広瀬和雄『前方後円墳の世界』

 岩波新書の一冊として、岩波書店より2010年8月に刊行されました。前方後円墳が築造された350年(この年代は、一部の古代史愛好家にとっては長すぎるということになるのでしょうが)ほどの時代の政治・社会が、各地の前方後円墳の大きさ・副葬品・立地・年代などから推測されています。全体的に、大和への求心力・大和の中心性を強調する見解になっており、九州王朝説派など一部の古代史愛好家にとっては、大和中心史観・皇国史観として糾弾すべき見解になっている、と言えるでしょう。

 とはいえ、古墳の規模・副葬品などから、後の区分での大和・河内などの畿内が、前方後円墳の時代に日本列島の大部分の中心的地位にあったことを否定するのは難しいだろう、と思います。問題は、その中心性・政治的統合がどの程度のものであったか、ということなのですが、本書での見解は、前方後円墳の大きさ・副葬品・立地・年代などから読み取れる情報をやや逸脱したものと言えるかもしれません。もちろん、本書の見解がおおむね妥当である可能性もありますが、文字資料の極端に少ない時代の歴史像の構築の難しさを、改めて思い知らされることにもなりました。

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