スウェーデン社会は今後の日本社会の目標足り得るのか

 高福祉・高負担の社会として知られるスウェーデンは、1990年代以降高い経済成長率を示していることから、日本が目標とすべき社会ではないのかとの見解を、おもに「進歩的で良心的」な人々から聞くことがよくあります。高福祉・高負担社会と経済成長は矛盾するものではなく、両立し得るものだ、というわけです。こうした「進歩的で良心的」な人々の見解では、スウェーデンが厳しい競争社会であることはあまり触れられないように思うのですが、それは高福祉という「セーフティーネット」があってこそのものだ、という議論が成立しますから、「進歩的で良心的」な見解にとって痛手とはならないでしょう。

 しかし、スウェーデンをはじめとして北ヨーロッパを賞賛する見解が、21世紀になってからの日本社会で目立つようになったことにたいして、本当に日本が目標とすべき社会なのだろうか、理想化されているところが多分にあるのではないだろうか、との疑問を私はずっと持ち続けてきました。とはいえ、怠惰な性分なのでこの問題について本格的に調べたことはなく、ずっと疑問を持ち続けているだけだったのですが、先日読んだ毎日新聞に興味深い見解が掲載されていました。私は一般紙では、紙面が充実しているということで読売新聞と朝日新聞を高く評価しており、毎日新聞はめったに読まないのですが、たまたま読んださいに面白い見解が掲載されていた、というわけです。その記事はネットでも公開されています。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101215ddm010040155000c.html

◇日本にはなじまない--ストックホルム大学東洋学部助教授、小川晃弘さん(42)
 スウェーデンでは納税者番号がなければ、病院にもいけないし、車も運転できない、クレジットカードも使えない。番号を管理する国は私がどんな本を読み、何を買ったかまですべて分かる。日本、米国、ドイツ、スウェーデンで生活したが、国家にこれほどまでに管理されてしまう体制に違和感を感じる。高い税金の前提として相当の愛国心が必要で「福祉ナショナリズム」のようなものを国家として仕掛けていかないと高福祉は維持できない。学生のリポートを読んでいても公権力に対して批判を加えるという視点が著しく欠けている。25%の重税の裏には、特殊な国家と個人の関係があり、現在の日本社会に北欧のような社会モデルを持ち込むのは非現実的だと思う。


 もちろん、上記の見解が妥当なのかどうか、私の見識では的確な判断が難しいのですが、この問題について不勉強な私にとって、スウェーデンへの批判というともっぱら「反動」側からのものが目立つように思えていたので、現地在住の日本人の、こうした視点からのスウェーデン社会論は新鮮でもありました。もちろん、スウェーデン社会に日本社会が学ぶべきところは多くあるでしょうし、それは学ぶべきではないものよりもずっと多いのかもしれません。いずれにしても、過度の理想化も敵視も益なし、いう常識的な判断に落ち着くことになるのでしょう。

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