竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』

 講談社選書メチエの一冊として、講談社より2011年4月に刊行されました。著者はいわゆる旧石器捏造事件において、捏造を暴いた毎日新聞によるスクープの前より、藤村新一氏によって発見されたと発表されてきた旧石器が捏造であることを見抜いており、毎日新聞取材班の主要な根拠・情報源の一つとなったのが、著者の見解でした。本書は、旧石器捏造事件を直接の主題とはしていませんが、旧石器捏造事件を防げなかった日本の考古学の問題点を指摘するとともに、日本の旧石器時代研究はいかにあるべきか、ということを具体的事例・解説によって提言しています。

 著者はさすがに旧石器捏造をただちに見破っただけあって、旧石器に関する学識は深いと思います。また、旧石器研究の目的として、石器製作技術の観点から、現代的視点による分類ではなく、当時の人類の分類を知ることを挙げていることなど、考えさせられる点が多々あります。ただ、日本列島の旧石器(本書では、日本列島にも旧石器という時代区分が適用されることが前提とされていますが、日本列島における石器による時代区分については、ヨーロッパ発の旧石器→中石器→新石器という枠組みではなく、サハラ砂漠以南のアフリカのように、別の区分もあり得るのではないか、とも考えています)に関する私の知見が乏しいということもあり、本書で提示されている分類・見解については、さまざまな文献を読んで自分なりに見識をあるていど高めてから、判断するほうが無難かな、とは思います。

 私のように古人類学に関心のある人が本書を読んで、おそらくもっとも驚くだろうことは、更新世の日本列島における石器の分類から、更新世末期の日本列島には、ホモ=サピエンス以外の人類(本書では、旧人ホモ=ハイデルベルゲンシスとされています)が数十万年以上にわたって築いてきた前期旧石器を継承する文化と、更新世末期に日本列島外からサピエンス集団が持ち込んだ新たな文化とが混在しており、前者が後者の影響を受けて変容した事例も認められ、その年代から、日本列島では15000年前頃までハイデルベルゲンシスが生き残っていただろう、と主張されていることです。さらに、日本列島において縄文時代までハイデルベルゲンシスが生き残っていた可能性も、積極的に肯定されているわけではありませんが、考慮されています。

 近年までの古人類学の通説からすると、15000年前頃まで日本列島でサピエンス以外の人類が生き残っていたという見解は、とても信じがたいのですが、21世紀になって明らかになった、2万年前以降もインドネシア領フローレス島で生き残っていたホモ=フロレシエンシスや、5万年前以降の存在が確認された、サピエンスとは異なる系統の人類であるシベリアのデニソワ人(種区分については未定です)のことを考えると、ただちに空想と退けることはできないな、と思います。人類進化の中心地がアフリカだったことを考えると、人類進化史において日本列島は辺境と位置づけることもできるわけで、その点では日本列島とシベリア・フローレス島は共通したところがあるのではないか、とも思います。

 ただ、近代的な発展史観を旧石器時代に適用することを戒める点など、本書には他にもこれまでの常識の見直しを迫る重要な提言があり、意欲的な一冊になっているとは思いますが、全体的に、石器製作技術と人類の進化とを直接的に結びつける傾向があり、本書で提示された大胆な仮説は、検証する価値はあるものの、日本列島では3万年前以上の確実な人骨が発見されておらず、今後もその見込みが低そうなことを考えると、厳しいのではないか、というのが私の率直な感想です。確かに、石器製作技術は手首の解剖学的構造や知能などといった生物学的特徴に制限されますが、人骨の発見例、とくにホモ=ネアンデルターレンシスとホモ=サピエンス以外のホモ属の発見された人骨はきわめて少ないので、人類種と石器製作技術との対応は、かなり複雑なものだった可能性がありますし、そもそも人類(に限りませんが)の種区分の難しさという問題もあります。

 じっさい、本書ではアシュール文化(アシューリアン)はホモ=エレクトス(本書では原人とされています)とハイデルベルゲンシスの所産とされていますが、最初期のサピエンスとされるヘルト人(ホモ=サピエンス=イダルツ)の人骨と共伴していた石器の一部はアシューリアンでした。また中部旧石器時代のレヴァントでは、サピエンスとネアンデルターレンシスの人骨のどちらも、ムステリアン(ムスティエ文化)と共伴していました。環境に文化・技術を対応させ、発展していくという、近代的な発展史観を旧石器時代に適用することが本書では批判されていますが、その指摘には傾聴すべきところが多いにしても、旧石器時代にも人類が環境の影響を大きく受けたことは否定できないでしょう。もっとも、こうした私の疑問は、石器についての知見の乏しさに起因する、石器の表面的な類似性にとらわれた誤解であるところが、多分にあるのかもしれませんが。

 そうした誤解を恐れずに述べると、石器製作技術と各人類集団とを固定的に把握する傾向のある本書ですが、石器は石材の質・量や生計手段に大きく影響されただろうという意味で、旧石器時代においても人類の行動には環境適応的なところが多分にあったのではないか、と思います。こうした本書の見解の前提の一つとして、サピエンスの登場により人類の生物学的な進化(特殊化)は終わる、との認識があるのでしょうが、この認識には問題があり、人類の進化は今でも続いており、この1万年間は加速している、とする見解のほうが妥当なのではないか、と思います。以上、色々と疑問点を述べてきましたが、本書は意欲的な啓蒙書であり、傾聴すべきところが多々ある、とは思います。日本列島にかぎらず、更新世の石器について関心のある人にはお勧めです。

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