早島大祐『室町幕府論』
講談社選書メチエの一冊として、2010年12月に刊行されました。足利将軍家が逆賊とされた戦前はもちろんのこと、戦後も、弱々しい政権という印象もあってか、室町幕府というか室町時代の一般人気は低い(室町時代後半は大人気ですが、それは室町時代としてではなく、戦国時代としてです)のではないか、と思います。こうした状況において、研究の細分化もあり、研究者の側が一般層に体系的な室町幕府論を提示できていない、という問題意識のもと、本書は、朝廷の儀式の在り様などにも注目しつつ、儀式財政史的観点から室町幕府の在り様を見直すとともに、さまざまな分野の室町幕府研究を総合して、体系的な室町幕府像を提示しよう、という意欲的な一般向け書籍になっています。
本書では、室町幕府の体制の確立が、三代将軍義満の代ではなく、四代将軍義持の代にある、と主張されています。これまで、義持が義満の路線を否定する傾向にあったことは強調されてきましたが、義満の「華やかな成果」や、幕府による朝廷の権限の接収が義満の代におおむね完了したとの理解が通説だったこともあって、室町幕府の体制自体はおおむね義満の代に確立した、というのが今でも一般的な理解になっているようです。しかし本書では、朝廷の儀式や幕府の財源などの分析から、義満の代の室町幕府の在り様には、文化的傾向も含めて一時的なところが多分にあり、むしろ義持の代に確立していった体制が、その後の室町幕府の体制を規定した、と主張されています。
また本書では、義持の代に室町幕府が都市依存型財政へと転換したことが、在地勢力の権限を強めることになり、これがいわゆる下剋上の時代である戦国時代の前提になったのではないか、とも指摘されています。さらに本書では、室町幕府の都市依存型財政への転換は、室町幕府の拠点である京都へと富が集積する結果をもたらし、それは、都市型飢饉の発生などといった社会の構造を首都に顕在化させる構造も有していた、とも指摘されています。本書は、細かな実証にとどまるのではなく、大きな社会変化への見通しを提示しており、じつに魅力的な歴史書になっていると思います。
本書では、室町幕府の体制の確立が、三代将軍義満の代ではなく、四代将軍義持の代にある、と主張されています。これまで、義持が義満の路線を否定する傾向にあったことは強調されてきましたが、義満の「華やかな成果」や、幕府による朝廷の権限の接収が義満の代におおむね完了したとの理解が通説だったこともあって、室町幕府の体制自体はおおむね義満の代に確立した、というのが今でも一般的な理解になっているようです。しかし本書では、朝廷の儀式や幕府の財源などの分析から、義満の代の室町幕府の在り様には、文化的傾向も含めて一時的なところが多分にあり、むしろ義持の代に確立していった体制が、その後の室町幕府の体制を規定した、と主張されています。
また本書では、義持の代に室町幕府が都市依存型財政へと転換したことが、在地勢力の権限を強めることになり、これがいわゆる下剋上の時代である戦国時代の前提になったのではないか、とも指摘されています。さらに本書では、室町幕府の都市依存型財政への転換は、室町幕府の拠点である京都へと富が集積する結果をもたらし、それは、都市型飢饉の発生などといった社会の構造を首都に顕在化させる構造も有していた、とも指摘されています。本書は、細かな実証にとどまるのではなく、大きな社会変化への見通しを提示しており、じつに魅力的な歴史書になっていると思います。
この記事へのコメント