本郷和人『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』

 講談社選書メチエの選書日本中世史第1巻として、2010年5月に刊行されました。著者の提示する歴史像にはどうも納得のできないことが多いのですが、選書日本中世史シリーズでこの巻だけを読まないというのも落ち着かないので、読むことにしました。本郷氏の他の著書を以前このブログで取り上げたことがありますが、
https://sicambre.seesaa.net/article/200711article_6.html
本書を読んでの全体的な感想も、その時とあまり印象は変わりません。

 それは、文章が読みやすく、具体的に提示される「史実」は専門家ではない人間にとってじつに興味深いけれども、歪曲とも思われる叙述も見られ、慎重に接しなければならない、というものです。たとえば、著者自身も批判されている「関東史観」について、その提唱者を出身地と関係づける見解にたいして、関東・東日本ではなく東京に限定し、必ずしも東京(もしくは東京大学)とずっと縁があったわけではない、と説明して出身地として切り離そうとしているところは、やや姑息ではないかな、とも思います。もちろん、「関東史観」とその提唱者の出身地との因果関係が証明されたとは言い難いのですが。

 本書は、網野善彦氏にたいして一応は敬意も表しているのですが、けっきょくのところ網野氏の見解の実証面での不備を指摘し、否定的な評価を下している、と言えるでしょう。もちろん、しっかりと検証されずに、というか研究者の批判が一般社会に届いていないという状況で網野氏の見解が持ち上げられている現状にたいする、研究者としての危機感もあるのでしょうが、本書の記述からは、著者のエリート意識が垣間見られるように私には思われ、それほど強烈ではないのですが、読んでいてどうも不快感があります。網野氏が学界ではほとんどまともに扱われず、冷ややかな視線が向けられていたことは、日本中世史に関心をもつ人にはよく知られているでしょうが、その具体的な様相というか心情が、本書の記述から多少なりとも窺えるように思います。おそらく、私が本郷氏の著書を全面的に賞賛できないのは、その歴史像に同意できないところがあるということ以上に、本書ではあまり見られないものの、他の著書では目立つ軽率な叙述などからうかがえる人柄に違和感を覚えるためなのでしょう。もっとも、本郷氏からすると、これは非専門家の誹謗中傷にすぎないのでしょうが。

 著者は精力的に権門体制論を批判しており、本書でもそれは変わらないのですが、その是非について、残念ながら私には判断できるだけの見識はありません。ただ、権門体制論と皇国史観との類似の強調には疑問が残ります。これは非専門家である私の直観にすぎないのですが、私も含めて近代以降の国民国家を所与の前提としている近代人の思い込みが投影されているところを取り除いていけば、権門体制論を基礎的な枠組みとして大いに活用できるようにも思います。近年では、我々が自明としているものには近代以降の発明・創造が多いとする見解が流行しているようで、国民や国家などはその最たるものとされているのですが、「日本」という政治的枠組みが、大きく変容しつつも奈良時代以前から存在し続けたことは否定できないでしょう。この「日本」という政治的枠組みの中世的な様相が権門体制であり、それを抽象化し概念規定できれば、世界史をも視野に入れた展開ができるようにも思うのですが、これは素人の思いつきにすぎないかもしれません。

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