メジロ牧場解散へ

 すでにスポーツ紙などで大きく報道されていますが、メジロ牧場が来月解散することになった、と報道されました。
http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/04/27/0004005229.shtml

 現役馬の所有名義は、メジロ牧場の岩崎伸道専務に変更になるようですが、牧場や繋養されている繁殖牝馬に関しては、今後どうなるか未定のようです。買い取り手が現れるとよいのですが。メジロマックイーンやメジロドーベルやメジロブライトなど、メジロで好きな馬が少なからずいただけに、なんとも残念ですが、直近のJRA平地重賞勝ちが2006年2月の小倉大賞典であることからも分かるように、近年ではメジロ牧場の競争成績の不振は深刻で、メジロは独立採算制のオーナーブリーダーだけに、廃業という決断は仕方のないところでしょう。

 メジロの不振は21世紀になってからのことではなく、パーマー・ライアン・マックイーン(日本の制度では、預託生産のマックイーンはメジロ牧場産ではありませんが)の黄金世代(1987年生まれ)が活躍した後、1993年10月のメジロマックイーンの京都大賞典勝ちから1996年12月のメジロドーベルの阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)勝ちまで、3年以上JRAの平地重賞を勝てないという深刻な不振に陥り、存続が危ぶまれたことがあります。そのドーベルと、同じく1994年生まれのブライトの2頭が1997年~1999年にかけて大レースを5勝して復活を印象づけ、1998年生まれのメジロベイリーが2000年12月の朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を勝ちましたが、これ以降メジロの馬はGI・JpnI・JRAGIを勝っていません。

 ドーベル・ブライトの活躍はありましたが、1994年以降、メジロ牧場はずっと不振だったと判断するのが妥当でしょう。今にして思うと、メジロ牧場の終焉の始まりを象徴する出来事だったのは、1993年10月のマックイーンの京都大賞典勝ちであり、サンデーサイレンス産駒のデビュー前年であったため、サンデーサイレンス産駒のデビューした1994年以降、メジロ牧場は日本競馬の水準向上についていけなかった、との解釈を主張する人もいるかもしれませんが、メジロ牧場の不振はそれ以前からのことなので、サンデーサイレンス産駒のデビューとの因果関係は基本的には関係ないのではないか、と思います。

 パーマー・ライアン・マックイーン、とくにパーマー・マックイーンが当時としては高齢まで一線級で活躍したため(マックイーンは現表記6歳まで、パーマーは現表記7歳まで)、気づかれにくいように思うのですが、1987年生まれのパーマー・ライアン・マックイーンの後、1993年生まれのランバダまで、メジロの馬はJRAの平地重賞を勝てませんでした。ランバダは相手に恵まれて1997年1月の日経新春杯と1998年3月の中山牝馬ステークスを勝ったくらいですから、1988年生まれ~1993年生まれまでの6世代も、メジロ牧場は大不振に陥っていたことになります(この間、1989年生まれのメジロカンムリが、1992年11月のエリザベス女王杯で2着となったことが目立つ程度です)。サンデーサイレンスの初年度産駒は1992年生まれですから、メジロ牧場の衰退はサンデーサイレンス系の繁栄とは基本的には無関係だろう、と思います。

 1988年生まれ世代以降の不振の責任をとったのか、それ以外のことで確執があったのか、当時も今も私は知らないのですが、1990年代半ばに、メジロ牧場長として高く評価されていた武田茂男氏が、メジロ牧場を去ったことが競馬マスコミで伝えられました。当時、メジロ牧場で繋養されていた幼駒は、栄養過多と調教不足により成績が低迷し、それを改善してドーベルとブライトの活躍があった、と一部の競馬マスコミで報道されたように記憶していますが、今にして思うと、メジロ牧場の繁栄は武田茂男氏あってのことだったのかな、とも思います。もちろん、競馬のオーナーブリーダーとして長期にわたって成功し続けるのは大変ではあり、武田茂男氏が牧場長を続けていたとしても、メジロ牧場が不振から脱していたかとなると、確証はありませんが。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック