通じて繰り返された結果、日本人の歴史認識に潜在意識のように刷り込まれてしまっており、それは歴史研究者も例外ではない、と本書では指摘されています。その実例として、本書第一章では長久手の戦いについて同時代史料から俗説が見直されており、また第五章では、家康が豊臣政権下の一時期、豊臣氏を称した可能性の高いことが指摘されています。徳川史観の克服は、今後も重要な課題となり続けそうです。

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