愛国先生の平安時代論
「愛国を考えるブログ」という、トンデモ愛好家の人々の間で有名なブログがあり、その管理人は愛国先生とも呼ばれています。
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/
なぜかこの過疎ブログにも「愛国を考えるブログ」からトラックバックが送られてきたことがあるのですが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201008article_19.html
それはともかくとして、あまりにも荒唐無稽な記事が多いので、「愛国を考えるブログ」は「釣り」ではないかとか、「ネット右翼」を揶揄しているのではないか、とか推測されるのも無理のないことでしょう。ただし、愛国先生自身は、「釣り」ではない、と何度かブログで表明しています。
荒唐無稽な記事が多い「愛国を考えるブログ」のなかでも、「平安時代はフェミニズムの時代」と題した昨年12月4日の記事は、
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/171695409.html
とくに失笑を誘ったようですが、この記事を読んで私は、改めて「愛国を考えるブログ」が「釣り」である可能性が高い、と思ったものです。
この「平安時代はフェミニズムの時代」と題した記事で注目されるのは、『源氏物語』に否定的な評価がなされていることです。近年の「ネット右翼」的見解では、西尾幹二氏の影響も多少はあるのかもしれませんが、縄文時代から現代まで、近代以降の「左翼」およびその言動などを例外として、『源氏物語』も「世界最古の長編小説」として賞賛するように、一貫して「日本」を賛美する傾向があるように思われるだけに(産経抄の筆者の一人や井沢元彦氏にいたっては、いわゆる捏造旧石器遺跡を根拠として太古からの日本の独自性を指摘しましたし、それは日本を讃えていると受け取られるような文章でもありました)、「ネット右翼」的見解としてはある意味で新鮮でもありました。
おそらく、愛国先生の念頭には東京都の規制条例問題があり、石原都知事を賞賛することの多い「ネット右翼」に絵踏を迫っているとも考えられますし、通時的というか超時代的な日本賞賛に走る傾向のある「ネット右翼」を、彼らが嫌っているであろうフェミニズムを持ち出して、揶揄している、とも考えられます。もっとも、愛国先生の『源氏物語』論が妥当だとは思いませんが。ただ、これは私の憶測であり、この記事が愛国先生の本心であるかもしれませんが、「釣り」にせよ本気にせよ、愛国先生が下衆な輩であることは間違いないでしょう。
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/
なぜかこの過疎ブログにも「愛国を考えるブログ」からトラックバックが送られてきたことがあるのですが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201008article_19.html
それはともかくとして、あまりにも荒唐無稽な記事が多いので、「愛国を考えるブログ」は「釣り」ではないかとか、「ネット右翼」を揶揄しているのではないか、とか推測されるのも無理のないことでしょう。ただし、愛国先生自身は、「釣り」ではない、と何度かブログで表明しています。
荒唐無稽な記事が多い「愛国を考えるブログ」のなかでも、「平安時代はフェミニズムの時代」と題した昨年12月4日の記事は、
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/171695409.html
とくに失笑を誘ったようですが、この記事を読んで私は、改めて「愛国を考えるブログ」が「釣り」である可能性が高い、と思ったものです。
この「平安時代はフェミニズムの時代」と題した記事で注目されるのは、『源氏物語』に否定的な評価がなされていることです。近年の「ネット右翼」的見解では、西尾幹二氏の影響も多少はあるのかもしれませんが、縄文時代から現代まで、近代以降の「左翼」およびその言動などを例外として、『源氏物語』も「世界最古の長編小説」として賞賛するように、一貫して「日本」を賛美する傾向があるように思われるだけに(産経抄の筆者の一人や井沢元彦氏にいたっては、いわゆる捏造旧石器遺跡を根拠として太古からの日本の独自性を指摘しましたし、それは日本を讃えていると受け取られるような文章でもありました)、「ネット右翼」的見解としてはある意味で新鮮でもありました。
おそらく、愛国先生の念頭には東京都の規制条例問題があり、石原都知事を賞賛することの多い「ネット右翼」に絵踏を迫っているとも考えられますし、通時的というか超時代的な日本賞賛に走る傾向のある「ネット右翼」を、彼らが嫌っているであろうフェミニズムを持ち出して、揶揄している、とも考えられます。もっとも、愛国先生の『源氏物語』論が妥当だとは思いませんが。ただ、これは私の憶測であり、この記事が愛国先生の本心であるかもしれませんが、「釣り」にせよ本気にせよ、愛国先生が下衆な輩であることは間違いないでしょう。
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