蒙古と呼ばないで
昨日付の東京新聞に、蒙古と呼ばないで、と題した記事が掲載されていました。蒙古という文字には侮蔑的な意味合いが込められているので、カタカナという表音文字のある日本では使用しないでもらいたい、とのモンゴル人の意見が紹介されていました。こうしたこともあって、日本でも、日本モンゴル協会が蒙古という表記を使用しないよう呼びかけているそうで、そういえば、近年の印刷物で、史料の引用以外で蒙古という表記を見かけることは少ないように思います。これはもっともなことであり、日本が蒙古という表記にこだわる歴史的根拠はとくにないだろう、と思います。
蒙古に限らず、現代の中華人民共和国領やその近隣地域の漢字表記には、華夷思想に基づく侮蔑的な表現が珍しくないでしょうから、そうした表記の使用が慣例化していても、見直す必要が出てくることがあるでしょう。こうした地名・国名の表記の問題は珍しくなく、現代日本では、支那という表記がしばしば論争になります。これは、「進歩的で良心的な人々」と「国士様」の双方が、啓蒙してやるぞ、と言わんばかりに自説を主張してくることもある問題であり、現在の私には、そうした見解にじゅうぶん対応できるだけの見識はありませんが、現時点での率直な意見を述べると、多くの漢人の感情を害してまで、日本で支那という表記の使用に拘るだけの歴史的根拠・正当性はとてもないだろうな、と思います。
蒙古に限らず、現代の中華人民共和国領やその近隣地域の漢字表記には、華夷思想に基づく侮蔑的な表現が珍しくないでしょうから、そうした表記の使用が慣例化していても、見直す必要が出てくることがあるでしょう。こうした地名・国名の表記の問題は珍しくなく、現代日本では、支那という表記がしばしば論争になります。これは、「進歩的で良心的な人々」と「国士様」の双方が、啓蒙してやるぞ、と言わんばかりに自説を主張してくることもある問題であり、現在の私には、そうした見解にじゅうぶん対応できるだけの見識はありませんが、現時点での率直な意見を述べると、多くの漢人の感情を害してまで、日本で支那という表記の使用に拘るだけの歴史的根拠・正当性はとてもないだろうな、と思います。
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