中華民族なる概念について

 そもそも、中華民族なる概念はどう定義されているのか、という問題になるのですが、平野聡『清帝国とチベット問題』(名古屋大学出版会、2004年)P26~27では、以下のように説明されています。

 この「中華民族」が含意するものは、中華民国・中華人民共和国の領域的範囲において、数千年来にわたって漢民族を凝集の核とする歴史・文化世界が展開した結果、漢民族と少数民族からなる多元的で一体の歴史的実在が形成され、それが「西洋の衝撃」以来の反帝国主義闘争を通じて真に自覚されるに至った、という認識である。それは、もともと清末以来の中国ナショナリズムにおける漢民族中心の国家・歴史観として形成され、孫文が『三民主義』の中で「民族とは国族(=国民体)である。何故なら中国は秦漢以来ひとつの民族が一つの国家を形成したからである」「中国の民族に関して言えば、総数四億人のうち雑に混じるものは数百万の蒙古人・百数十万の満洲人・数百万の西蔵人・百数十万の回教の突厥人のみであるので、大多数から言えば四億の中国人は完全に漢人と言って良い」と述べたことでほぼ概念として定着した。共産党政権は蒋介石『中国之命運』が少数民族を漢族の下位概念「宗族」として扱ったことへの批判から、少数民族独自の性格と「発展段階」を考慮した少数民族政策を策定して「民族識別工作」を行ったものの、漢族主体の「中華民族」論は継承した。さらに、共産主義イデオロギーの正統性が減退した一九八〇年代後半、民族学者・費孝通が「中華民族多元一体格局(構造)」を提示して「中華民族」言説を再強化した。一九九一年にソ連が崩壊して以来、中華人民共和国は速やかに新たな国家目標として「中華の振興」を掲げ、所謂「愛国主義教育」の強化を通じ、社会の末端に至るまで「中華民族」思想を浸透させる試みを続けているのである。
 この「中華民族」論は、「中華」の中心として歴史と文化を担ってきたと自負する漢族の歴史観を中心に、「歴史認識と究極の価値の所在を共有する民族共同体」と「国民」を一致させようとするものである。それゆえ、何故漢字と儒学思想に基づく「中華」概念が優越するのかを必ずしも認識していない人々にとって、「チベットは歴史的に見て、“中国”の一部分であり、“中華民族”の一員である」という中華人民共和国(及び台湾にある中華民国政府)の公式見解や、「中華民族を主導する漢族の政治指導と文化的成果を、チベット(及び少数民族)は恩恵として受け取るべきである」という発想は、一方的に自決・独立権を否定された国籍上の問題と、安易に肯定しがたい「民族」規定の問題が複雑にからんで、一層理解しがたいものとして映る。その結果、チベット問題(及び内モンゴル・新疆ウイグル問題)は一層歴史解釈・歴史観のねじれとして深化し、対話的理解が難しい状況が続いてきた。


 中華民族なる概念は、ダイチン=グルンの「領域」を継承しようとした近代国家の形成・定着の過程で、政治的必要性から創出された、という側面が多分にあるように思います。中華民族なる概念は、元々は漢民族主体のものでしたが、「多民族」国家たる現実を前にして、現在では「多元一体」という概念が建前としては重視されているようです。この中華民族には、漢・チベット・モンゴル・ウイグル・朝鮮など55に及ぶ民族から構成されている、というのが中華人民共和国政府の公的立場のようです。

 20世紀後半以降、近代歴史学は、近代以降の国民国家・一民族一国家という概念・規範を前提としたものであるとして、「進歩的で良心的」な人々から批判されており、民族なる枠組みの虚構性が強調される傾向にあります。現代日本においても、「進歩的で良心的」な人々から、「日本」なる概念を前提とした歴史観の見直しが主張されており、縄文時代からの「日本文明」の一貫性・独自性を想定するような、太古よりの「日本」を前提とした歴史観が、偏狭な「一国史観」などと言われて厳しく批判されています。こうした観点の有効性は一定以上認めねばならないでしょうが、その観点に基づいて考えてみると、中華民族なる概念は、近代国民国家が創出した極端な事例ということになるでしょう。

 中華民族なる概念に無理があることは、中華人民共和国政府の要人も理解しているのでしょうが、「多民族」国家たる現実を前にして、統治を安定させようとする試みの一つと割り切っているのではないか、と思います。おそらく、「漢民族」の一体性すら自明ではないらしい(これは中国在住経験のある知人の見解に依拠しているので、実証できたというわけではないのですが)中華人民共和国の多数の国民にとっても、中華民族なる概念は政府の公式見解以上の意味はなく、建前にすぎないのでしょう。また、近年の日本では中華人民共和国への嫌悪感が強まっているので、中華民族なる概念の潜在的危険性を指摘している人も増えているかもしれませんが、その問題については、いつか別の記事にて述べよう、と考えています。

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