愛国先生の夫婦別姓についての歴史認識

 先週、通称愛国先生の平安時代論をこのブログで取り上げたところ、
https://sicambre.seesaa.net/article/201101article_13.html
愛国先生からトラックバックが送られてきました。
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/180687644.html

 機転のきいた反応であれば、私も応答しようと思ったのですが、ひねりのない記事だったので、これで終わらせようと考えていました。それにしても、“私は「愛国先生」と呼ばれているらしい。ちょっと照れるな…”とは、あまりにもわざとらしく、やはり「釣り」なのだな、と改めて思います。さて、これで終わらせようと考えていたところ、愛国先生はまたしても「プロ市民の教科書利用を許すな、産経と共に戦おう」と題するはじけた記事を掲載し、
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/181016872.html
夫婦別姓に関する歴史認識という、私もこのブログで何度か言及した問題
https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_7.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_17.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_30.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200804article_17.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200904article_24.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200909article_13.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201003article_8.html
についても触れられていたので、愛国先生のブログを再度取り上げることにします。愛国先生によると、

 これは近代だけに限らない、中世においても同じだ。その典型が北条政子や日野富子といった人物だ。彼女らは源頼朝、足利義政の妻。つまり本来は源政子、足利富子としなくてはならないのに、わざわざそうせず夫婦別姓を奨励する内容にしている。

 こうなったのは歴史を知らないだけではない、国語を知らないからだ。これも日本語を大切にしない風潮があるからだ。教科書なのだから正しい美しい日本語を書かなくてはならない。間違った歴史はもちろん、間違った日本語も子供の学力低下につながるのは常識であろう。


 とのことですが、「夫婦別氏にして夫婦同名字」という研究者の指摘(後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館、2009年、P128)をよく考えてもらいたいものです。もっとも、愛国先生はおそらくこうしたことを承知したうえで、あえて「無知で下品な国士様」を演じているのだと思いますが。確かに、北条政子や日野富子を具体例として、日本における夫婦同姓は西洋の物真似にすぎず、100年ていどの歴史しかない「創られた伝統」だとする、「進歩的で良心的な」夫婦別姓容認論によく見られる歴史認識は間違っていると思いますが、だからといって、「源政子」や「足利富子」に表記を変更せよ、はないでしょう。このブログの上記の記事で述べたことをまとめると、

●氏名(ウヂナ)と名字(苗字)は本来異なるものであり、原則として父系で継承される古代以来のウヂナにたいして、苗字は、中世におけるイエ社会の成立にともなって生まれた家名です。日本という「国制」についていうと、ウヂナは公的であり、苗字は私的ということになります。たとえば織田信長であれば、平がウヂナ(最初は藤原)、織田が苗字となります。ウヂナは実名と、苗字は字(アザナ)もしくは官職(自称の場合が多いのですが)などと組み合わせて用いられますのでたとえば織田信長は本来「間違った表記・呼称」であり、織田上総介が「正しい呼称」ということになります。同様に、羽柴秀吉は「間違っており」、豊臣秀吉は「正しい」ということになります。したがって、北条政子や日野富子も、織田信長などと同じく、後世の俗称と考えられます。

●こうした俗称が誕生した前提として、中世後期以降、ウヂナが衰退し、苗字と混同されるようになったことがあります。この流れは近代まで続き、いわばウヂナが苗字に吸収されるといった状況が生じます。現代日本社会では氏・苗字とほぼ同義で用いられる姓(セイ)の所以は、真人や朝臣といった姓(カバネ)は元々ウヂナと一体のものであり、両者が同一視されるよう姓(カバネ)の機能が官位に取って代わられ、姓をカバネと呼ぶ習慣が廃れ、ウヂナが姓(セイ)とみなされるようになったのではないか、とも考えられますが、漢語表現の姓(セイ)の影響も大きいでしょう。

●中世以降に増加していった嫁入り婚の場合、女性は婚姻後も生家のウヂナを継承しますので、基本的に夫婦のウヂナは異なります。ただし、たとえば藤原氏や平氏同士の婚姻もあるので、そうした場合は夫婦で同じウヂナとなります。苗字は家名であり、嫁入り婚の場合、妻は生家ではなく夫の苗字を名乗ります。夫婦同苗字は、中世後期以降、摂関家でも百姓でも同様です。もちろん、地域・時代により異なる状況があったことも考えられます。なお、近世の百姓には苗字がなかったのではなく、「公的に」名乗ることができなかった百姓が多かったということであり、多くの百姓は実質的に苗字を有していました。

●復古を掲げた明治政府は、当初古代以来の氏族的制度を採用し、夫婦は異なる氏とされましたが、ウヂナと苗字の混同・ウヂナの苗字への吸収が進行し、夫婦同苗字が前提となっていた多数の「日本人」にとって受け入れられるものではなく、けっきょく夫婦同氏となります。近代以降の法制用語である氏は、基本的には前近代の苗字を継承したものですが、明治政府の復古志向により、苗字ではなく氏法制用語として採用されました。がその意味で、「日本における夫婦同姓は西洋の物真似にすぎず、100年ていどの歴史しかない」との歴史認識は妥当ではないと思います。

 となります。ゆえに、「源政子」や「足利富子」は「間違った表記」であり、平政子(政子という名前は位階を授けられた晩年以降のもので、それ以前の名前は不明と考えるのが妥当でしょう)もしくは藤原富子が「正しい表記」ということになるでしょう。もっとも、「曹操孟徳」や「諸葛亮孔明」や「織田信長」や「徳川家康」は「間違った表記」なので、使用すべきではない、とまでは思いません。現代日本社会における「正しい名前」という価値観は、年齢などの節目に応じて生涯に何度か名前の変わる前近代の「日本」や「中国」の社会とは馴染まず、現代日本人が過去の人物、とくに前近代の人物の名前を呼ぶときは、現代日本社会において定着している名称を使用することに、大きな問題があるとは思いません。ただ、夫婦別姓・同姓の歴史的根拠を論じるさいには、こうした呼称・表記の問題について敏感にならなければならない、と思います。

この記事へのコメント

Nickname
2011年01月18日 18:55
I don't know what you would like to say. I feel Both of you and Aikoku have nothing to do with each other.
Nickname
2011年01月18日 18:58
何回かコメントしていますが、そのたびに制限されたという表示が出ます。なぜなのでしょう?
Nickname
2011年01月18日 19:05
もしかすると英語ではだめなのですか?
2011年01月18日 19:34
日本語以外のコメントだと、プロバイダー側で自動的にスパム投稿扱いするようなので、一使用者である私では対処できません。

私は日本語を母語として育ち、日本語以外の言語でそれなりに文章を読めるのは英語だけであり、英語の読解力は日本語のそれに遠く及びませんので、日本語でコメントできるようならば、日本語にしていただけると幸いです。どうも、前にも英語(といっても一単語でけですが)でコメントを頂いた方と同一人物のようですが。

私が主張したいのは、夫婦別姓問題で前近代の歴史を持ち出すような場合は、氏名の持つ意味や変遷について、安易に「北条政子」や「日野富子」を持ち出すのではなく、具体的な歴史的経緯にもっと敏感になるべきではないか、ということです。
Nickname
2011年01月18日 20:23
ごかいとうありがとうございました。
これからも何とか、理解しようと思っています。

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