中国南東部の10万年以上前の現生人類の人骨?

 中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で発見された人骨(下顎骨の前部と2個の臼歯)についての研究(Liu et al., 2010)が報道されました。中国語の報道では、臼歯の写真も見られます。まだ要約しか読んでいませんが、たいへん興味深い研究です。この論文はオンライン版での先行公開となります。この人骨は以前にも報道されており、このブログでも取り上げましたが(関連記事)、ついに本格的な研究成果が公表されたということになります。

 智人洞窟で発見された下顎骨には、現生人類(ホモ=サピエンス)的な特徴とともに、後期更新世の現生人類以外の人類(archaic humans)に近い頑丈さも認められました。この下顎骨の年代は、人骨の上のフローストーンと関連する動物骨のウラン系列法年代測定により10万年以上前とされ、これは東アジアにおける最古の現生人類人骨だ、と指摘されています。この研究では、智人洞窟の下顎骨の年代と形態から、更新世後期の東アジアにおいて、同化もしくは遺伝子流動を伴う人類の遺伝的継続があったのではないか、と主張され、さらに、ユーラシアにおいて、現生人類と他の人類との長期の共存があったのではないか、との問題提起がなされ、後期更新世の東アジアにおける現生人類の出現について、新たな見解が提示されています。

 上記の報道では、この研究は定説に挑戦状を叩きつけた、とされていますが、定説を覆すとまではいかないでしょうし、定説を大幅に修正することになるのかというと、それも疑問です。また、そもそも人骨が断片的なので、形態学的な評価が難しいところもあるだろう、と思います。確かに、定説では現生人類の出アフリカは1回のみで、年代は多少の幅があるにせよ、85000~50000年前頃という点ではおおむね一致しているので、定説の表面だけを見ていくと、この研究は定説を覆しかねないものなのですが、定説で出アフリカは1回のみという時、「成功した出アフリカ」という前提があることを見逃してはならないでしょう(たとえば、Mellars.,2006、Oppenheimer.,2007)。

 それは、現代の非アフリカ人の起源となった現生人類集団の出アフリカは1回のみということであり、たとえば10万年前頃のレヴァントの現生人類は、絶滅したのだとされます。しかし、もっと詳しく述べると、現代の非アフリカ人の直系の父系・母系の祖先は単一の出アフリカ集団に由来する、つまり、現代の非アフリカ人のY染色体やミトコンドリアDNAは、85000~50000年前頃に出アフリカ果たした単一の出アフリカ集団に由来するということであり、現代の非アフリカ人が、それ以前に出アフリカを果たした現生人類集団から、Y染色体やミトコンドリアDNAは継承していなくとも、他の遺伝子を継承した可能性は否定されていません。

 じっさい、現生人類とそれ以外の人類、たとえばネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)との交雑の可能性が高いことが指摘されており(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑も可能だとしたら、出アフリカの年代が異なるとはいえ、遺伝的にはもっと近い現生人類同士の交雑の可能性はかなり高いだろう、と私は考えています。10万年前までさかのぼるアフリカ外の現生人類人骨となると、現在の所確実なのはレヴァントの事例だけですが、ジャワ島で発見された125000年前頃の歯は、現生人類のものと推定されています(Morwood, and Oosterzee.,2008,上巻P115)。これは、まだ確定した説とは言えませんし、今後さらなる検証と類例の発見が必要となるでしょうが、125000年前頃に現生人類がジャワ島まで進出していた可能性は真剣に考慮されるべきだと思います。

 智人洞窟の下顎骨がどの人類種に属すのか、現時点では断定の難しいところですが、かりに現生人類だとしても、問題はまったくないでしょう。もちろん、少なくとも現時点では、現生人類の出現は東アジアよりもアフリカのほうがはるかに古く(関連記事)、現生人類の東アジア起源説は成立しません。また、この研究で示唆されているように、智人洞窟の下顎骨の頑丈さは、アフリカ起源の現生人類と、東アジアに古くから存在し続ける他のホモ属(もちろん、その起源はアフリカなのですが)との交雑の可能性もあるのですが、初期現生人類の形態学的多様性を示している、とも考えられるでしょう。


参考文献:
Liu W. et al.(2010): Human remains from Zhirendong, South China, and modern human emergence in East Asia. PNAS, 107, 45, 19201-19206.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1014386107

Mellars P.(2006): Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. PNAS, 103, 25, 9381-9386.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0510792103
関連記事

Morwood M, and Oosterzee PV.著(2008)、馬場悠男監訳、仲村明子翻訳『ホモ・フロレシエンシス』上・下(日本放送出版協会、原書の刊行は2007年)
関連記事

Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)
関連記事

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 海部陽介「ホモ・サピエンスのユーラシア拡散─最近の研究動向」

    Excerpt: これは11月17日(日)分の記事として掲載することにします(その二)西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。この報告は化石人類学の研究を中心に遺伝学.. Weblog: 雑記帳 racked: 2013-11-14 21:17
  • 中国南部の末期更新世の祖先的特徴を有する人類

    Excerpt: 中国南部の末期更新世の祖先的特徴を有する人類に関する研究(Liao et al., 2019)が報道されました。ユーラシア東部への現生人類(Homo sapiens)拡散の証拠となりそうな人類遺骸は、.. Weblog: 雑記帳 racked: 2019-02-24 09:52