元・大鳴戸親方(関脇高鉄山)『八百長~相撲協会一刀両断~』(鹿砦社)
初版第1刷の刊行は1996年5月10日です。著者は本書の発売直前の1996年4月14日に急逝したのですが、著者の後援者でともに大相撲の八百長を暴露した橋本成一郎氏も同日に同じ病院にて同じ病気(肺炎)で亡くなっており、二人の死は謀略だと考える人は少なくないでしょう。もっとも、本当になんらかの謀略があったのか、今となっては検証が難しいとは思います。現在の大相撲界の八百長問題に影響を受けて本書を購入したというわけではなく、ブックオフにて100円で購入したのは10年近く前だったと記憶しています。もっとも、その記憶も定かではなく、本書を所持していること自体すっかり忘れていたのですが、古人類学関係の本を本棚で探していたら、偶然気づいたというわけです。著者は本書にて大相撲の八百長体質などの腐敗を糾弾していますが、誇張や事実誤認はあるにしても、妥当なところが少なくないでしょう。現在の八百長問題は長引きそうで、本書が改めて注目されることもあるだろう、と思います。
なお、本書の事実誤認の一例として、NHKの解説に呼ばれなくなった、との回想があります(P108~109)。千代の富士関(現在の九重親方)が1988年後半に連勝記録を伸ばしていた頃に、解説者としてNHKの相撲中継に呼ばれた著者は、連勝がどこまで続くのかと実況アナウンサーから尋ねられ、つい「止めるといってもガチンコの大乃国しかかいないんだからね」と答えて、それ以降NHKから解説者として呼ばれなくなった、との記述があります。当時、このようなやり取りがあったのか、私は覚えていないのですが、1989年以降も著者が解説者としてNHKの相撲中継に呼ばれたことはよく覚えています。
私は旭富士関(現在の伊勢ヶ濱親方)のファンだったので、旭富士関が1989年初場所~夏場所の3場所で40勝5敗という好成績を残しながら、優勝できなかったこともあって、横綱昇進が見送られたことを残念に思いました。このとき、すでに3人の横綱がおり、優勝できなかったので仕方ないところはあるにしても、優勝決定戦の内容が悪いという理由が持ち出されたときは、言いがかりのように思われて、憤慨したものです。その後、旭富士関は不調に陥り、1989年名古屋場所から1990年春場所までの5場所にわたり、8勝7敗と9勝6敗を繰り返すという、それまでの安定した成績(大関に昇進してからの10場所のうち、11勝が2場所・12勝が4場所・13勝が2場所・14勝が2場所で、優勝1回)からは信じられないような低迷でした。
その低迷の後、旭富士関は2場所連続で優勝して横綱に昇進するのですが、大関時代の旭富士関の成績が低迷していた時期に、解説者としてNHKの相撲中継に呼ばれた著者は、「いやあ、あの時旭富士を横綱にしなくてよかったですねぇ」と発言して、高校生だった私は大いに憤慨しました。もともと、著者の相撲解説はたいへん辛口で、こうした発言もしばしばあったので、驚くことはなかったのですが、当時旭富士関のファンだったこともあり、この発言をよく覚えています。著者は、昔から大相撲で八百長が横行していたと主張していますが、相撲協会は一貫して八百長を否定しており、決定的な証拠を公権力から指摘された今回はじめて、最近の何例かの八百長を認めたくらいですから、自主的に過去の八百長を謝罪することはないのでしょう。
なお、本書の事実誤認の一例として、NHKの解説に呼ばれなくなった、との回想があります(P108~109)。千代の富士関(現在の九重親方)が1988年後半に連勝記録を伸ばしていた頃に、解説者としてNHKの相撲中継に呼ばれた著者は、連勝がどこまで続くのかと実況アナウンサーから尋ねられ、つい「止めるといってもガチンコの大乃国しかかいないんだからね」と答えて、それ以降NHKから解説者として呼ばれなくなった、との記述があります。当時、このようなやり取りがあったのか、私は覚えていないのですが、1989年以降も著者が解説者としてNHKの相撲中継に呼ばれたことはよく覚えています。
私は旭富士関(現在の伊勢ヶ濱親方)のファンだったので、旭富士関が1989年初場所~夏場所の3場所で40勝5敗という好成績を残しながら、優勝できなかったこともあって、横綱昇進が見送られたことを残念に思いました。このとき、すでに3人の横綱がおり、優勝できなかったので仕方ないところはあるにしても、優勝決定戦の内容が悪いという理由が持ち出されたときは、言いがかりのように思われて、憤慨したものです。その後、旭富士関は不調に陥り、1989年名古屋場所から1990年春場所までの5場所にわたり、8勝7敗と9勝6敗を繰り返すという、それまでの安定した成績(大関に昇進してからの10場所のうち、11勝が2場所・12勝が4場所・13勝が2場所・14勝が2場所で、優勝1回)からは信じられないような低迷でした。
その低迷の後、旭富士関は2場所連続で優勝して横綱に昇進するのですが、大関時代の旭富士関の成績が低迷していた時期に、解説者としてNHKの相撲中継に呼ばれた著者は、「いやあ、あの時旭富士を横綱にしなくてよかったですねぇ」と発言して、高校生だった私は大いに憤慨しました。もともと、著者の相撲解説はたいへん辛口で、こうした発言もしばしばあったので、驚くことはなかったのですが、当時旭富士関のファンだったこともあり、この発言をよく覚えています。著者は、昔から大相撲で八百長が横行していたと主張していますが、相撲協会は一貫して八百長を否定しており、決定的な証拠を公権力から指摘された今回はじめて、最近の何例かの八百長を認めたくらいですから、自主的に過去の八百長を謝罪することはないのでしょう。
この記事へのコメント