日本・中華・ヨーロッパ中心主義
現在の私の主要な関心として、私も含めて日本語文化圏で生まれ育った現代人が陥りやすいだろう、日本・中華・ヨーロッパ中心主義の克服があり、これは生涯にわたる私の目標になるでしょう。これらと類似したものとして、朝鮮中心主義も気になるところですが、日本においては現在も今後も、日本・中華・ヨーロッパ中心主義と比較して、内在化の度合いが低いと思うので、影響力は小さいままでしょうから、さほど強く意識しているわけではありません。もっとも、日本古代史では朝鮮中心主義の影響が強すぎる、と糾弾する人は、現代日本において少なくないかもしれませんが。
これらのうち、中華中心主義については、最近いくつか関連する記事を掲載しましたが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_24.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_28.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201105article_13.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201105article_15.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201106article_5.html
それは、私のような日本語文化圏で生まれ育った現代人にとって、日本・中華・ヨーロッパ中心主義のなかでもっとも克服しやすいのが中華中心主義だろう、との見通しを私が立てているためで、つまり容易なところから手をつけていこう、というわけです。
日本・中華・ヨーロッパ中心主義のなかで、現代日本において中華中心主義を克服しやすいだろうと私が認識しているのは、近代以降、ヨーロッパ中心主義が日本においても浸透し、その過程で中華への志向が大打撃を受けており、中華世界を突き放して理解しやすいだろう(あくまでも、日本・ヨーロッパとの相対的比較ですが)、と考えているからです。しかし、近代日本においても儒教に代表される中華的心性が根強く残っていたことは否定できませんし、今後、中華人民共和国の経済・軍事・政治力がますます強大化するようなことがあれば、前近代とは異なる様相になるだろうとはいえ、中華中心主義が再び日本において強い影響力を有する可能性もあるだろう、と思います。そうなった場合、チベットやモンゴルなどをも千年以上の単位で通時的に中華や東アジアに包摂した見解が「真実の歴史」・「正しい歴史認識」と称されて、日本で声高に主張される危険性もあるのではないか、と懸念しています。
日本語文化圏で生まれ育った現代人にとって、あるていど日本中心主義になるのは仕方のないところですが、現代日本は、近代国民国家をあるていど突き放して認識できるような成熟?した(先進的?)社会になってきましたから、日本中心主義を批判し、日本という枠組みを徹底的に相対化するような言説が、おそらく今後も「進歩的で良心的な」人々から盛んに主張されることでしょう。日本以上に成熟?した(先進的?)社会の多い地域であるヨーロッパにおいては、こうした動向が日本よりも早く現れており、その意味で、日本・ヨーロッパ中心主義は克服する手がかりが得やすい、と言えるかもしれません。
しかし、日本語文化圏で生まれ育った多くの現代人にとって、幼少時より日本という枠組みは大前提としてあり、自明のものでしたし、ヨーロッパ的価値観も幼少時より叩き込まれたものでもあるので、そもそも日本中心主義・ヨーロッパ中心主義を見落としやすい、という問題もあります。私のような凡人はとくに見落としやすくなりますので、さまざまな言説を参照することが必要なのでしょう。その意味で、現在のヨーロッパや日本の言論状況は、日本中心主義・ヨーロッパ中心主義を克服する環境としては、悪くはないだろう、と思います。
ただ、日本・中華・ヨーロッパ中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、それぞれの対抗言論に肩入れするような状況に陥ってしまうことには注意しなければいけないかな、と思います。日本中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、中華・朝鮮中心主義や理想の先進地域像としてのヨーロッパ中心主義に陥ったり、中華中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、先進地域としての日本・ヨーロッパ中心主義に陥ったり、ヨーロッパ中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、アジア(これも曖昧なところのある概念であり、じっさいの用法も一義的ではありませんが)や先住民の価値観を過大評価したりするようなことになれば、意味がないだろう、と思います。
これらのうち、中華中心主義については、最近いくつか関連する記事を掲載しましたが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_24.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_28.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201105article_13.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201105article_15.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201106article_5.html
それは、私のような日本語文化圏で生まれ育った現代人にとって、日本・中華・ヨーロッパ中心主義のなかでもっとも克服しやすいのが中華中心主義だろう、との見通しを私が立てているためで、つまり容易なところから手をつけていこう、というわけです。
日本・中華・ヨーロッパ中心主義のなかで、現代日本において中華中心主義を克服しやすいだろうと私が認識しているのは、近代以降、ヨーロッパ中心主義が日本においても浸透し、その過程で中華への志向が大打撃を受けており、中華世界を突き放して理解しやすいだろう(あくまでも、日本・ヨーロッパとの相対的比較ですが)、と考えているからです。しかし、近代日本においても儒教に代表される中華的心性が根強く残っていたことは否定できませんし、今後、中華人民共和国の経済・軍事・政治力がますます強大化するようなことがあれば、前近代とは異なる様相になるだろうとはいえ、中華中心主義が再び日本において強い影響力を有する可能性もあるだろう、と思います。そうなった場合、チベットやモンゴルなどをも千年以上の単位で通時的に中華や東アジアに包摂した見解が「真実の歴史」・「正しい歴史認識」と称されて、日本で声高に主張される危険性もあるのではないか、と懸念しています。
日本語文化圏で生まれ育った現代人にとって、あるていど日本中心主義になるのは仕方のないところですが、現代日本は、近代国民国家をあるていど突き放して認識できるような成熟?した(先進的?)社会になってきましたから、日本中心主義を批判し、日本という枠組みを徹底的に相対化するような言説が、おそらく今後も「進歩的で良心的な」人々から盛んに主張されることでしょう。日本以上に成熟?した(先進的?)社会の多い地域であるヨーロッパにおいては、こうした動向が日本よりも早く現れており、その意味で、日本・ヨーロッパ中心主義は克服する手がかりが得やすい、と言えるかもしれません。
しかし、日本語文化圏で生まれ育った多くの現代人にとって、幼少時より日本という枠組みは大前提としてあり、自明のものでしたし、ヨーロッパ的価値観も幼少時より叩き込まれたものでもあるので、そもそも日本中心主義・ヨーロッパ中心主義を見落としやすい、という問題もあります。私のような凡人はとくに見落としやすくなりますので、さまざまな言説を参照することが必要なのでしょう。その意味で、現在のヨーロッパや日本の言論状況は、日本中心主義・ヨーロッパ中心主義を克服する環境としては、悪くはないだろう、と思います。
ただ、日本・中華・ヨーロッパ中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、それぞれの対抗言論に肩入れするような状況に陥ってしまうことには注意しなければいけないかな、と思います。日本中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、中華・朝鮮中心主義や理想の先進地域像としてのヨーロッパ中心主義に陥ったり、中華中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、先進地域としての日本・ヨーロッパ中心主義に陥ったり、ヨーロッパ中心主義を克服しようとする意識が強くなるあまり、アジア(これも曖昧なところのある概念であり、じっさいの用法も一義的ではありませんが)や先住民の価値観を過大評価したりするようなことになれば、意味がないだろう、と思います。
この記事へのコメント
今日の劉さんの記事にかかれていた
「朝鮮中心主義も気になるところですが、日本においては現在も今後も、日本・中華・ヨーロッパ中心主義と比較して、内在化の度合いが低いと思うので・・・」
先日大阪に行った際にこれが一番根深いのではないか?と感じたことがありました。
日韓問題は・・・人権がらみですからちょっとテーマはそれますが・・。しかし想像以上のものでした。平和って心と心が一つにならないと産み出せないものだなって思うくらい差が激しくて。
悲しかったです。